「乙女と牙」(中編小説)


 あらすじ

引っ込み思案な女子高生・祥子は、犬以外には、自室で、変わったペット達を飼っていた。それも、鰐や鮫、カミツキガメなど、危険な水棲生物だった。
 祥子には、元々、飼い主に自分の足の匂いを嗅がせたりすると言う、おかしな趣味や癖があったのだ。親友である香織は、祥子の事はよく理解しており、特に変わり者扱いもしなかった。。
 ある日、祥子は、水槽の水を替えようとして、浴室で水棲の全ペット達を排水溝へ流してしまう。月日が経って成長したすい星生物達は、各地で一般人達を襲い始める……。
 可愛い乙女の持つ「牙」によって人々は苦しめられて行き、そして……。


               〇〇〇


よしよし。みんないい子達ね。
貴方達は私より若いけど、でもすぐに私より若くはなくなるのよ。
生き方も寿命も私と貴方達とでは全然違うもの。
 でも、忘れないわ。例え別れる時が来ても、命を取り合う事になっても、私達は友達だからね、ずっと。決して同じ時間も空間も共有は出来ないけれど。元気でね。
だから、忘れないわ。

「よいしょっと。うふふ。これも可愛い。」
 三つ目の水槽の中を見つめつつ、祥子は自分の小部屋で独り言を言っている。

 祥子の部屋の隅にある出窓は大きく、日光も良く当たるのだ。勉強机の処にあった椅子を、今年で高校一年になる林田祥子は窓際に持って来て、両手を両頬に当てながらにっこりと微笑んでいる。両肘は、窓枠の下の板に着かせている。丁度祥子の座高に合う高さだ。
 祥子は今日も、学校の帰りに大手のホームセンターへ寄って来たらしい。
「さて。この子の名前は何にしようかなあ……。」
 窓辺に頬杖突いた顔を微かに左右に揺らし、祥子の細めた眼は和んでいる。近くを見つめ、遠くに思いを馳せているようでもある。何処かのイギリスの淑女をイメージ、……はしないかな。まあそれは人にもよるだろう。白くて少しぽっちゃりとしたような脚は、紺色のハイソックスが少し膝下まで包み込んでいる。祥子はソックスで包んだ足指をクネクネ動かしている。身長は百五十五センチとごく普通?なのだが、足はそんなに長い方ではないので、この椅子に座った状態では両足とも爪先ぐらいまでしか床には着かない。微妙に汗ばんだ足裏は優しく床を撫でていると言う感じだろうか。
 もう五月を迎える頃だが、制服はまだブレザーを着用している。今は部屋で脱いだブレザーをハンガーに掛け、上は白い長袖のブラウスだけになっている。制服のチェックのスカートもそのままだ。いつ着替えるのだろうか。
 さて、もうそろそろ午後六時を回る頃だ。下から母の呼ぶ声がする。
「祥子ーーっ!もう夕食の時間よ!降りてらっしゃい。」
「あっ!はーいっ!さてと、下へ……あ、その前に、制服汚れると行けないから、着替えましょうかっ。今日はテリヤキハンバーグだから、白いブラウスに付くと染みになって大変よね。靴下も脱いどこうかな。」
そう言うと祥子は、急いで着替え始めた。先ずは紺の靴下を脱いで束にし、部屋の隅に放り投げるように置いた。そして制服の白いブラウスとチャックのスカートを脱ぎ、薄い茶色の長袖シャツと白いロングスカートに着替えた。そして廊下に出てスリッパを履く。そして早足で下へ降りて行った。

「私、前よりちょっと太ったかしら。」
 一階のダイニングに入る前に、玄関の横にある縦長の鏡に自分の姿を映しながら言った。
 祥子は、粗ギリギリでふくよかと言える体型になるのかも知れない。か細くはないけれど、デブでもない。名作で言えば、あの不思議の国のアリス、ゲームではモンスターファーム2のコルト(これを御存知の人はもう少ないかな。)、日本一株式会社のロープレであるマール王国の人魚姫の、コルネットとでも言うところだろうか。顔は中々可愛い方なのだが、祥子はどちらかと言うと人見知りをする気質である。空想癖も激しく、漫画やホラー映画、SF漫画や映画を鑑賞する事、動植物を育てる事が好き。

「頂きます。」
「祥子はまた今日もあんなの買って来たのね。本当にもう、好きねえ。」
「いいじゃない。私好きだもん。」
祥子はハンバーグを口の中でモグモグさせながら言った。
「バイトとかしてるなら、何に使おうとあんたの自由だけど、無駄遣いは駄目よ。勉強もちゃんとするのよ。あんたは理科と家庭科以外をもっと頑張らなきゃいけないんだし。友達も、もっと一杯作って…。」
「もうっ。解ってるってば。バイト先の喫茶店でも何人かいるわよ。」
「学校でよ。」
母は眉間に皺を寄せながら言う。
「学校………。うん、解ってる。何人かはいるけど、もっと沢山作らなきゃと言いたいのね。お母さんは。」
祥子は、矢張り学校では友達は多い方ではなかった。小学校、中学校からの仲になる子の他には、そう堂々と話が出来る相手はいないに等しかった。

 午後七時。夕食が終ってから部屋へ戻り、少し体を休めた後、祥子はペットの柴犬サブロウを、散歩に連れて行く事にした。父は疲れているし、母はパートの後、買い物と掃除、炊事、洗濯でもう精一杯なので、後は一人っ娘の祥子が行くしかないのだ。動物好きで散歩好きの祥子としては、これぐらいは苦にはならないそうだ。
「ふう、割と暑いのかしらね。ゴールデンウィークもまだなのにねえ。さあ行こうか。ええと、学校に行く時に履いてるこのローファーとかスニーカーじゃまた蒸れて気持ち悪いから、これにしてと。」
 こう言うと祥子は、白いサンダルを履く。庭の犬小屋にいるサブロウを連れて、夜の街道へと出掛けて行った。いつものルートは、近くの酒屋、バイパス沿いのコンビニを通って一回りして帰って来る。

 午後九時、部屋にて、祥子は窓際に並べてある水槽の中のペット達に夕食となる餌を与えていた。そう。申し遅れたが、祥子は犬以外には、変わったペットを飼うのが好きな女子高生だった。一番左にある水槽にはニシキヘビ、一番右の大き目の水槽には小鮫こと、ホオジロザメの子供がオスとメス二匹ずつ、そして真ん中の水槽には、今日下校時に新しく買って来た、これは鰐の子である。種類はクロコダイルだ。アフリカ・アジアに生息している鰐の赤ん坊らしい。この鰐にはラドンちゃんと言う名前を付けた。昔ヒットしたあの怪獣映画の「空の大怪獣ラドン」からそのまま取ったようだ。夕食時にふと考え付いたらしい。
 さっきのニシキヘビにはパイちゃん。あのモンスターパニックのパイソンと言う蛇をパロディーにしており、そしてこの蛇はメスなので、パイちゃん辺りにすれば似合っているのではあるまいかと。まあそれは祥子に聞こう。聞かなくても見当付くか。
 それから、このどんどん増える鮫には、もうな目は付けない事にしている。そう。ある程度大きくなって来れば、この水槽ではもう飼えないので、そこそこ大きくなれば大きく成長した順に、つまり古い順に水槽から出しては、鱶(ふか)鰭(ひれ)スープにして食べる、後に残った骨は、軟骨エキスを抽出して飲む。コラーゲン豊富で美肌効果、潤い効果もあるとの事なのでそう言う寸法らしい。祥子は、生物学と家庭科の食物科のこの二つの科目は得意だった。しかし、それ以外の教科はいまいちと言って過言にならないだろう。特別総合点はあまり良くなく、運動神経も無い。美術センスはそこそこで、そんなに悪くはない。偶には道端の植物や、写真に撮った小鳥をスケッチしたりもする。動植物の図鑑や怪奇小説、怪奇漫画を読むのも好きなので、ちょくちょく古本屋に行ったりもする。

 翌日の朝。祥子は教室で友人と話をしている。
「ねえ祥子。もしかしてまた新しいペット買った?」
「そうよ。次はラドンちゃんって言うの。」
「もう、好きねえ。名前より、今度は何て動物?」
「鰐よ。ふふ。」
「まあ、鰐の子なの?大丈夫?祥子の事だとは思ってたけど、鰐だなんて。相変わらず危険な動物の子ばっかりね。もう大概にしたら?こっちがはらはらしちゃうじゃない。」
このように、軽く諭しているのは、小学校以来の祥子の友人になる女子生徒こと、鈴木香織である。
「だって、子供は可愛いんだもん。」
「くれぐれも外には出さないように気を付けてね。それに、大きくなったらもう飼えないんでしょ?」
「そうだけど、その時はまあその時よ。育て方次第では途中で死んじゃうかも知れないし。」
「あんたは理科なら、特に動物学ぐらいなら得意だから、どうかしらね。大きくなったらあんたはそのペット達を食べちゃうんでしょ。蒲焼きとかにして。」
微苦笑しながら香織は尋ねてみる。
「うん。前も話したけど、そうね。可哀想だけど、仕方無いわ。私は変わった動物をペットとして飼うの好きだし、簡単に成長を止める薬なんて、まだ開発されてないもんね。」
流石に相手が香織なら何でも喋りやすいのだろうか。
「そうそう。この前も言ったんだけど、ホオジロザメはそこそこ大きくなったら、軟骨エキスとか鱶(ふか)鰭(ひれ)、刺身にでもして食べるから。コラーゲンとか豊富で良いそうよ。良かったら分けてあげようか?」
「ううーーん。私は遠慮しようかな。ちょっと食べたからって、ねえ……。まあ考えとくわ。それに美貌ばかり気にしたって、最終的に大切なのは中身よね。天性の容姿にも限界はあるし。」
「じゃあ鰐とかはどうかしら?鰐とかトカゲ、蛙の肉は、鶏肉と似てるらしいよ。」
「うぐっ。詳しいのね、祥子は。でも流石にそれは遠慮するわ。て言うか、いらないかな。鶏肉食べてれば十分でしょうし。ゲテ物食いになっちゃうから。」
「だよね。」
「それより、もうその話やめようよ。私、今日の御弁当にはカラアゲ入ってるの。」
「そう。ごめんごめん。じゃあ私が貰おうか?」
「じゃあ半分あげるわよ。オタクとまでは行かなくとも、不思議ちゃん領域の祥子は、ちょっぴり困ったちゃんかしらね。」
 途端にチャイムが鳴った。もう1時間目の授業が始まる。ガラガラと戸が開くと、先生が入って来る。担任教師の葉山先生だ。担当は英語である。
「さあ皆席に着いてね。授業を始めるわよ。」

 昼休み、祥子は動物図鑑を広げていた。そこへ香織がやって来る。
「ねえ祥子、今日はペットショップとかホームセンターは寄らないの?」
「うん。寄らない。犬のサブロウの散歩当番があるし、御小遣いも乏しいから。」
言いながら祥子は、右足だけ上履きを脱いで足指をくねくねさせている。
「ふうん。だよね。ま、その方が良いと思うわよ。」
「それにしても、利き足は蒸れるわね。その分こうやって擦り合わせ安いんだけど。」

