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ブルームーンセレナーデ chapter 1

レイコとユウサクの店のはじまり


ハワイ、オアフ島。
海に面して立つ小さな白い建物は、人々の記憶の中で今も生き続けている。
賑やかな笑い声とコーヒーの香りが、目を閉じれば波音とともに蘇る。
その店の名前はブルームーン。
人々に沢山の思い出を残した店の物語。

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「レイコ、ここにしよう」
ユウサクはカウンターの中から、入口に佇むレイコにきっぱりと言った。
数ヶ月かけて何件も物件を見てきて、初めてユウサクが乗り気になっていることがレイコには嬉しかった。
物件を見に行っても厨房が狭いとか、店自体が広過ぎるとかユウサクはろくに物件を見ないこともあったし、立地が気に入らないと建物の中に入ることなく帰ってしまうこともあった。
「でも日本人の観光客はここまで来る?ワイキキから遠いよ」
ここはノースショア、ハレイワタウンからも少し離れている。
「来てもらえる店にするんだよ」
ユウサクはカウンターの奥の厨房を眺めながら言った。
「そうね。ユウサクの作るものなら、お客さん来てくれるね」

🌙

店の名前は物件を探すと同時に決めていた。
ブルームーン。
日が落ちたあと、空に浮かぶ月が眺められるような場所がいいと、ユウサクが決めた名前だった。
ワイキキ、アラモナア、カイルア、西オアフ。
もう諦めようかと思っていた。
ここがダメなら弟と一緒に店を出すのではなく、レイコひとりでこじんまりと雑貨屋をやっていこうと思って訪れた最後の候補地だった。
道路に面して立つ店は横に長い造りで奥行きはあまりない。
窓の面積を大きく取ってあるから店内は明るく、窓の外には道路を隔てて海が広がる。
ドアは建物の中央にあって中に入って右側にカウンター、6席ある。左はホールになっている。
カウンターと平行して海を見渡せる窓際に四人掛けのテーブルが2セット置いてある。
厨房はカウンターの奥、通りとは反対にある。
左側のホールはいくらでもアレンジできそうだった。
壁はグレーがかった水色。
この壁にBlue Moonの文字、月と椰子の木のイラストを描いてもいいとレイコは思った。
右側をユウサクのカフェにして左側をレイコのギフトショップにする。
ふたりでやっていくにはまたとない店、文句のない物件だった。

🌙

ユウサクはレイコの3つ下の弟だ。
高校を卒業と同時にアメリカへ留学したレイコは大学卒業後にハワイにやってきた。
レイコに会いにきてハワイが気に入ったユウサクもハワイで生活を始めた。
ふたりともいつかハワイに自分の店を持ちたいと考えていて、ならば一緒にと物件を探し始めてここにたどり着いた。
ノースショアの長閑な景色の中にポツンと立つ白い店、道を渡ればすぐに海。ビーチに降りられる。
ハワイの明るい青空を遮るものなく眺めることができる。
「ここからのサンセットは絶景だね。そのあとは月も見られる」
ユウサクの一言でこの場所でのブルームーン開店が決まった。 

🌙

ブルームーンの開店にあたり、協力を惜しまなかったのはユクサクのサーフィン仲間たちだった。
レイコが考えたように、店の中の水色の壁には白でBlue Moonの文字と椰子の木を、同じものを白い外壁には茶色で、それを描いたのはミズタニだった。
イラストレーターを目指していたこともあるというミズタニのセンスにユウサクも唸る。
「お前サーフィン以外にもできることがあるんだな」
とユウサクが軽口をたたくと
「ほかにもあるぜ」
とペンキで汚れたTシャツでミズタニは汗を拭う。
ロコのジュリアはコーヒーカップやマグカップ、皿やグラスを大量に運んできた。
おじさんがレストランをやっていたときのものだけど使って、とピックアップトラックの荷台から段ボールを下ろす。
白地に一本のブルーのラインが入った食器はブルームーンのために作られたようなものだとみんなで歓声をあげた。
日系のコウタロウの家はベーカリーで、日本のパン屋のようなふわふわと柔らかくしっとりとしたパンを焼く。
父親の仕事を手伝い始めていたコウタロウはブルームーンへ毎日パンを卸すことを約束してくれた。
「儲けさせてもらうよ、ユウサク」
とコウタロウは笑いながらユウサクの肩を叩いた。
ギフトショップに商品をディスプレイする棚や、レイコがホールの真ん中に置きたいと思っていた大きめの丸テーブルはミズタニとコウタロウが中古を探してきて塗り直した。
そして偶然にもこの店の建物オーナーは櫻子の祖父のナカタで、建物だけでなく周りの土地も所有していた。
充分すぎる駐車場スペースを提供してもらい、ナカタファームで採れる野菜や果物も安値で譲ってもらえることになった。
遊んでる土地と勝手に生えたもんだから好きに使え、とナカタは日焼けした顔とその顔とは対照的に白い歯を見せて豪快に笑う。

「みんなになんとお礼を言ったらいいの、、」
開店を明日に控えたブルームーンに集まったユウサクのサーフィン仲間との前祝いでレイコは目を潤ませた。
「レイコさん、しばらくしたらその涙は後悔の涙になるよ、いつまでお前たちここに居座るだよって」
「そうだよな、こんないい場所ないよな、目の前でサーフィン出来るんだもんな」
笑いが起こり、また乾杯をした。

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ブルームーンの1日はモーニングから始まる。朝食を食べに来るひと、買っていくひと。
昼前からはギフトショップ目当てのお客がやってくる。
ランチタイムのあとの束の間の閑散時もサンセットが近付くとまた賑わいが戻りそのままバータイムとなる。
ブルームーンの名前通り、月を見ながら過ごすことができる。
平日はレイコとユウサクのふたりでもどうにか切り盛りできたけれど、土日はさすがに人手がほしかった。
ふたつ返事でミズタニはやって来てくれて、週末だけでなく、ユウサクが平日に仕入れにいく日も接客に厨房にと軽快に動き回るのだった。 

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今となってはブルームーンを訪れたひとの心の中にだけ残るこの店はこうして始まった。

つづく

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