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その男の名は



男の目は石のなかに刻まれた大地のヴァイブレーションに震えていた

それは刻まれた記憶が、氷が融けるようにその手を緩め、ひと滴の言葉となることを待っているような時間の流動性を湛えていた...男の目は動き出す時間の震えのなかに生きていたのだった。

その目は外界を捉える器官ではなく、世界を映し出す器官として私を待っていたのかもしれない...

凍結した意志が刻の一滴に触れ、刻まれた記憶は自身の時間を生きはじめたかのように、私の視線に追随してくる...

私の視線の指先で、眠っていた自らの世界を語ろうとしているかのように、それは言葉の指先をのばしていた...

男の姿のこちらと向こうとで互いに手を伸ばそうとしているその様は、まるで鏡映しのように視線の指先と言葉の指先とが次元の境界を越えようとしている姿そのものだった...

男の姿を透して石はその内部を記憶の流動体として生きている...ふたつの指先の狭間で男は次元を隔てる極めて柔らかで薄い時空の膜として存在していた

それは私にとっての外界ではなく、その男の向こう側はもはや石の内部ではなかった...石は石ではなく、私はわたしである必要すらなかった。そこには我も汝もなく、ただ時空の膜が男として顕現していたのだった。

私の外界は外側ではなく、石の内部は内側ではなく、そこは同時に私の内部でもあった。呼吸によって取り込まれた酸素が細胞膜によって血液に受け渡されてゆくように、私は今まさに言葉が受け渡される刹那を生きていた。

だがふたつの指先は決して触れることはなく、その間には精妙な振動のスパークだけが生起する音楽に支配された世界でもあった。

石のなかで記憶は目覚め、男の目は言葉の振動となって震えている...
それは触れれば消えてしまう幻影にも似て、ただ生起してくる言葉の息遣いに視線を澄ますように求めてくる...

流動体となった記憶が言葉という姿を求める呻きとともに、諍うことのできない重力のように私の視線を引き付けて止まない...それはふたつの指先の間に収斂されたエネルギーが今まさに臨界に達しようとする瞬間でもあった。

記憶の流動体が奏でる精妙な音楽のなかに、決して越えられない時空の狭間に花を開かせようとする強靭な意志を持つそれは、語りえぬものの呼び声のようにこだましている...

未だ語られざる言葉を発掘するように視線の指先は言葉の胎動を聴いている。私たちは次元を渉る重力によって満たされた「言葉の磁場」のなかに生きているのかもしれない...名付けられし者の宿命として...





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