 下校時、自宅の近くの十字路で香織と別れた後、祥子は自転車でゆっくりと家へ向かった。
塀を入り、庭の隅に自転車を止めると、祥子は真っ先にサブロウの所へ走って行った。
「サブロウーー。」
「キャンキャン。クウウン。」
「うふふ。ただいま、サブロウ。寂しかったでしょ?今日は私が御散歩へ連れて行ってあげるね。チュッ。」
両手で抱きしめながら、サブロウにキスするも、流石に犬が人間のメス(女)に対してデレッとする訳はない。でもどうだろうか。
「キュイイン。」
「まあ喜んでるの?じゃあ、これはどうかしら?ほうら、ほうら。」
「ワン。ウウ、ゲエクション……。」
「まあ失礼。こいつぅ。動物乾燥機になって吸い取って貰いたかったのにぃ、なんてね。」
 祥子が右のローファーを脱ぎ、紺色のハイソックスに包まれた足裏の、それも汗とか埃白く変色した爪先部分をサブロウの鼻にあてがうと、サブロウは一気にむせ込んだ。そこへ祥子が頬を膨らませて微笑しながら言った。犬が鼻が良く効くのだから尚且つ仕方が無いのではないか。今日も祥子は足が蒸れているのか。外に出ずにずっと教室にいるからだろう。
 よく歩く人の場合は、ポンプ作用であまり足は蒸れず、じっと部屋で座っている人の方が蒸れやすく、むくみやすいそうだ。特にパンスト等は、暑い日にはかなりむくみやすい。即ち、外回りで良く歩いている営業職のOLより、事務職のOLの方が靴の中も蒸れて臭くなるらしい。

「ちょっと荷物置いて来よっと。待っててね、サブロウ。」

「さあてサブロウ。行こうか。そうね。今日は河川敷の方まで行ってみる?そこでムフフな遊びもしちゃおうかな。」
「ワン、ワン。」
ブレザーだけを脱いだ制服姿のまま祥子が出て来た途端、これから散歩に出掛けると解ったサブロウは、喜んでいるのか、激しく尻尾を振っている。

 それなりの距離を歩くと、河川敷に着いた。縁にでも座って一休み、と思いきや、早速祥子とサブロウはすぐに立ち上がり、川沿いの野原を駆けていた。よくあるシーンだとは思うが。
「さあ、サブロウ。行くわよ!これを取ってらっしゃい!」
祥子はそう叫ぶと、またも良く蒸れた右のローファーをさっと脱ぎ、軽く向こう側へ放り投げた。
「ワオーン。」
張り切ってサブロウは駈けて祥子の靴を取りに行く。投げた物なら何でも良いのか。それに、ローファーが無くなっても知らないぞ、また川にでも落としてしまったら、値段の高い大事な物だから大変だろうと言いたいところだ。第三者が見たなら、そう思うだろうし、祥子も変わり者だ。まあ十人十色と言う事で、個人は尊重するとしよう。
 さて、サブロウが戻って来たか。間違いなく、ちゃんと祥子の黒いローファーを銜(くわ)えている。
「クン、クンン。」
 勿論、匂いとかを嗅ぐ時の擬音ではない。じゃれた時の犬の鳴き声だ。
「よし。偉いわ。じゃあこれをあげるわね。」
御馴染みの、あの骨っこをポケットから取り出すと、祥子はサブロウに与える。
「ワン。」

夕食前、祥子はサブロウの小屋の前で、庭のベンチに座り、両足のローファーと靴下までもを脱いで、ゆったりと涼んでいた。汗ばんだ両足が、空気に当たって気持ち良いのだろうか。サブロウは一瞬だけ祥子の脱ぎ残した紺色のハイソックスに鼻を当てて息を吸い込んだ様子だったが、すぐにまたむせ返って後退りをした。
「祥子。もう御飯よ。いらっしゃい。」
母の呼ぶ声がする。
「うん。」
ここで祥子はローファーのみを履き直して靴下を片手に握ると、玄関へ向かい、家へ入って行った。

「祥子。ここはこう解くのよ。分かる?」
「ふうん、成程。ありがとう。助かったわ。」
 ゴールデンウィークが近付く頃なので、学校から多めの宿題が出されていた。その為、祥子は香織の部屋で、宿題の苦手科目を香織から教わっていたのだ。明日から五月三日なので、ゴールデンウィークを前日に迎えた日の帰りなのだ。
「香織は勉強とか出来るから良いよね。」
「あんたも、努力すれば出来るようになるわよ。」
香織は、祥子とは違い、数学や英語も得意な子だった。寧ろ勉強は出来る方だと言って良い。他にはテニスサークルに所属しており、運動もそこそこは祥子より出来る。
でも真面目で几帳面なところは、親友同士、祥子も香織も似てはいる。
「ところで祥子は、ゴールデンウィークどうすんの?何処か行く?」
「そうだね。動物園にでもスケッチに行こうかなあ。餌も投げ入れてあげたいし。」
「あらら。去年も行ったんじゃない?本当に祥子は動物好きねえ。」
「明日行くわ。」
「じゃあ私も息抜きに、一緒に行ってあげようか?」
「そう。無理しなくて良いんだけど、ありがとね。」
「私も久しぶりだから、何だか行ってみたくなっちゃったって感じかな。」
「じゃあ香織。明日の、ええと、朝九時頃、私の家に集合で良いかな?」
「うん、オッケー。目覚ましも掛けておくわ。」
「今日はありがと。明日宜しくね。」
「うん。」
「そうだ。服装はどうしようかしら。動物園だから制服は駄目かしらね。」
ウキウキしている様子で祥子は言う。
「駄目っしょ。動物園の強烈な匂いが服とかに付いちゃうと嫌だし。万が一ゴリラがウンコとか投げて来たら洒落になんない。」
と笑いながら香織が言う。
「それはないと思うけどね。じゃあ遅いから迷惑にならないよう、私は帰るわ。」
「あ、祥子待って。ゆっくり御茶とかジュースぐらい飲んで行ってよ。下に御菓子もあるから。」

就寝前の時間、祥子は水槽の中にいるペット達に言った。
「じゃあ御休み。明日は御留守番宜しくね。ラドンちゃん、パイちゃん。そして、ホオジロウ達い。なんて。鮫に名前は付けづらいから仕方無いけど。ふふ。じゃ、もう御休みしようかな、と。」
そう言って明かりを消す。

 翌朝、祥子はピンクの七分袖シャツと、七分裾の白いズボンに、踝までの白いソックスに、スニーカーを言う格好で玄関を出る。
「じゃあサブロウにも朝の挨拶、と。そしてサブロウの朝食。はいサブロウ。どうぞ。召し上がれ。じゃあ行って来るわね。御父さんも御母さんもまだ寝てるから、番を宜しく。」
こう言って祥子が出た五分後には、もう香織も祥子の家の傍まで来た。香織は低く軽く手を振っている。

 香織は、黄色いワンピースを着ていた。下は紐付きサンダルだ。
「祥子お、御待たせ。じゃあ行こうか。」
 自転車で十分程度の駅まで向かい、二人は出掛けて行った。

 休日だと言うのに、こうにも電車の中では、制服姿、体操着姿の高校生、特に女子高生を見掛けるのだから不思議に思うようだが、休日にも割と制服で遊びに行ったりする子も女子の中には結構この地域ではいるようだし、文化部とかサークルによっては制服で学校へ向かっている生徒も勿論いるだろう。体操着は、運動部の連中だ。また、活動時間の長い吹奏楽部なら、時々ストレッチをしたりもするからその時は体操着を着用する。
 このように、疎(まば)らに制服、セーラー服姿を見掛ける。この連休は、割と混んでいると言って良いと思う。
 祥子達の向かい合いの席には、仲良さそうな女子高生三人が座っている。三人ともビンゴにも容姿端麗だ。一人は可愛らしいと言うべきか。そのうちの二人は脚を組んでいる。何かの実行委員か吹奏楽部の部員なのか、レジャーへ出掛けているのかは知らないが。
 ここでふと祥子はこう考えてみる。この娘達なら、獰猛(どうもう)な鰐に遭遇すれば脚から飲み込まれてしまいそうだ、ライオンに遭遇すれば脚から齧られそうだ、等と。確かに皆白くて綺麗な美脚だが、可笑しな事を考えるものだと自分でもそう思う次第だ。また近くにいるサバサバした服装の軟派っぽい男と、またもう一人の地味な服装をして文庫本を片手で広げている男が、祥子と同じように思っているのかどうかは知らない。人間には何らかのフェティシズムがあり、人間は他の動物と比べ、変態かムッツリ変態かのどちらかになるだろう。部分フェチと言うものが人間にはそれぞれ強く執着している。

「さあ。動物園に着いたら先ず何を描こうかなあ。」
到着した駅で電車を降りつつ、祥子は上を向きながらそう呟いた。

 駅から歩く事五分。動物園に着く。もうそろそろ十時を回る頃だった。
「入ってすぐは、パンダだったわね。まあ可愛い。でも寝てるう。」
いつも内気な祥子でも、こんな時は陽気にはしゃいでいられるようだ。仲の良い香織も一緒にいる事だし。
「パンダをスケッチするの?祥子。」
「そうね。描きやすいって言うのもあるし、ウォーミングアップに丁度良いかなと。」
「そう。じゃあ私は近くで他の動物見てるから、ゆっくりやってて。」
そう言うと香織は祥子の傍を少し離れて行った。
 パンダのデッサンが終わると、次はペンギンの所へ言った。ペタペタと徐(おもむろ)に歩く姿は可愛くて愛嬌があると、他にコメントが浮かばない。ライオンとか虎も寝ていた。白熊とか猿、豹は動き回っているので、写真に撮って今度描く事にするとして、屋内へ入ると、次は、エリマキトカゲや九官鳥、コブラ等がいる。また外へ出ると、象やキリンを眺めた。
 午後一時を過ぎたが、昼食の時間だ。放し飼いにしている孔雀からは逃げるように、レストランの中へ二人は入って行った。
「ねえ祥子。もう半分は見て終わったかなあ。」
「ううん。三分の二ぐらいだよ。」
「もうそんなに?」
「うん。だってルートは把握してるもん。」
「流石、と言うべきかしらね。」
微笑みながら香織は言う。これは感心と言うべきか。
「さあ。次は私もこの間買った鰐を見ようか。ねえ、今度の夏には水族館行こうか。そこではスケッチはちょっと無理だけど。そこにはホオジロザメとかもいるの。私も飼ってる。」
「あらら。もう夏の話?まだ春真っ只中よ。」
半分呆れるように香織は突っ込む。御約束の会話と言うところだろう。
「鮫がぱくっと、烏賊とか、他の魚を食べるのよ。」
「はいはい。」

