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【映画】「オオカミの家」から見るカルト宗教と小児性的虐待の話

今回は先週末に鑑賞した「オオカミの家」という映画のお話をして参ります。
文章を読むのが苦手な方は、音声としてスタエフやyoutubeでもお聞きいただけます。
https://stand.fm/episodes/6511665dc1778afef9d93cf0
https://youtu.be/tosJzIXpjlU
怖い映画、ホラー映画と言いましてもその中に色んなタイプがございまして、実は小心者で臆病、怖がりでもある私は、単純ホラーや娯楽ホラーはあまり好みません。なんと言いますか、ただ脅かすだけのジャンプスケアだらけのものや制作意図が、ただ観客を怖がらせるだけというものはほぼ見ません。そういった刺激を特定の人が求めているのはわかっていますので存在は否定しておりませんが、私は見ても怖いだけであまり楽しむことができません。それもゾンビとか闘いとかは全然好きではないのです。
私の興味をそそるものは人間心理。なぜ、この人はシリアルキラーになったのか、なぜ不倫やいじめ、虐待、犯罪は無くならないのか、そういった人間の心模様に惹かれて、観ている類の映画や本があります。

今回のオオカミの家という映画、このお話はただのホラー映画ではありません。
それを知っていただくにはベースとなるお話、コロニアディグニダのお話をしなければなりません。
コロニアディグニダ、それは南米はチリのパラルにあったドイツ系移民の入植地の旧名称で、現在はホテルやレストランのあるレクリエーション施設、ビジャバビエラとなっています。
コロニアディグニダは、元ナチス党員で、ヒトラーを崇拝し、子どもの性的虐待でドイツを追われたパウルシェーファーが設立した宗教カルト団体です。表向きはキリスト教を掲げていますが、人体実験、拷問、性的虐待、殺害をし続け、何かを強制することにより、成り立っていました。家族単位で入植したものは強制的に別れさせられ、出産したものは、産んだ瞬間に離れ離れにさせられ、年齢や性別によってグループに分けられ、家族同士、話すことも許されませんでした。実の兄弟という概念は完全に取り外され、親は共有、誰の親でもあり、誰の親でもない状態。ここに存在する子どもたちは長い間、親と分離させられ、愛情を与えられず、愛着形成もできない環境に強制的に身を置かれます。
ヨーロッパから連れてこられた子どもたちは、親に約束された教育などは与えられず、6歳ごろから年中無休で続く無償の強制労働と処罰、性虐待が待っています。また、チリの孤児もいました。コロニアには法が介入せず、長期に渡って放置されます。
指導者のシェーファーは小児男子を好み、性的虐待を儀式的、組織的にルーティン化します。
シェーファーに選ばれたものには特権が与えられました。今、まさに日本で話題のジャニー喜多川の話のようですね。
要望に応えないものには電気ショックのような拷問が与えられたり、食事も与えられませんでした。
コロニアには家族という単位が存在しないため、家族に助けを求めることもできませんでした。家族がいても相談できるかどうかは本人たちの傷や感情次第でわからないことがジャニーズの一件でもみなさん、ご周知だと思いますが。
入植する時には、いつでも自由が保障されるなどの文言ですが、ひとたび入ってしまうと、フェンス、有刺鉄線など監視体制が行き届き、外部からの情報の遮断、脱出不可能な場所でした。脱出を試みたものは、どこまでも追跡され、連れ戻された後は薬を打たれて処罰されました。
これはカルト宗教あるあるで、宗教は信仰が自由なはずなのに、やめることができず、追われるのです。それはオウム真理教、統一教会、創価学会なども同じです。
コロニアの処罰はナチ式拷問法が使われていたため、チリ警察や刑務所は国をあげてコロニアを利用していました。凶悪犯罪者や政治犯はコロニアに送られ、100人の人たちが殺されたといわれています。
また、農業や武器製造で内部の経済を賄い、国軍とも繋がっている、巨大な組織すぎますよね。
