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友よ①

二〇一六年四月、航空自衛隊入間基地。
友よ・・・
長沢が、泣いていた。

二十八歳

「お前、車の卒検落ちたやつが、飛行機ば飛ばすとや。あー、おそろしか、俺は乗らんぞ」
長沢がいつもの調子で軽口を叩いても、勝田は笑っていた。
「俺も、お前のようなヤブには死にかけても診てもらわんぞ」
と勝田もやり返し
「お前は東京に十年もおって、まだ標準語ば喋りきらんとや」
と、お国言葉を流暢に操る長沢を見て勝田はまた笑う。

懐かしい顔が揃ったこの日は高校を卒業してちょうど十年目の同窓会。
熊本の県立高校の同窓会である。
この同窓会は学校の伝統行事で、卒業時に地元に残る生徒の中から同窓会委員が選出され、その委員たちによって企画運営されていた。
先生も多数招待され、クラス担任だけでなく教科担任も出席していた。

三年一組のテーブルに集う懐かしい面々。
学ランとセーラー服だった生徒たちはスーツやワンピースに身を包んだ立派な社会人となっていた。
遠くはオーストラリアから、国内も北海道から沖縄まで、広い世界へ飛び出して行った仲間たちが十年前の約束を果たすべく地元に戻ってきていた。
十年という月日はそれぞれが違う場所で生き、成長した時間だった。

長沢秀一、勝田衛、野田久美子、そして私。
この物語は高校時代をともに過ごした四人の物語である。

勝田が車の卒検を落ちた話は私たちの高校の卒業式の日まで遡る。
十八歳になれば車の免許は取れるけれど、校則ではそれが禁じられていた。
二学期までは進学に際しての内申点のことを考えて校則を守り、誰も運転免許を取ろうとはしなかったが、私大の推薦入学などで冬休み前に進路が決定すると教習所へ通い始める者が出てくる。
勝田は十二月の初めに進路が決まったので教習所通いを始めていた。
卒業式が終わったらみんなでドライブに行こうと言い出したのは勝田だった。
卒業式までに勝田が免許を取り、父親の車を借りて、長沢と久美子と私と四人で天草へドライブに行こう、と、そんな話が持ち上がっていた。
しかし、卒業式前日に卒検を受けた勝田が式が始まる前、体育館への入場を待っていた時、
「ごめん、ダメだった」
と言った。
そのことを長沢はことあるごとに蒸し返し
「飛行機の操縦より、車の運転の方が難しかばい」と、みんなを笑わせてきた。

長沢と久美子と私は高校卒業と同時に故郷を離れて進学のために上京した。
勝田は航空自衛隊に入隊し、日本の空を守ることを仕事にした。
高校卒業後十年目の同窓会は、市内のホテルの宴会場で始まったが、二次会は仲の良かったグループごとにあちこちの店に散って行った。
三次会に行くぞ、と長沢がタクシーを拾い、私たちは朝まで営業している居酒屋に向かった。
そこで何度目かの乾杯をし、ビール片手にこの先何をしたいかを話していた時のことだった。
勝田がゆくゆくは民間の航空会社で旅客機のパイロットになるのもいいな、と言ったのを聞いて、長沢が古い話を持ち出したのだ。

つづく



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