夕方五時頃、二人は漸く帰路に着く。祥子は部屋へ戻ると、ベッドにバタンと横になる。
「ふう。」
一息付くと、そのまま夕食の時間まで眠り込んでしまった。

 ゴールデンウィーク二日目は、祥子は一人自宅で裁縫やテレビゲーム、漫画を読みながら、一日を過ごした。

 最後の休みになる五日は、祥子は昼食前に近くの小さな山を少し登り、広がる森の中、木の下でゆっくりとマイナスイオンを吸い込んだ。三十分そうしているだけで、結構なメンタルサプリになるらしい。人見知りで窮屈な祥子には大変良い。それに連休明けがしんどい事は祥子にも分かっていたのだから。ふとそこへ野兎がひょこりっと飛んで出たが、特に捕まえようとも思わなかった。捕まりっこないからだろう。
 その時の祥子は、上は白い長袖のブラウスで、その上から青のワンピース。白いハイソックスに、黒のストラップシューズを着用していた。そこへ兎とは、まるでこれは邦画版の「不思議の国のアリス」か、と言う感じだ。でも偶然だ。
 この日の夕方、祥子はまたペットを買って来た。亀だ。それも普通の亀ではないようだ。これは何だろうか。そうだ。これはワニガメだ。大変どうもうな性質を持ち、図体も他の亀より大きくなる。飼うにはもう少し大きな水槽かまたは、小さな池が必要になるだろう。
でもまだ赤ん坊のようなので、小さい水槽とか金魚鉢でも十分に飼える。大きくなったならなったで、またその時に考えるとして、さておく。サイズの大きい水槽を購入するか、また小遣いが乏しければ、引き取って貰うなり殺して捨てるなり食べるなり(一応食べられると思う)する他なくなる。池とかを掘るには、祥子の親が賛同はしてくれないだろう。祥子が変わった趣味を持つと言う事は、親も承知しているが、流石にそこまではよしと言わない筈だ。庭のスペースは足りないし、家のローンもまだあるので幾らでも予算の無駄遣いは出来ない。
 では、ここで祥子がこんな亀を買って来た理由とは。そう。祥子は小学校の頃、スッポンを一匹飼っていた事がある。人の指でも何にでも噛み付くと言われる、あの少し兇暴な亀ことそのスッポンが大きく成長仕掛けた頃に、スッポンのスープ、スッポンエキス等、スッポン料理が大変健康に良いと、テレビのコマーシャル等で評判になった事がある。その為、祥子の矢も祥子自身もスッポンを早速食べてみようと言う気になったとの事だ。それで、そのスッポンはとうの昔に家族皆で食べてしまった。スッポンの体半分を煮付けにし、もう半分をスープにして食べたらしい。思っていたより美味しかったと言う。味の好みは人それぞれなのでここからは何とも言えないが。最近はスッポンエキスが錠剤のサプリメントとしても出ているので、スッポンの料理を普通に食べたいとは思わない場合は、そちらを購入して摂取する事を勧める。タフな身体を作り、ローヤルゼリーも配合されている。健康マニアには御勧めの一品にはなるが、何でもそう購入していてはきりがなくなるので買わなくとも良い。
 しかしこのワニガメは危険な生物なので、水槽にはくれぐれも手を入れないように注意すべきである。川とか用水に離してしまえば大ごとだ。
 祥子は、水槽を眺めながら言う。
「これも今のところは、”可愛い”としか形容詞浮かばないかなあ。でもそのうちに、”怖い”となるのね。でもそれまでは宜しくね。そうだ。今度香織にも見せようかな。」
ここで祥子はふわああと軽く欠伸をする。
「さあ。御飯の前にちょっと一眠りしようかな。そうだ。この子の名前も考えてあげなくちゃ。ううん、そうねえ、何がいいかなあ。」
と、祥子はベッドに座って白いハイソックスを脱ぎながら考えていた。間もなく素足になったところで、祥子は何か考え付いたのか。指をパチンと鳴らした。
「そうだわ。この子の名前は、ガメラよ。宜しくね、ガメラちゃん。」
 矢張りそう来たか。

 連休明けになる日、祥子は学校に来ると、香織はルーズソックスを履いて来ていた。祥子が通うこの学校では、ソックスに関する細かい規定がある訳でもなく、普通の綿の紺や黒、白のソックスでも、ルーズソックスでも、この四種類の中の何れかならどんな靴下を履いていても自由だった。しかし、制服のデコレーションについては、男子はネクタイが必須で女子はリボンと決まっているのだが。
「ふう。初めてのルーズを履いて来たわ。昨日買ったのよ。どうしてだと思う?祥子。」
「さあ、どうしてかしら。」
「だってほら、もうすぐ夏になるでしょう?熱くなるとルーズでは蒸れちゃうし、それに六月は梅雨になるじゃない。雨が降ると、外を歩けばルーズは汗と雨で変な嫌な匂いになっちゃうからね。」
「うんうん。」
「それで、その時期になる前にちょっと履いておいてみたかったなあ、とそう思っちゃった訳なのよ。」
「成る程。でも私はルーズはまだ良いかな。寒くなってからちょっと履いてみるわ。癖にはならないようにするけど。」
「祥子は几帳面で引っ込み思案だしね。ルーズみたいなのはあまり似合わないと思うから。」
「香織だって、真面目じゃない。コギャルじゃあるまいし。」
「コギャルじゃなくても、履く子は皆いつでも履くのよ。」
「そう。ねえところで話変わるんだけど、私また新しいペット買っちゃったのよ。今度は両生類なの。それでね…………。」

この日祥子は、帰ると冷凍室から生の鶏肉、牛肉を少し取り出して2階へ持って行き、水槽の中のワニガメに与えてみた。うまそうに食べている。餌はまだ購入していなかったので、今度はコンビーフを買って来ようかなとも考えていた。コンビーフを買うまで、ホオジロザメの食べる餌でもやっていたら食べるかなと思ったのでそうしてみる事にした。                        

 最近祥子はアルバイトを始めていた。趣味の他に、大きくなるホオジロザメの水槽を買う為の御金が欲しかったのだ。また餌代も馬鹿にならなくなる。でも祥子はこのような生き物を飼うのが好きなので仕方がないし、そう苦には思っていないだろう。その為にファミレスでウェイトレスのバイトをするのだそうだ。
 でも、ホオジロザメが子を産むようになれば、そのホオジロザメの子供を、あのラドンちゃんこと鰐及び、ワニガメの水槽に入れればちゃんとした餌にもなるから食物連鎖としても丁度良い、ある程度は餌代が浮いて来るとも考えている。
 六月の二週目になる頃、祥子の学校でスクープがあった。アメリカへ修学旅行に行って帰って来た三年生の中の、カメラを持ったある生徒一人が、珍しい写真を撮影して土産として持って帰って来た。可笑しな生き物を見かけたらしい。ここで、祥子の学校は、修学旅行は何処へ行くかは、選択肢がバラエティに富んでおり、国内は北海道とか九州、沖縄、東京ディズニーランドと色々あるが、海外へも行ける。アメリカの他にはオーストラリアやブラジル、韓国、イタリア、フランス、オランダ、スイスと、好きなところを選べるようにプリントには書いてある。香織は、その事について、部活の先輩から見せて貰いながら聞いていた。それを見て香織も「へええ。」と驚いていたらしい。
 話を戻すが、その生き物とは、何とも牙の生えた”トカゲ”である。それも二束歩行で歩く事が多く、すばしっこいので、写真撮影でスイッチを押した途端に、チョロチョロッと走って逃げて行ったらしい。写真に証拠としては納まっていたので、それをある特報番組の、投稿写真スペシャルのコーナーに出し、その子は軽い賞金を得て、新聞にも掲載されたので一躍有名にはなった。でも現物がないのですぐに忘れられそうではある。捕まえるにはあまりにも素早くて手に負えないのだから。そう言えば前には、「長い牙が二本も生えた兎がいた」事についても、その番組の投稿写真には出ていた。あれも吃驚(びっくり)はするだろう。
 祥子も香織も一時は驚嘆したが、すぐに二年後の修学旅行の楽しみへ気が回って行ってしまった。
「ねえ、祥子は修学旅行とかは、何処へ行きたい?」
「ううーん。まだ分からないかなあ。費用の事も考えなくちゃと思うし。」
「それもそうね。まだ先の事だもんね。出来れば一緒な所へ行きたいよね。」
「うん。」
「御互い、御小遣いしっかり貯めて、海外へ行けるようにしたいよね。いつまでも日本ばかりにいるのって飽きちゃうもんね。」
 国道沿いを自転車でゆっくりと進みながら、二人は話していた。
 修学旅行へ海外か。海外とかへ行くなら、一週間程度は家を出る事になろう。ここで水辺のペットを飼っている祥子の場合なら、嫌でも親に世話を頼んでおかなくてはならなくなる。こっそり捨てられたり殺されたりはしないものかと内心、不安にもなるところだ。祥子の両親は、比較的魚介類とか爬虫類とか、その手の生き物は好きではない。では祥子は一体誰の遺伝子を受け継いでいるのかと思うところにもなるだろうが、誰の遺伝子でもなく、祥子の持って生まれての気質なのだろう。肉体、体質はそうまでも、精神までもは流石に受け継がれはしないのではあるまいか。凡人から天才が生まれたりなど、脳の仕組みは親子ではそう似る事はないものか。教育の仕方によって子は変わると言うが、天性によって与えられたセンスや価値観は、そう簡単に変わるものではない。親と子も別人であって、分身ではない。
 動物についても、また同じような事が言えるだろう。
 しかし、蛙の子は矢張り蛙であるし、猫から虎が生まれたりする事はない。全ての生き物が進化するとは言うが、それはまた違う。毒の無い蛇から毒蛇が生まれる事はないし、また毒を持たない蛇と毒蛇との間に子供が生まれる事もないそうだ。
 ホモ・サピエンスとは言われど、、種類は同じでも性の何もかもが共通して属している訳ではない。それぞれ同じ類でも性質は異なる。同じ猫でも、気の優しいものと、荒いもの。更に掴みどころのない人間には、幾多もの性格や体型がある。性的欲望や部分フェティシズムについても好み、価値観は十人十色だ。考え方も感じ方も異なる。そして夢や希望も星のようにバラバラである。自分を守ろうとする者、他者を第一に守ろうとする者、過保護な者、両方の調和を取ろうと図る合理的な者、自分以外の存在を除けようとする者と、様々だ。何が正しいのかは分からない。それぞれどれにも正しさがあり、欠陥もある。どれが要領良いかは、環境や場所によっても異なる。
 この賢いとも愚かだとも謳われる人間は如何なる存在なのか。他の全ての動物を利用して生きる事もあれば、逆に他の動物が天敵になってその手によって滅ぶ事もある。
定義と言う事のその定義さえ解らないまま過ぎる事こそが、ここに生きる人間にとっての全てにも成り得ようか。宇宙の全てもそれか。動物の世界のように単純に弱肉強食と言う無秩序で残酷な自然状態のままと言う事でもなく、何か見えないモノによって守られていると言った具合か。
人には性同一性障害と言うものもあり、性と身体と心が一致しない事も屡(しばしば)である。
一般的に、男性は女性より二倍程度の発汗があり、体臭も強いと言われる。だが、遺伝によっては体臭がきつくない男性もいるし、体臭がきつい女性もいる。個人差はあるのだ。平均とは、その上下も平均の位置から揺れ動いていると言う事であって、平衡ばかりが保たれる事はある筈もない。完全に平衡を保った人間もきっと、いはしないだろう。それでも白と黒のバランスは少しでも取れるようにする事が大切だ。脂足に悩むのは成人男性ばかりでなく、若い女性でも脂足や多汗症に悩む人は少なからずいる。それらによって、次々と新商品が開発され、新聞や広告の記事によって宣伝されながら話題を呼び、企業は売り上げ向上の催促を図っているのだろう。因果関係はあちらからこちらへと巡り続ける。川の流れのように。
そう。人生とは川の流れのようなものである。元ある上流から如何にうまく広い海まで水や石を送り付けるか。途中で詰まって動けなくなる物もある。石などの障害物があるからであって、その石自身も小さな物は削れながら流れるが、ごつごつしたものもやがては丸くなり、下流の域で留まって、最後まで流れる石も多くはない。途中で陸や小さな島のような水の流れていない場所へ打ち上げられる。そうなる石の事の事は、知る筈も無いだろう。これは、九十歳や百歳まで生きられない人が多い事とも似通ってはいる。寿命と言うものにも差は出るが、永遠の命は有り得ない。何事も全てが儚い。生命ある者はやがて天に帰る。これは自然の摂理であって、誰にも逆らえない。この若さと老いと言う過程を大切にしながら過ごして行くべきだろう。石も腐ったり苔が生える。石に生えるカビが苔なのだろう。

