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奨学金を返したくない人たち【高校教員のひとりごと】

SNSで奨学金についての話題が議論を呼んでいる。私自身、奨学金を借りて大学に進学し、未だ返済中の身である。
教育の無償化や負担を減らしていくことについては大いに賛成ではあるが、事実、今は高等教育は無償ではなく、そのような状況の中で合意の上で奨学金を借りたのであるから「返さない」で済む問題ではないことは疑う余地はないだろう。ただ、良い機会なので今回は奨学金について考えていきたい。

「奨学金は"借金"である」

言わずもがな一般的な奨学金は「借金」である。借りた分は返さなければならないし、基本的には利子も上乗せして返さなければいけない。だからこそ、「借金をしてまで大学に行きたくない」という話をよく聞く。

ただ、こういった話をする人の中には、「借金=悪」であるという認識が既にある。「借金」と聞くと、借金まみれになりギャンブルに溺れているような人をイメージしてしまうのだろうか。

しかし、実際借金そのものが悪いことなのかというとそうではない。例えば企業であれば当然のように借金をする。現在の資金力のみでは足りないため、銀行からお金を借り、それを元手に大きな利益を生み、生まれた利益によって利子分も含めて返済をする。基本的にお金を借りるという行為は、それによってより大きな利益を得ることを目的にしたものであり、それ自体に善悪はない。

奨学金は自分への投資である

その点から考えれば、奨学金は自己への投資である。「高卒で働く自分」と「大卒で働く自分」を比較したときに後者の方が価値が高ければ、奨学金という負債を背負うことになったとしてでも大学に行けば良いのだ。
分かりやすい指標で言えば年収である。高卒者と大卒者の生涯年収は6000万円ほどの開きがあると言われている。奨学金を借りれば社会に出た瞬間には数百万円もの借金がある状態だが、最終的には奨学金を借りずに高卒で働いた自分と比較して5000万円以上のリターンがあるのだ。
そう考えれば、基本的にはお得な借金なのである。

ではなぜ、「借金をしてまで大学に行きたくない」のか

自分から、「借金をしてまで大学に行きたくない」と思っているパターン以外にも

  • 奨学金は借金だからそもそも借りてはいけない

  • 借りてはいけないが、お金がないから国公立大学しか行ってはいけない

と家庭内で言われているというような話もよく聞く。
先述の通り、お得な借金である奨学金だが、なぜこのような言説が生まれるのだろうか。

考えられる理由としては、「大学の当たり前化」である。大学全入時代へも突入し、大学へ進学することが当たり前になってきているのだ。
大学への進学が当たり前になっていれば「大学へ行きたくない」という考えとは真逆に進むように思えるかもしれないが、そうではない。
大学への進学が当たり前ではなかった時代であれば、そもそも「大学への進学はとても魅力的なもの」と思っている層だけが、大学進学が選択肢に入ってくるのである。大学に行くことが自分にとって大きなリターンを生む行為であることは当然であったし、どれだけ負担が大きくてもその先の未来のために進学を目指すことができたのだ。

しかし今は、入ろうと思えば誰でも(選ばなければ)大学に入ることができるようになりつつある。「中学を卒業したら当たり前のように高校に行く」ことと同じ感覚で、「高校を卒業したら当たり前のように大学へ行く」ようになってきているのである。
そのような環境の中では、大学は「自分にとって大きなリターンを生む場所である」ということを考える必要がないのである。当たり前に進学をする場所に「4年間で数百万円という巨額のお金がかかる」という認識なのである。

そうなってくれば、奨学金は「将来への自分のリターン」という観点から考えた「"投資"としての借金」ではなく、「必要なお金が足りないから組むただの"ローン"としての借金」へと変貌を遂げてしまっているのである。

ただ、やはり大学へ通っていた身としては、大学で学ぶことは「自分にとって意味のある投資」であることは間違いないと確信している。金銭的なリターンのみに留まらず、得られる学びや経験は圧倒的にその後の人生において得である。

今もなお、奨学金を返し続けているが、この借金が最高の投資だったと振り返った時に言い切れるように日々成長していこうと思うものだ。

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