これは、日本の統一教会にも少し繋がってくる話だと思います。カルト宗教が国を牛耳るなんて、いくらなんでも…と思うかもしれませんが、世界のどこかでこんな酷い話が罷り通っているわけです。北朝鮮や中国、ロシアなどにも通じますよね。
そして、2010年にシェーファーが死亡、チリのドイツ大使館がコロニアを黙認していたことや加担していた事は2017年まで認めませんでした。
さて、本題の映画の話に行きます。
オオカミの家、言い換えるとカルト宗教のことでそこで育ったマリア、聖母と同じ名前ですね。彼女がそこを飛び出して、二匹のこぶたと暮らす話です。
単純明快な童話に落とし込まれているからこそ、長く記憶に残ります。これは、古事記やギリシャ、ローマなどの神話然り、フィクションにする事で記憶にふんわりと自然に定着させるんです。そして、三匹の子豚や赤ずきんの要素。童話って狂気的な部分を孕んでるものが多いですからね。
監督2人は洗脳されていた2世とかでは無いのですが、宗教や虐待から抜け出した時のトラウマからくる心情や精神の表現力がすごいんです。これ、実際にカルト宗教に属していた2世の人が見たら刺さりまくると思います。ぜひ、見てほしいです。今、まさにタイムリーですよね、日本では。
序盤、壁に徐々に描かれながら話が進んでいきます。その後、立体になり、また2Dになったり、3Dになったりを繰り返します。2人の監督だからか、全く違う画風です。微妙な揺れと情報量と洗脳要素に脳が拒否し始めて、何度も睡魔に襲われました。響く、オオカミの声。
映画自体をドイツの皆さんにも伝えたいみたいなメッセージもあったように思います。
一度受けた悲しい出来事は、いつになっても、たとえ今が幸せでも、身体のどこかには存在して、踠いても逃れられない、苦しい、苦しいという想いと、人は誰かに与えられた事しか与えられない。という事に気づく絶望をストップモーションで表現していく、まさに鬼才!
とにかく映像の作り方がアーティスティックで、塗り重ねられていく、作り上げられていく過程を一つ一つストップモーションにしてて、新鮮すぎます。
多分、単館でしか上映されない映画なのですが、遠い国で起きた事件を元に被害者のトラウマを物語調で描いた今作品、ぜひ見て知っていただきたいです!
また、エマワトソン主演のコロニア、そしてコロニアの子どもたちという映画もそれぞれあるので私も折りを見て鑑賞する予定です。
ここから少しネタバレのお話をします。
カルト宗教でオオカミ達にされ続けた閉鎖的空間に自分たちのエゴで閉じ込めるということをマリアがこぶたたちにしてしまいます。その他にもマリアがペドロとアナにした事は自分が経験した事で、マリア目線だと幸せな家庭なんですが、被害者目線ではそうではありません。被害者は加害者にいとも簡単に変わり得ます。
ヘリコプターペアレンツあるあるで、マリアは子豚たちを世の中のオオカミから私が守らなければと、思う余りに彼らの自由や自立を阻みます。
最終的にはこぶたたちからも疎まれて、マリアはやっぱりオオカミの家に戻りたい。と願います。というか、実はオオカミはずっと自分の中、それも結構、核となる部分に木のように根付いていた。と表現されます。
これ、偶然にもこの前見た邦画「光」でも同じ描写が、あったなと思いました。
このラストは、全く光が無いので、最後は
希望を見せて欲しかったのですが、この終わり方が実は現実なのかもしれません。
ペドロが肌の色や髪が急に白人になった描写がありましたが、人種差別の話なのか、もしかしてマリアも虐待してしまった描写なのか、どういう解釈をしていいのか、ちょっと気になっています。
お読みいただきありがとうございました。いいねボタンもよろしくね!恵まれた世界で、こういう世界線があることを知りながら、自分たちもアンテナを張って気をつける。いつ、自分がそういう環境に巻き込まれないとも限りませんから…


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NYでフリーランスのライターと日本語の先生をしています。どこまでも自由になるため、どこにいても稼げるようなシステムを構築しようと奮闘中。