 ある夕方、祥子は学校から帰宅後、すぐにソファに座っては、靴下を脱いで爪を切っていた。霊やエイリアンの存在そのものを信じている訳ではないのだが、ジンクスに興味があって、縁起をすぐに担ぐ気質の祥子としては、「夜爪を切ると親の死に目に会えない。」と言うこの一つのジンクスを気にして、夜には切らない事にしているのだ。まだギリギリ夕方なので夜と言える時刻ではないであろう。でも晩飯と夕飯は同じだ。大丈夫なのか?さておき。でも大抵、多くの人が爪は夜切っているのではないかと言う気もしてならないが。部活で遅くなる学生や、夜遅いサラリーマンとかなら仕事から帰って来た後、一服を兼ねてその夜にでも爪を切っているのではなかろうか。それとも休日を突き止めて切る人もいるのか。まあ人それぞれなのでどうでも良い事だ。他には「夜に笛を吹くと蛇が出る。」と言うのもある。だがしかし、生き物好きで蛇も前から飼っている程の祥子なら、これぐらいは特に気にしないようだ。蛇が現れたって部屋の中に突然蛇なんて現れない。出たとしても窓の外を這い上がって来る程度のものだろう。戸を閉めて置けば大丈夫だ。それに笛の練習は、皆夜、食事の後とか、寝る前に部屋でしたりするものではないだろうか。翌日に音楽の授業の笛のテストを控えた小中高の学生なら、なるべく遅い時間に必死で練習しているのではないか。祥子は小中、そして高になる今と、毎晩、そしてリハーサルは勿論前日の夜にしている。当日の早朝に目が覚めればその早朝にもしていた。ジンクスの話に戻るが、あくまでジンクスは迷信なのであてにする事もない。しかし人は無意識に励まし、戒めとそのような言い伝えや空想に心を委ねたりするものなのだ。神秘的なものを純粋に直接信じる訳ではないが、そう言うものだ。本や漫画、映画と言った虚構を楽しむ人間にとっては生き甲斐と言って良い。ここで、信じる心が不思議な力となって奇跡が起こる云々についてもそのまま置くので良い。それも漫画等と言った虚構の世界だ。虚構の世界では何が起ころうと自由だ。人がやたら死ぬホラー映画を楽しむ人についても、それはあくまでフィクションと言う作り事だから面白い、楽しめるのであって、実際にそのような出来事が起こって欲しい訳ではない。殺人シーンや戦争映画を好んでみる人についても、本当に殺人や戦争が起こって欲しいと言う訳でなく、その物語の中を鑑賞して空想し、そこにあるリアリティ、スリルを味わう事で快楽になれるのが関の山であろう。少女惨殺シーンを好むロリータな人でも、本当にそうなって欲しいと考える人間や、影響を受けて実行に移す人間はほんの一握りしかいない。フィクションならではであって、実際に起こると可哀想だと誰もが思うに決まっている。現実と虚構は繋がりはないが、現実なくして虚構(空想・妄想)はなく、満足感と虚しさで人も動物もこうして生きている。

「ふう。汚いんだけど、この爪とかカルシウムの錠剤を、昔はあんな変な事とかしてたっけなあ。くすくす。」
こう思いながら祥子は言っている。
 祥子は昔、よその犬にこっそり餌を与えたりしていた事があったのだ。いけないとは解っていても、癖になるとこれが中々やめられない。フライドチキンを食べては暇ならその残った骨を袋に入れては持って行き、魚を食べては持って行きしていた事もある。サブロウがいない頃はよくそんな事をやっていたものだった。内向的な子は何を考え出すかが解らないから怖いと言われるのか。でも流石に、自分の切った爪とか錠剤のカルシウムサプリメントは、よその飼い犬は食べなかったし、サブロウも食べない。骨が好きなら同じカルシウムとしてどうだったのだろうかとは思っていたのだが、矢張り犬や猫にも食習慣と言うものが付くので、慣れない物は食べようとしないそうだ。でも犬なら野菜と果物以外、大抵の物なら何でも食べる。肉や魚、またその骨の他に、御菓子は勿論食べる。パンも食べる。御飯は、何かと混ぜれば食べるが、普通に御飯だけ与えると食べない時もあった。余程腹を空かせている野良なら別かも知れないのだが。そうだ。祥子のいとこが飼っている猫は、贅沢で決まったものしか与えても口にしようとしないそうだ。その猫は水槽の金魚やメダカも食べようとはせず、水槽の水だけを時々飲む。パンが好きで煮干しは食べない。魚の身は少しなら食べる。こう言う事だが、野良猫なら生きている魚や鳥をバリバリ食べたりするだろう。でも生きている他の動物を襲うような事は、普通の犬や猫ならしない。

今年も夏がやって来た。ある休日、祥子はサブロウを連れて、散歩に出掛けていた。祥子の部屋にいる変なペット達は、勿論、皆祥子の部屋で留守番である。鰐のラドンちゃんとか、人食い鮫のホオジロザメは水槽で飼うものだし、ニシキヘビのパイちゃんだって、流石に外には出せない。
「ふう。ねえサブロウ。今日も暑いわね。汗べっとりだわ。」
「ワン。」
サブロウに言葉ははたして通じているのか。中々利口な犬だけれど、人の言う事は何処まで理解出来ているのか。
 一休みしようと、祥子とサブロウは河川敷まで降りて座り込み、水辺を眺めていると、そこへ香織がやって来た。買い物袋を抱えている為、どうやら買い物の帰りらしい。
「あら、祥子じゃない。犬のサブロウも一緒のようね。散歩でしょう。」
と香織は上から目線で見下ろすように話し掛けて来た。
「あ、香織か。うん、散歩かな。」
「ねえ。ところで祥子。昨日のあの脅威特集番組、見た?」
「ああ、あれ?見たわよ。特にあの海外であった出来事の分が怖かったなあ。親子連れで大きな川へキャンプに行ったところ、子供が泳いでいると、鰐に襲われた話よね。」
「食べられそうになったところ、大人が銃とかを用意してくれて助かったのよね。でも子供は脚から大量出血。病院に運ばれたそうじゃないの。やっぱり鰐は怖いよねえ。」
「う、うん。でもさすがにこの川に鰐とかはいないよね。」
微苦笑しながら祥子は言う。
「そりゃそうよ。あ、鰐を飼ってる祥子さん。くれぐれも鰐とかなんかをを離してしまわないように気を付けるのよ。」
「うん、気を付けるわね。他のペットも。」
「じゃあね。私ちょっと急いでるから。」
「バイバイ。」
 そして祥子はそのまま香りと別れる。香織は河川敷に下りずに去って行った。
「ふう、川や沼には鰐かあ。恐ろしいわね。私もサブロウも一口よね。ねえサブロウ。」
「クウン。」
サブロウは、閉じていた目を徐に開いて答える。
「さて。御散歩の続きをしようか。もう帰りだけどね。」
祥子は立ち上がり、帰路に付く。

 次の日、学校からの帰り道、祥子と香織の二人は話し込んでいた。
「もうすぐ夏休みね。」
香織が言うと、
「うん。後三週間ぐらい。長いようで短いのよね。」
「テストどうだった?」
「私?聞かなくても解ると思うんだけど、ね……。」
「理科と家庭科以外は自信ないの?」
「うん、そう。」
ここで祥子は、自転車を漕ぐ足が少しだけゆっくり目になる。

更に次の日の朝、授業でテストが帰って来る。
「さあ早速だが、テスト返すぞ。」
次々にテストが返される。
 漸く祥子のところにも返って来た。予想通り点数は芳しくないが、辛うじて追試は免れたようだ。
「授業をまともに聞いていれば、八十点は取れるぞ。」
先生はこう言うが、授業を聞くぐらいでは駄目に決まっているのではないか。きちんと常日頃から復讐していないと無理がある。天才児が揃うような学校でもあるまい。

帰り、校門を出る頃、祥子は生徒の流れをボンヤリと眺めながらゆっくりと自転車置き場へ向かっていた。今日のテストの事もあったのなら尚更だ。今日テスト帰って来た?とかテストどうだった?等、違うクラスの者同士で雑談し合っている生徒が見受けられる。これも無理もない事だろう。と言うより自然な光景だ。
もう七月の中旬になる。半袖の白い夏服の下には、女生徒は白いソックスを三つ折りにしてストラップローファー或いはローファー、スニーカーを履いている子と色々いた。ソックスは魅力的な三つ折りが多い。暑いなら大抵はこうする人がいる。中にはそのまま膝辺りまで伸ばした生徒もいる。この季節に、ルーズは蒸れるので少ない。数えるぐらいしか見掛けない。紺色のハイソックスは、それなりにいる。
 ここで祥子はと言えば、そんなには拘らない為、今日はふくらはぎの下ぐらいまでの短いソックスにスニーカーだった。後から出て来る香織だが、紺色のハイソックスをそのまま伸ばしてローファーを履いている。
「あ、祥子。御疲れ様。」
香織が後方から喋りかけて来る。

「ただいま。」
祥子は家へ帰ると、真っ先に部屋に行き、大の字にベッドに倒れ込んだ。そしてすぐに起き上がり、窓辺に並べてある水槽を眺めた。これで少しは落ち着くのだろうか。
「ふう。山羊とか飼ってたら答案食べさせるんだけど、私は山羊は飼わないなあ。庭はそんなに広くないし、広い土地も無いから……。」
祥子はぶつくさと独り言を言っている。

夏休みに入り、一週間が過ぎた頃、祥子は香織と二人、喫茶店で女の子同士のランチタイムを取っていた。喉も渇いていたのでドリンクバーも頼んであり、好きなだけ飲みながら悠に二時間はここで過ごしているようだ。
「ねえ祥子。早い話だけど、将来とか何か考えた事ある?」
テーブルの向かい合いの祥子に香織は話し掛ける。
「私?うううん、ちょっとまだ分からないかなあ。」
「そう。割と時は過ぎるの早いから、色々考えた方が良いかもねと思って。人見知りの祥子には、OLとかになると色々ありそうよね。何かキャリアを積んで専門職には就こうとか思わない?」
「香織はどうなの?」
「私も実はまだ考え中なの。OLならOLでもと思うし、大学行くなら資格取得考えたりとか、気が向けば公務員試験の勉強も考えたりするかも。少子高齢化が進む中ではかなりの介護ブームだから、そちらの方面もどうかなとかね。それとも教職取って先生になろうかなあ、なんて。」
「そうね。」
「香織も一応進学するんでしょ?女子大とかに。」
「うん。でも気が変わったら専門学校とか色々考えるかも知れないし。」
「専門学校かあ。プロ意識ある人が集まる場所よね。そうねえ。祥子は手先なら結構器用だから、美容師とかどう?なんて。」
「それはちょっとやらないかなあ。」
「じゃあ、動物が好きなら動物のトリマーとかは?」
「それは良いかも。でも分からないなあ。」
「自営業とかはこの時代はちょっときついから、ペットショップ経営、じゃなくて、ペットショップ勤務とか、動物園勤務は?」
「ああ頭痛い。ふふ。」
「あはは。」
こうして二人は何気無く談笑し合っているのだった。将来の事はやっぱり誰にも解らない。思い掛けない事も様々な今日この現代、人や動物はどう変わり得るのだろうか。
 祥子はこの後、香織と別れてから帰り道、レンタルショップに寄り、SF、ホラー映画のコーナーをメインに眺めていた。
祥子は色々と迷っているようだ。ううーん。今日はどれ借りようかなあ。ジョーズもゾンビも見た事あるし……こちらのクロコダイルも1と2、両方見終わったなあ。特に2の方では、あのスチュワーデスが沼の中で突然やられるシーン、ビックリするけど、夜と雨のせいで流血とかはっきり見えなかったかなあ。でも強盗が最後に全員やられたからまだ良かったけど。あ、こちらのパイソンも見てる、とこのように。
 迷った末に、祥子はこちらのアリゲーターを、パート1、パート2と、この二本を借りる事にした。これもまた鰐のようだ。洋画のパニックと言うのは特に流血惨事みたいなシチュエーションが邦画よりえげつない。まだ邦画はインパクトに欠けると言って良いか。生温いと言うべきか。

「ただいま……。」
家に帰ると、祥子は洋間へ行ってテレビとビデオデッキの電源を入れる。DVDならプレステ2でも代替見れるが、テープが安いので今日はテープで借りて来た。
「うわあ。相変わらずこれもじわじわと人がやられて行くわね。」
祥子は見入っていた。
うわ、今度はメイドが食べられてる。脚から飲み込まれてる…………うわ、あんな小さな子供まで?……………………で、最後にはああやって汚染物を流した社長が捕食されて終わるのね。最後にはバズーカで鰐が一発、と。

「ああ、面白かった、じゃなくて、怖かった。怖面白かった、かな。あんなのが街に出て来たら大変ね。」
もう二つとも見終わったのか。暇なら明日にでも返しに行けるだろう。もっと沢山借りて来ても良かったのでは、と思ったりする。レンタルビデオ中毒者(別に病気ではありませんね。)なら誰にでも一度、二度はある経験ではないだろうか。

夕食時だった。
「祥子が、蛇とかなんて飼ってるから、唐揚げが蛇やトカゲの肉に思えちゃうわね。今日は牛肉しか無いからまだ良いけど。」
「そうかしらね。私は平気。それに、唐揚げを出してる時はこんな話しないでしょ。」
と、母に対し祥子は答える。
「そうだけど。」
想像すりゃどんな時も厭(いや)になるだろう。特に丸焼とか原型のまま出てくれば、トカゲだろうと蛇だろうとスズメだろうと嫌悪感が先立って食べる気がしなくなる。祥子も香織もそのような物、ゲテ物食いは好きではない。串焼きではスズメの唐揚げぐらいなら出て来る。人によっては中々美味しいとは聞くが、この時代、普通に鶏を好きになれば食べたいとも思わないだろう。その違和感が厭になるのだ。食わず嫌いとか、慣れればどうと言う事はなくなるだろうが、そこまで貫けるのかどうかが困難なものである。誰もがそう考えはしないか。
羊も牛科で、マトンこと羊の肉は、牛肉の味とそっくりだ。しかし、祥子自身は牛肉を食べ続けて来た為、突然羊はどうとなれば。初めての時は少しばかり戸惑ったものだ。でもウマかった。羊は北海道で主にジンギスカンとして名物になっている。焼肉とそう変りないのでいける。他地方から旅行へ来た人は折角なので大抵食べているのではないだろうか。と言うか、一週間も滞在すれば食べる事になるのではないかと。

 この日、祥子は一人で近くの市民プールへ泳ぎに行っていた。最近運動不足だった為、偶には全身の運動を行い且(か)つ、体内から乳酸を放り出してしまおうと考えたのだ。
身体中に乳酸が貯まると、イライラや頭痛、眼精疲労の素(もと)になる。そこで祥子は暑さ逃れと乳酸噴出、脂肪噴出も兼ねて久しぶりに水泳を始めてみる事にした。
 更衣室でスクール水着に着替えた後、屋内の水深一二○メートル程のプールへと向かった。飛び込み台も設置されてあるが、流石に飛び込みは苦手だし、腹ぼてとかしたら堪らない。しかもそのトラウマを一つ抱えていたのだ。小学校の頃だったか。

ザパンッ

「はあ、気持ちいい。泳ぐの久し振りだなあ。筋肉痛にならないかしら。まあその時はその時だ。さ、泳ご。」
祥子は背泳ぎとかバタフライまでは得意でないので、普通のクロールだ。平泳ぎは微妙なところだ。片足しか動いていない時があるようで……。犬かきは、出来るにしても流石にちょっと恥ずかしい。
「ぷはあ!!広いプールね。そう言えば、こんなプールに鮫が落とされて泳いでいたような漫画があったわね。見たのはアニメでだけど。でもまさか、こんなプールに鮫や鰐が迷い込んでくるなんて事、ないわよね。あっても稀の稀ね。さて、もう一泳ぎしてそろそろでようかな。私、そんなに体力ないし。」
香織ならまだ祥子の三倍は泳ぐだろうが、祥子はこれぐらいでもうダウンだ。水泳が好きでもスタミナが微妙な人は計二百メートル~三百メートル程度で上がるものだろう。出来る人は何千メートルでも何万メートルでも泳ぐ。勿論殆どの人は休みながらだが。
そのような泳ぎのうまい人間も魚ではないし、早くも長くも泳いではいられないだろう。人は水中では鮫には勝てない。そして鮫は、爬虫類且つ両生類で頑丈な鰐には勝てない。
 ところで、祥子は矢張りペットの鮫、鰐が大きくなれば殺してしまうのか。食べる気なのか。鮫なら水族館、鰐なら鰐園等で引き取って貰えればそれが良いとも思うが。
確かに、成長を止める薬は無い。あったとしても相当な高額だろう。あのポケットモンスターと言うゲームの、ピカチュウの場合は、雷の石と言うアイテムでも使わない限り、進化する事はないので、いつまでも女の子の可愛いペットとかとして育てるのも良いところだと言われる。でもこの世はそんなファンタジーではない。自然の摂理には逆らえない。弱肉強食と言う無秩序で理不尽な自然状態の中で、動物や魚達は生きている。小さな魚が料理されたり他の大きな魚や鰐に捕食されたりしているのだから、鰐や鮫もどんどん料理すれば良いだろう。鰐もチキンと似てうまいと聞いた事あるが、サバイバルにでもならない限り食べる気はしないだろう。

 祥子は、いつか高校最後の夏が来れば、香織と海へ行って過ごそうと考えていた。
よくありそうなシチュエーションだ。
 夏休み中は、祥子は百貨店で週に三日程アルバイトをしていた。夏休みに入る頃に、祥子はレストランでの接客アルバイトはやめていた。ほんの三ヶ月だ。祥子には何処か気質に合わなかったと言って良い。緊張してオロオロしては、時々御客様からのオーダーを間違える。釣銭を渡す金額を間違えた事もある。ウェイトレスとしての仕事はここが窮屈で堪らなかったようだ。対人赤面症だと自分でも解っていたなら何故あのような所で働いたのだろう。御金が欲しいからである。特にペットの餌代は犬のサブロウ以外の室内で飼っているペットの分は祥子が出しているし、ゲームや漫画、遊びに行く御金も月三千円では乏しいのだろう。肉体労働とか風俗、システム管理等、体力や知力を使う仕事よりはしやすそうだと思ったかららしい。しかし、その上祥子は学校でもクラスで一番の人見知りだ。これも向くとは言えないのだろう。なので、百貨店で裏方として付く事にしたのだった。
そこでは、偶に御客様から商品の有無を聞かれた時に答えておけば良いぐらいである。後は品物の補充、整理、在庫チェック、簡単な伝票の整理等である。
 この仕事をどうにか頑張って続ける事にした。それに何れは働かなくてはならないのだから。
「ああ、小さな動物とかペットを見てると癒されるなあ。いつまでも可愛いままとは限らなくてもね。」
部屋で祥子は微かに囁いていた。こうして夏休みももう少しで終わる。

 夏休みが明けて一か月が経過しようとしていた頃、祥子と香織は帰り道で話をしていた。
「もうすぐ十月よね。早いよねえ、ほんと。」
「そうね。そう言えば、十月からはもう秋服更衣になるんだよね。」
祥子は眼をパチクリさせながら香織に尋ねてみる。
「そうそう。この半袖シャツとはもう暫く御別れして、次は長袖の白シャツか、もしくはブラウスね。」
白カッターシャツにしようと、白のブラウスにしようと祥子達の学校では自由らしい。
「確か、寒いなら黒や紺のベストとかセーターを上に着けても良いのだったかな。」
「そうよ。私は黒いベストかな。OLの事務服みたいになるんだけど。」
「じゃあ私もそうしようかな。」
「どれでも好きなの選んだら良いじゃない。毎日のようにコロコロ変える子だっているよ。私はだけど、セーターはまた十二月とかに寒くなってブレザー着掛けた頃に、ブレザーの下に着るって形にするわ。その時ベストはもう着なくても良いわね。セーターが当然温かいし。」
「私もブレザーにならないうちはベストにする。何か引き締まってる感じがするから。」
「そう。それで良いじゃない。後、靴下なんだけど、紺のハイソックスが多くなるみたいよ。ルーズも良いけど、事務服みたいのとかにルーズはちょっと変な感じじゃない?やっぱり黒か紺のスクールソックスとかが一番よ。黒タイツや黒ストッキングもオッケーだけど、それもまた寒くなってからね。」
香織は微笑むように言う。祥子はそれを真顔でじっと聞いている感じだ。
「そう。あ、もう分かれ道。じゃあね。」
「うん、バイバイ。祥子。」
 このまま家に帰り、祥子はキャビネットから長袖の白シャツとブラウス、黒のベストとセーターを両方取り出す。そしてどちらを着るか悩んでいた。どちらもパッと見ではそう変わり映えしないのだが。
「決めた。」

秋服を着用するようになって一週間が過ぎ去ろうとしていた頃の帰り道だった。
「ふう。涼しくなったのはなったけど、自転車飛ばすとそれなりに汗かくわね。」
「うん。」
香織が尋ねると、祥子は頷く。二人ともどうやら、白いブラウスを選んだようだ。それに御揃いで黒のベストである。
「今はまだ気持ち良いぐらいでも、冬になると嫌なのよねえ。北風が当たって頭から首までは寒いのに、服の中は生暖かかったり暑くなったりしてさ、変な感じするじゃない?」
「うん、うん。何か不快ね。気持ち悪いよね。後で涼しくなるにはなるんだけど。」
「あんまり寒い日は、汗かいたままだと風邪の恐れもあるし。それに下手にブレザーとか脱いだりするとクシャミ出ちゃう。私はそれで去年風邪引いちゃったのよ。あの頃はブレザーじゃなくて、普通の黒い上着だったけどね。そう。中三の時ね。」
 話が終った時は、丁度坂を下りた処だった。先の十字路を越えた向こうにはレンタルビデオ店がある。それなりに大きな店舗だ。
「そうだ。祥子は今日もビデオ店寄るんだっけ?」
「うん。今日鞄の中に返す分入れてあるの。そしてまた借りる。」
「ふうん。で、またホラー?それとも美系男性揃いのあのSFアニメ?」
「後者はもう昔に見た事あるの。だから、ホラーかな。」
「そうなんだ。あんたはあそこにあるホラーはもう全部見たのかと思ってたのに。」
「残念。まだ半分も見てないわ。また新しいのが入っちゃったし。エイリアン5とか、エアポートとか。」
「そう。私もいつかまた、どれか借りてみようかな。じゃ、祥子。行くのなら行っておいで。また明日ね。」
「うん。また明日。御疲れ様。」
 レンタルビデオ店の脇まで来た所で、香織はそのまま手を振って走り去って行った。祥子は入り口前の駐輪場へ自転車を止める。ここで祥子は額の軽い汗を拭いながら心の中でこう呟いた。
(ふう、着いた、着いた。それにしてもこんなに涼しいのに汗ばむのはどうしてかしら。特に脇の下とか、すぐに濡れちゃう。もし学校とかで臭っちゃったらどうしよう。香織みたいに消臭スプレーも買っておこうかな。この消費社会だし。)
 そして祥子は店の中へ入って行った。

自宅に着いて、祥子は冷蔵庫へ向かう。アップルジュースとワッフルを取り出し、洋間へと……向かう前に、祥子は着替えに部屋へ向かった。
流石に控え目で、ゾロいのが嫌な祥子は下はジャージには着替えないようだ。香織も同じであるが。上の黒いベストと、下はスカートだけを脱ぎ、上はそのままで、下はクリーム色の膝丈スカートだった。すぐに祥子は一階の洋間へと早足で戻る。
 洋間で新しいホラービデオを見ていると、呼び鈴が鳴った。宅配便か。
「こんにちは!御届け物でーす!」
「あ、あれももう来た来た。」
ネット通販で頼んでおいたコミックセット全五巻だ。
 夜になって夕食の時間が始まり、途中で祥子の父が仕事から帰って来る。
「ふう、只今。」
「あ、おかえりなさい。貴方。御飯出来てるわよ。」
「ああ。御苦労。」
「あ、御父さん、おかえりなさい。今日は早いんだね。」
「まあな。いつもより早く仕事が片付いたからな。」
御約束の決まり文句はさておき、父も食卓に着いた。
「お、この唐揚げは丁度良い揚げ加減だな。うん、前のよりうまい。油も悪くない。」
「でしょう。御疲れ様。しっかり食べてね。」
「ところで、祥子はまだ相変わらず変な生き物を飼っているみたいだな。まあバイトとか頑張っているなら良いが。」
「別に変じゃないと思うよ。だって、ヘンなのから見た普通だって、変なんだもん。あの子達はあれでも可愛いよ。」
「はっは。変なところでセンスが良いな、御前は。」
「ぶっ…………。」
祥子は軽くむくれたが、すぐに柔らかく微笑んで誤魔化した。
「まあ、あんな危険な生き物でも小さなうちはまだ良いが、くれぐれも外へは放さないようにな。そうなったら大事(おおごと)だ。」
「うん。気を付けるね。」
 そう言い終わった頃には祥子はもう夕食を食べ終えていた。唐揚げは祥子の大好物の一つだ。豚肉はそれ程好きでないが鶏肉は好物になる。
 ここで、いつか鰐なぞを食べる事になるであろう?その祥子の口は鶏肉ぐらいは合う口でなければならない。因みに、蛙やトカゲの肉は鶏肉と似ているらしいので、あの鰐とかも多分似ているのではないだろうか。ジャングルでサバイバル中に鰐を食べた話をテレビで聞いたが、あれが特に美味かったらしい。いや、それもサバイバル中だからなのかも知れないが。
 入浴後、祥子が浴室から出ると、母はキッチンで後片付けを、父はソファにもたれ掛かってテレビを見ている。
「お、祥子もう出たのか。よっしゃ、俺もそろそろ入るか。出た後はビーフジャーキーで一杯やるか。今晩はジョッキにするかな。」
「ええ、私は最後でいいわ。貴方入って来て。そしてゆっくり休んでね。」
「ああ。おお、そうだ。今度の週末だが、皆で焼き鳥屋へ食いに行くか?どうよ?」
「ええ?本当?やったああ。」
こんな時に片手を挙げて喜ぶ祥子だ。普段学校では全く見られない祥子の意外な一面である。祥子は髪拭き用のフェイスタオルを片手にはしゃぐ。
「まあ貴方ったら。半分は飲みたい、それが目当てでしょ。まああそこは確かに、安い、近い、美味しいと三拍子揃ってるわね。じゃあ私も折角だから奮発して飲もうかな。御酒飲もうかしら。なら車は無理ね。でも歩いて十分程度の距離だし、良いわね。雀の丸焼きなんかもあったりしたかしら。」
「うん、あったよ。でも食べてみたのは私だけ。あれは割といけるんだよ。油の量が凄いんだけど。他は、せせりとか大好きかな。」
「俺も母さんもどうも苦手なんだが、それでも祥子はある意味、特別なんだな。」
父は微苦笑しながら言う。確かに祥子は違う筈である。

「へえ、祥子ってまたあそこの居酒屋さんで、雀食べたんだあ。よく食べるわね、あんなの。私も無理よ。だって鶏以外の鶏肉は私どうにも食べられそうにないもん。」
香織が鞄を自転車の籠に入れながら言う。
「あら、凄く美味しいのよ、あれも。こんがり焼けてるよ。でも好みは皆それぞれ違うよね。」
校庭の隅にある自転車置き場にて、祥子と香織は会話を交わし合っている。
「先ず、等身大のままと言うか、姿形丸々、原型で出て来ると特に嫌なのよね。」
「うん。まあ半分は生きたまま食べるような感じかな。生じゃなくても、私も最初は抵抗あったの。でも食べてみるとこれが何のってね。」
祥子は微かな笑みを浮かばせながら言う。
「でも御刺身は魚なら生で原型でもいけるけどね。」
と香織は頷きながら言う。
「人間じゃない肉食動物は、よく生きたものを丸ごと食べられるなって思ったりするけど、あれは理性より本能によって活動しているんだものね。」
「そうそう。哺乳類でもあれは本能。人間とは違って、そんな細やかな情緒とかは持たないから。」
「何とも思わず、骨以外はただ食べればそれでいい、ってとこね。」
軽く首をかしげるようにして祥子はそう言うのだった。
 そしてそのまま帰路に付くのだった。
 帰りに二人は公園に寄っていた。二人揃ってベンチに腰掛けている。本当に小さな公園である。隅には滑り台と、小さな砂場があるだけだ。公園内を囲むように花壇と植木が立っている。
「あ、見て。雀の他に鳩も降りて来たわ。」
「本当。可愛いのは相変わらずね。そうだ。さっきコンビニで買って来たピーナッツあげてみようかな。」
祥子が言うと、
「ふふ。祥子は相変わらずそう言うの好きね。私も暇潰しにあげたくなっちゃったなあ。」
「前はよその民家にいる犬にもこっそりあげてた事、私はあったっけなあ。家の人には見つかった例(ため)しないんだけどね。」
「ううん、多分、あの時はまだ祥子も小さい子だったから、見つけてもあれぐらいならと大目に見てくれてたんじゃない?」
「それもありかもね。あ、今でも私は十分小さいけど。」
祥子は苦笑しながら言う。つられて香織も苦笑する。
「ああ。それにしても、やっぱり十一月よね。風も肌寒くなって来てる。」
「そうね。」
「春とか夏だったら、またここで少しだけ眠っちゃってるわね。」
「うん。二人だったらこのまま背もたれて、一人なら靴を脱いで横になったりかな。」
「一人で靴脱いで横に、なんて、私ならするかも知れないけれど、控え目な祥子は流石にそんな事しないでしょ。」
笑顔で香織は述べる。
「そう、だね。あれはまだ幼い頃の話だったかな。今の私には出来ないかな。」
いつの間にかピーナッツを放り投げながら祥子は言う。
「そう言えばさ、前にこんな光景見た事あるんだけど。」
「え?」
「野良猫がほら、そこら辺にいる雀とかを大方取っ捕まえようとしてたのよ。猫ならどのネコでもする事だけどね。」
「うん。臭うものや動くものに興味持つし、余程お腹が空いてたなら生きている小鳥や魚も取って食べるものだしね。」
「昨年、そこで低空飛行してた雀を、飛び上って捕まえようとしてたわ。」
香織は言いながら目を大きくしている。
「それも、食べるかどうかも関係無く、よね。」
「だよね。」
会話が終わる頃には、二人とも鳩にピーナッツをあげ終えていた。かなり減っており、袋の五分の一しか残っていなかった。
「あら。また沢山あげちゃったわ。残りは良かったら二人で食べる?」
「あ、私今日はピーナッツいらない。お腹張りそうだから。今日の夕食は、私の大好物だから、お腹を空かせておきたいのよ。祥子が持って帰ってよ。」
笑って誤魔化すように香織が言うと、
「そっか。じゃあこのピーナッツは捧げ物って事で。この残りは、御父さんにあげようっと。いつも大変な御仕事御疲れ様、だから。うん。きっと、ビールとかの御摘みにして食べると思うわ。」
「そう。優しいね、祥子は。」
微笑みつつ香織は言う。
 真面目で優しい子同士だからこそ、祥子と香織は親友として成立するのである。家もそう遠くはないので、何かあればいつでも駆け付けて行けるだろう。

 自宅へ戻ってから夕食も終え、その後祥子は部屋でテレビゲームに耽っていた。ホラー・アクションの、サイレントヒルである。あのバイオハザードと違い、人間のゾンビはそう出て来ないのだが、よく解らない不気味な、クリーチャーと呼ばれる肉食の生物は沢山出て来るのでそれなりに気色が悪い。犬等のアニマルゾンビなら幾らでも出て来る。それでもアクションゲームとしては結構人気が高い。マネキンで出来たナースの姿をした敵キャラも、病院のエリアでは頻繁に出て来る。何故ナースが鉄パイプや機関銃を持っているのか。それは何者かによってそのようにプログラムされているからなのだろう。狂犬病にでもかかった犬や、動物園から逃げ出したライオンが病院の中へ潜り込んで来たのなら、話は別だが。身体の弱った患者でも看護師でも医師でも武器を持って必死に戦うだろう。
しかも、このゲームは人の気配は無いのに、辺り一面に、血痕や人間の肉らしい肉片が散らばったりしている。本当に不思議な世界に迷い込んだような、何が何であるのか、何が起こっているのか大いに考えさせられるゲームである。洋画のホラーは大体、非常にえげつなくてそう言う類のものが多い事でもあるのだが。
「ううーん。ビギナーは行ったんだけど、やっぱりノーマルはきついなあ。どうしよう、もう一回通りぐらいビギナーモードで腕を磨こうかなあ。」
「祥子!御風呂沸いたわよ!御父さんより先に入ったらあ?」
下から母の呼ぶ声がする。祥子はぼちぼち切り上げて入浴する事にした。
 祥子は湯船に浸かりながら、昔あった色々な出来事を思い出したり、他に趣味の事、香織の事等、様々な事を考えたりしていた。風呂に入ると、時によっては色々な事を思い出したり特に他愛の無い事までもを考えたりしてしまうものだ。気持ち良いと少し興奮はするし、暇なら何かを頭に浮かべる。頭が空っぽの時なんて、どんなに能天気な人でもそういはしないのだろう。熟睡でもしない限りは、人は何かを思考する。
 そう言えば、祥子はここで昨年の嫌なあのニュースを思い出した。とあるサファリパークで、自動車から降りた人が一人、ベンガルトラに噛み殺されたと言う話である。それは、家族全員乗用車二台で来ていたところ、後方の車に、祖母が「孫の乗っている方の車へ移ろうとしてさっと降りた。」との事らしい。そこを虎が不意に襲い掛かって来たそうだ。車と車が僅かな距離ではあっても、感付いた虎は、動作が素早い為、人間や草食動物なんて即刻で捕えてしまうものだ。なので如何に無謀な、馬鹿な事をしたのか、って話である。祥子は心の中で、嫌な事を思い出しちゃったなあと我ながら思いつつ、ヌクヌク、モンモンとする浴室の中でじっと目を閉じ、口も固く閉じ、何も見えないフリを続けていたのだった。最悪自分だけは絶対そんな目に遭わないようにと思いながら。勿論家族も友人も、周囲の人間全て、あんな事になって欲しくはないのだから。どうもうな虎とかライオンのいる場所で、迂闊に窓を開ける事すらしてはならないのだ。空腹なら尚更、速攻で襲い掛かって来るだろう。
 祥子は暫くぼうっとしていたが、のぼせないうちに、早目に風呂から上がる事にした。

 またある夜は、祥子は今度はバイオハザードのシリーズなる、アウトブレイク・ファイル2(もう新しくはないけれど、バイオハザードの中ではまだ新しい方になるであろう。)をプレイしていた。この前のサイレントヒルは、きついノーマルモードを途中で挫折したまま置いている状態で、眠らせたままにしてあるのだ。一通りクリア出来ればそれで良い、との事だそうで…………。でも普通のバイオハザードシリーズは、今度いとこの男子から貸して貰う予定なので、持ってはいないのだが。
 このアウトブレイクとか言われるバイオハザードは、通常版のものとは違い、数多くのキャラクターが活躍する、それもその十人の中から三人選んでプレイ出来るゲームだ。ウェイトレスやマニア女子大生、警備員、駅員、女性記者、医者等。普通のバイオハザードは、警官や兵士もしくは学生が一人で冒険するようになっていたような、オーソドックスであったが。しかしこのゲームも、矢張り主人公は、警官であるケビンに当たるらしい。
このソフトはプレステ2のものなので、ネットに接続すればオンラインプレイも可能になる。一人プレイの場合は、メインキャラ以外の残り二つのプレイヤーはコンピューターになる。勿論、オフラインと言うかこのスタンドアロンでは、普通の二人プレイ、三人プレイは不可能である。出来るようにするとしても画面が縮小されて非常に見辛くなるであろう。手分けして別の場所で作業を行う事も大切になって来るゲームだからである。攻略本ありでも、中々難易度は高い。最初の方はビギナーモードで精一杯なぐらいだ。中途半端な興味で購入したならばビギナーモードまでで嫌気が刺す人もいるほどだ。祥子のいとこにゲーム好きの男の子がいるが、その子は少なくともそうであったらしい。ウェイトレスのシンディに惚れたと言う理由で一つ買ってみたと言う次第で、普段はバイオハザードとか言うこの類のものは買わないタイプだったからである。流石は年頃だ、と思う。祥子は本人からそれを聞いた時、片手を口の下辺りまで持って行って苦笑いしたものだった。祥子自身も、イケメンのケビンとかイケメン医者のジョージに惚れたと言うのが半分は購入した理由になる。いとこ同士と言えど、まさかここまで似るとは思っても見ない事だろうが。でも祥子は、母の実家こと、先程あげたいとこの少年の家へは、幼い頃から、連休、正月、御盆の度に遊びに行っていたものであるので、御互いの影響でもあるだろう。そのいとこも、そんなに活発な子ではない。寧ろ祥子と似たように内向的なオタク…と言うかマニアと言えるところだろうか。
 学校の帰りに、祥子と香織の二人は、小腹が空いたのでハンバーガーショップへ寄っていた。他愛の無いと言うか縁起でも無いと言うか、世間話でそれなりの盛り上がりにはなっていると言えようか。
「祥子は本当に、ああ言うゲームとか映画や漫画、好きよねえ。」
「うん。特に実写とかアニメは臨場感あるもんね。小説やコミックよりね。」
「アニメ画像もCGやら何やらで進化して来てるもんね。そうそう。ボイスで指示するゲームも、自分がまるでその世界にのめり込むと言うか溶け込むと言うか、そんな風にスリップ出来てるみたいで楽しそうよね。」
香織が述べると祥子は、
「あくまでも空想だけどね。虚構ね、虚構。仮想現実って言うのよね。」
「バーチャルリアリティよね。仮想現実って、それは空想と現実が混ざったような矛盾した言葉みたいだけど。」
「うん。」
と祥子は曖昧に頷く。
「あ、そう言えばさ。ホラー映画って、つくづく思うんだけど、やっぱり一番怖いのって…………鮫や鰐が出て来るものじゃないかなあ、私なりにはそう思うんだけど。」
「そ、そうだよね。実際にいる動物だもん。最近は虎とかピラニアが出て来るものも見掛けるようになったんだけど。」
「ええ。だって、ゾンビとかはもう一般的なホラーのネタとしては定番として有り触れているし、虫とか蛸が巨大化して人間を襲うにしても、それは今の科学としては有り得そうも無い事だしね。鮫や鰐とかだと、生きている牛や人間まで襲う野獣、魔獣として存在してるし。いつか自分にも降り掛かって来ても可笑しくないくらいだものね。嫌な事言っちゃうけど。特に鰐は恐竜時代の生き残りみたいなものと考えられているのよ。これは英語の時間に習った事だけどね。」
「だよね……。」
こう言い終えると、祥子は残りのシェイクを全部飲み干した。
 いつもの分かれ道にして、下校時の別れ道、いやここは岐路と言って初めて統一出来るなのになろうか。そう言う事にしておけば良い。(笑)
「あら、もういつの間にか、帰路の岐路だわ。なんてね。じゃあね祥子。また明日。」
「うん。」
「そうだ。ねえ祥子、私最近、ダイエットってものを始めてみたんだけど、どうかな?祥子は?」
香織が尋ねる。
「私?私は、香織より体型丸いかも知れないけど、うちの犬サブロウの散歩以外、殆ど運動はしないから。」
「そう。そう言えば、証拠の所は当番制だったよね。」
「うん。でも私が一番多いよ。犬に限らず動物好きだし、基本私が週三回、御母さんも三回、働いてる御父さんだけは日曜日の朝だけどね。でも、御父さんがしんどい時は、大体代わりに私が行ってるもの。御父さん、突然の残業とかが油断も隙もならないし、いつも御疲れ様なのよ。でも、元気が余ってる時は早朝にサブロウの散歩行ってるわ。」
「そうなんだ。皆大変よね。でも運動不足になりがちだった祥子の場合は運動になって良いでしょうし、親孝行と一石二鳥じゃない。」
香織は右手首を軽く挙げると、笑顔でウィンクをして親指と人差し指でO型リングを作り、「グー。」と表示して言う。
「まあ、ね。」
御別れする間際に、立ち話が盛り上がりつつあるが。この二人ならいつまでもうだうだとはやらないだろう。
「祥子も、もっともっと素敵になって、そしていつかは素敵な人見つけてね。美容師になるならイケメンの先輩カリスマ美容師さんでも修業先の御店で同僚の人でも良いしね。OLならイケメンで仕事熱心な男性社員でも良いし。」
「動物のトリマーでも、さわやかなイケメン真面目はいそうだしね。」
「うん。祥子はやっぱり、普通のOLより美容とかトリマーとかそっち系が良いかな。」
「まだ解らないんだけどね、皆目。それに、うまく行くかどうかも。」
「だよね。ぐだぐだとごめんね。続きはまた今度。じゃね。」
「うん。バイバイ。」
こう言うと二人はそれぞれの帰路に着いた。自宅へ近いならそう帰路とは呼ばないだろうが…………。細かい事はさておいて良いかと。

 祥子は部屋へ戻ると、スカートだけ脱ぎ、ジャージに……ではなく、クリーム色の踵まで裾の届くパンツに着替える。パソコンに向かい腰掛けて、ネットサーフィンを始めてみたりする。ここで、ふと考え付いたのが、祥子にしては上出来のようで、自分が受けてみたい私立文科系大学のホームページだったのだ。小中学時代に、世話になった先輩が行った私立大学や女子大が幾つかある。その中に、祥子でもある程度頑張れば入学出来そうな大学もあったようだ。
 ええと。動物学とかはやっぱり理学部でないと駄目だし動物好きでも勉強は好きでないのでそこまで専門的に勉強する事もないかな。じゃあ福祉、保育とかいいかも。ううーーん、あ、ちょっと待って。こちらの人文学科には……あ!「博物館学芸員」の資格が取れるんだ!これいいかも。持ってたら学芸員としてなんだけど、博物館や美術館、植物園、水族館や動物園に入れるのね。これにしようかな。
 理系はどこの大学でも、単位を取るのが大変だそうだ。文科系は、法律や政経を除けば卒業する為の単位は比較的楽に取れる。でも、大学へ入るには矢張り勉強をしなくてはならない。面接とかの稽古も、担任か副担任の先生にして貰った方が良いかも知れない。友達同士でするのも十分アリではあるが。まあ祥子とかはまだ高校一年と若いからたっぷりと考える時間はある。
 ここで博物館学芸員の事について話を戻すが、博物館学芸員の資格は幾ら大学で取得出来ていたとしても、博物館や美術館等と言う施設は、職員の離職率がそう高くない為、中々伝手が回って来ないそうだ。大学とかの事務員もそれとよく似ているのだが。図書館は公務員が多いが、司書として入る者もいる。これもまた人数限定が厳しく、図書館司書は持てても、倍率は激しくなる。
 翌日の昼休みに、祥子はその事について香織に話してみたが、案の定、物知りな香織はよく知っていた。
「うん。博物館とか図書館でしょ。あそこは本当、需要が少ないよ。だって、やめる人そんなにいないんだものね。」
「そう、よね。」
「この少子高齢化時代ならやっぱり、老人介護とかその辺でしょ。」
「介護も大変よね。」
「うん、あれも離職率は高いらしいよ。まあ何の仕事にしても、すぐ辞めてるような人は何処へ行っても続かず同じ事を繰り返すし、意志が強い人は一人前になれるまで頑張って続けるそうなんだけどね。」
「いつの時代もそうなのかな。」
「そう、そう。」
祥子と香織は顔を見合せて笑顔を交わし合った。
 それにしても、高校一年とは一番羽を伸ばせる時期ではないだろうか。中学の時にしても同じだっただろうが、二年になれば進路、進路とうるさくなってしまう。
 日曜日に、またも祥子は香織と喫茶店でランチタイムだった。二人御揃いで、パフェを食べながら話している。香織はヨーグルトにストロベリーのパフェだが、よくパソコン、ゲームで目を酷使しがちな祥子は、アントシアニン豊富のブルーベリーが乗ったパフェをスプーンで掬いながら、何やら他愛も無い?会話でふんわりと盛り上がっている感じであった。
「ねえ、祥子、私さあ、昨日夕食時に何気無く観てた番組なんだけど、祥子は観た?」
「え?私は昨日は、テレビは特に……。」
香織が祥子に尋ねると、祥子は答える。
「そう。私観たのよねえ。あの馬鹿みたいなバラエティよ。コギャルの……。」
「え?ああ、前に何か観たような…。」
「でしょ。毎週やってるあれ。コギャルじゃなくて、汚ギャルって呼んでるのよね。ほら、あのぐうたら女子高生で、服や靴下も毎日替えずに御風呂も入らないでさ、それで何日も同じ服着けて街へ出掛けたりしてるのよね。」
「あ、あのガングロとか色々いるけど、汚いあれね。」
「今時は美白ブームでガングロはめっきり減ってるけどね、サンダルとかスニーカーさえ、何カ月も洗わずに履きっぱで、ただでさえ蒸れやすいルーズソックスも何週間も洗わずに穿き続けてる連中。都会では多いそうよねえ。何処にでもいるのでしょうけれど。」
「うん、うん。」
「あれじゃあ彼氏いても、いつかは逃げられちゃうのではないかってくらいよね。まるで女とは言えないぐらいに、着る物も履く物も本当に替えないそうよ。まあここ最近でも都会へ行けば珍しくはないと思うけどね。靴にせよ靴下にせよ、まるで納豆とか泥沼みたいな臭いがするそうよ。」
「さ、最近の女子高生ってそんなの多いのかなあ。」
「うん。特に言われてるのが『馬鹿で不潔』がね。あんな臭いがする靴下や靴を何足も浸けておいた水槽や洗面器には、どんな肉食の御魚さんでも嫌がりそうよね。」
「そうみたいね………。でも鰐とかは沼にも住んでるし、ザリガニや亀は田圃でも御寺の堀でも暮らせるからまだしも、だと思うけど。でも人にはやっぱり色々いるよね。勉強出来るけど不潔、清潔で真面目だけど勉強は嫌いとか。」
「やっぱり、真面目で清潔で勉強も出来るのが一番ね。あ、御免。(冷や汗)」
「ぶう。」
祥子は微かにむくれたような様子だった。
「ふふ。勉強は出来ても出来なくても、やっぱり衛生に注意出来て健康で最低限真面目で素直であるなら人はやって行けると思うわ。」
「うん。不慮の事故にさえ遭わなければ、よね。」
「あらあら。幾ら祥子だからって、そんな事までずっと気にしてたら生きて行くの窮屈じゃない。」
「そうね。解ってるけど。」
「ここで話が逸れちゃうけど、誰でも心にも身体にも光と影があるわよね。いつも健康でも胃だけ悪い人とかさ。明るいけど短気とかね。」
「うん。完璧は無理ね。」
「そう。完全無欠はどんな人間でも無理。」
「ふふ。」
「あはは。」
 実は、祥子は試した事があるのだ。夏の始め頃、紺色のハイソックスを三日程度洗濯せずに穿いてみた事が。どんな鼻を突くような臭いがしたのか、今でも明確にではないが、何となく記憶には残っている。納豆に酢を混ぜたような感じだったか、何だったか。これ以上はとてもじゃないが言い表せそうにない……と思う。
夏場は、ルーズソックスは一日中穿いて過ごしただけでも、帰って脱いでみるとこれが物凄い。一日洗わないだけでもとんでもない事になりそうだった。祥子も香織も何度かは穿いていたので覚えている。部屋に数時間置くだけでも危険ではないかと思う程だそうだ。 しかしその程度で蚊や蠅が落ちるかと言うと、それは違うのだが……。

 冬休みを終える前に正月が明けた、ある冬の日だった。今日を含めて後三日で冬休みが終わってしまう日の朝。祥子は七時に目が覚めて、部屋にいる可笑しなペットの水槽の水を替えようと、蒲団から出たのだった。真冬で曇りの日となると、午後になっても寒い。なので朝はまるで部屋の中でも冷房無しでは白い吐息が出る程だった。
「うう、寒い。早く御風呂場行こうっと。そこでも暖房入れないとね。」
唇をガチガチさせながら祥子はゆっくりと階段を何度も上り下りしていた。何故なら、鰐のラドンちゃんに、ワニガメのガメラちゃん、それと名も無いホオジロザメ達の入った水槽を下へ運んでいるからだった。寒いので祥子はパジャマの下にルーズソックスを穿き、バスルームでは浴室用のブーツを穿いていた。浴室では暖房入れても、すぐには温かくならない。こう寒いと集中力が途切れてしまう。そう、寒いと特に外では危なく、自転車通学の中高生は集中力が薄れてしまい偶にそれで事故を起こす事もあるらしいのだ。祥子の担任の先生は高校生だった当時、自転車で登校時に急いで斜め横断しようとして、町中の交通量の多い道路でバイクと衝突してしまった事があったのだ。その時の先生(当時高校生)は頭の軽い怪我で済んだが、バイクに乗っていた相手は別の公立高校の先生であったらしく、その人は全治一週間の打撲を負ってしまったと言う。その話を授業中の合間で聞かされた事により、クラスの皆は斜め横断等はしないように注意している。だから、まだ少なくとも登下校時に交通事故なんかに遭った生徒はいない。
「さあラドンちゃん、ガメラちゃん、待っててね。今御水を替えてあげるからね。ああ、寒いなあ、なかなか温かくならないよお。よいしょっと…あっ!!」
寒さと眠さでぼんやりしていた祥子は、浴室のドアの敷居に足を蹴(け)っ躓(つまず)かせて転んでしまったのだ。祥子は前のめりに転倒し、両手で持っていた、ホオジロザメ達の水槽は落としてしまったし、鰐と亀のいた水槽は倒れ、排水溝から皆流れて行ってしまったのだった。暖房を入れる時、排水溝の蓋も開けていた…………。
 その為に、ペット達は皆下水へ流れて行ったのだった。まだ小さい生き物達だったのだが。
「ラドンちゃんが。ガメラちゃんまで……それから鮫も、……どうしよう……。」
 もうどうする事も出来ないだろう。
彼らは皆流れてしまったのだから。
 数日後、寂しくなって空しくなっていた祥子はニシキヘビのパイちゃんとやらを、一人でこっそりと蒲焼きにして半分食べ、もう半分は犬のサブロウにあげてしまったのだった。
たった蛇一匹持っていても仕方が無いからだった。
そして一緒にニシキヘビの水槽に入れていた枯葉や土は全部、綺麗に捨てた。家を出た所にマンホールがあるので、その中へ捨てた。
 このままでは何かよくない事が起こりそうな予感がしなくもないが、祥子は家族や香織の雨ではどうにか暫く空元気で過ごしていた。
数週間経って、やっと祥子は立ち直った。香織には、そっとペットを全て失くした事は内緒にしておくつもりだった。いざって時は、「もう皆引き取って貰っちゃった。」、「皆料理して食べちゃった。」等と言えば良いのだから。
「祥子、最近どう?私はボチボチだけど。」
「うん。私もボチボチかな。」
「本当?」
「まあどうかしらね。」
 祥子はペットを失くした分、動物が出て来る漫画本やゲームを今まで以上にバンバン買い漁り、映画とかも沢山レンタルした。所謂衝動買いってものだ。パンダとかトカゲ、ゴジラやガメラのキーホルダーも買い、適当に学生鞄に付けたり、携帯のストラップとして飾り付けたりもした。ヌイグルミもゲームセンターでまぐれにもガメラが一つ取れて、他はファンシーショップで可愛らしい動物の人形も色々購入して行った。
 衝動買いが止(や)まる頃には、もう春を迎えようとしていた。この冬は冬らしく寒い虚しい真っ白季節で結構、って言う気持ちが祥子には残ったのだった。

この四月校門へ入った所の掲示板を見て香織も祥子も御互いに笑みを交わし合っている。
「やったわね。また私達二人はクラス同じよ。」
「ふふ、良かったわ。私も嬉しい。」
「今年度も宜しくね、祥子。」
「うん、香織。宜しく。」
 今年でもう二年生だった。時が経つのは早いと言って良いだろうか。人間にとっては一年や二年、三年ぐらいなら早いものだろう。
 しかし動物や虫はどうだろうか?小さな虫や小動物にとっては、身体の大きな人間の動きも遅く感じられる分、時間が経つのも大変遅いものなのだろうか?そもそも、人間以外の生き物には、夢や映画、思想等と言った虚構、妄想を楽しむ事は出来ない。退屈で仕方ないかと言えば、決してそんな事はないだろう。そこまで思うだけの脳も情緒もきっと他の動物には無い。欠伸(あくび)ぐらいなら猫とかでも出るだろうが……。

「ねえ祥子、今年のゴールデンウィークはどうするの?また四連休よね。いとこの家行くの?田舎の。」
「う、うん。最初の二日間だけね。御母さんの実家になるけど。あそこで一泊だけして帰ろうと思ってる。」
「そっかあ。そう言えば、祥子の趣味の合う男の子がいるんだったわね。じゃあ残り暇があったらまた一緒に何処か行こうね。」
「うん。勿論よ。私でも一人ばかりじゃどんどん孤立しちゃいそう。それに、今度その子とはゲームソフトの交換レンタルするんだもの。」
「ふふ。」
香織は鼻で軽く笑う。でも蟠(わだかま)りは無い笑みのようでもある。
「私がサイレントヒルを1から3まで持ってるから、あの子の持ってるバイオハザード1から3全部と、ちょっと交換するのよ。御互いプレイし終えたし、交換レンタルは経済的に良いしさ。まあケチなところも似てるけど。」
「祥子はホラーゲームとかホラー漫画、好きよねえ。」
 祥子はこんな時でも、矢張りあのペット達全てをうっかり放してしまった件については親友の香織にさえ一口も言えはしなかった。
 あの下水道と言う環境の中では、生きられない生物は多い。でも如何なものなのだろうか。生命力の強い小さな動物も魚もいる。図体は大きくても弱い生き物はいる。亀はザリガニは、水が多少汚くとも生きては行ける。しかし有害物質が流れて汚染されれば耐えられないだろう。メダカや鮒は、海水の中ではほんの数秒しか生きられない。
 今日も夕方、祥子は帰宅後、サブロウを連れて河原へ出掛けていた。そこで腰を下ろし、水面を眺めながら寛いでいる。
「ああ、ここの水も汚れてるね、サブロウ。」
「クンン。」
「皆、もしかしてまさかこんなところには来てないわよね…………。」
 祥子は部屋に戻ると、キャビネットの中を開け、数あるコスチュームを眺めていた。
「さあて。田舎へ行くにはどんな服がいいかなあ。五月だからもう寒くはないわよね。七部袖ぐらいのでいいかな。サンダル履かない時は、靴下穿かないと蒸れちゃいそうだし。服装はそんなに人いないなら地味なのでいいかな。香織なら私よりお洒落するとは思うけど、私は…………。」
 祥子は祥子なりにあれこれと考えあぐねているようだ。

ゴールデンウィーク一日目の朝。
 祥子は荷物を入れるバッグの中に、最後に着替えとゲームソフトを詰め込んでいた。
 もう忘れ物はないか、念に念を押してチェックする。歯ブラシもちゃんと入っている。
暇潰ししたい時の漫画本も生物図鑑も、料理のレシピ本もきちんと入れた。準備完了の筈だ。
「祥子――。準備は出来たーー?もう出発よーー。」
「あ。はあい。」
下から母の呼び声がするので、祥子は早足で降りて行く。
 母は既に乗用車のエンジンを掛けて待っていたのだった。
「あちらの啓吾君も大きくなったわ、と言うか、祥子より一つ年下だけどね。それにしてもあの子、おとなしくて控え目なところは祥子そっくりよね。」
「うん。まあいいじゃない。話合うし。私と同じように、ゲームや漫画、動物、魚、虫とかも好きよ。」
「ええ。知ってるわ。それにしても、御父さんは社員旅行かあ。残念でも仕方ないわね。毎年の事だもの。」
「偶には休んでもいいんじゃないかな。」
「そうね。でも皆行くからあまり孤立は出来ないんじゃないかしら。」
ハンドルを回しながら母は言う。
 漸く離れた母の実家に着くと、啓吾は日向ぼっこをして待っていた。
「あ!やあ、祥子さん!待ってたよ。」
「うん。久しぶりね、啓吾君。」
「例のゲームは持って来てくれた?」
「うん。あるわよ。」
「そうなんだ、良かった。ちゃんと持って来てくれたんだ。じゃあ、これ。」
啓吾は部屋の戸棚からバイオハザードシリーズ三本を取り出し、祥子の所へ持って来た。
「ありがと。じゃあ、私のサイレントヒルよ。はい。」
二人は早速ソフトを交換する。
「じゃあさ、ゆっくりして行ってよ。」
「ええ。」
「暇なら森の方へ行って空気吸うのも良いと思うよ。部屋には本とか漫画とかあるからさ。ビデオもね。」
「そうね。」
 啓吾は、祥子より一つ年下だが、祥子よりはもう十センチ程度も背が高くなっている。中二の夏には一気に伸び、祥子の身長得お追い抜いたのだった。
「啓吾君も本当に背高くなったね。流石は男の子だわ。」
「いやいや、最低でもこうでなきゃ男として困るって。」
二人は御互いにささやかな笑みを交わし合いながら対話していた。
 やがて正午を回り、啓吾の祖母(祥子の母の母)が作った昼食を皆で食べ終わると、祥子と啓吾の二人は玄関へ出た。
「ねえ、あっちの森や川へ、生き物の観察でもしに行かないかい?祥子さん。」
「そうね。行きましょう。」
啓吾は長袖Tシャツに長ズボンだが、祥子は七部袖の青いシャツに、クリーム色の膝上スカートだったが、膝までの薄いレースの靴下だった。スニーカーだと動きやすくとも素足では蒸れるからだろう。
「オオクワガタいないかなあ、っていないか。」
「いたら五十万はくだらないんでしょ?」
「ああ、まあいる筈ないけどさ。いや解らないけど。これまで見つかった話は聞かない。普通のクワガタ、カブトムシでも少数だからさ。二週間ぐらい蜜を毎晩その辺の木に塗りたくってみても、小さいのが数匹ってところだったかな。その分、蚊やコオロギは一杯いるねえ。そうだ。虫除けスプレー、本当に効くかなあ……。」
「ねえ、あっちの池は?」
「ああ、メダカと鮒が多いけど、何匹かは鯉もいた筈だよ。あの川はメダカが殆どなんだけど、もっと向こうの上流の方へ行くとヤマメがいるよ。中々採れないそうだけどさ。」
「そう。」
 夜になると、祥子は、啓吾と母と、啓吾の父母と祖父母とでテーブルを取り囲み、食事と会話を楽しんでいた。御飯と味噌汁と、鯵の魚とサラダが食卓に並べられている。
「祥子ちゃんも大きくなったわねえ。」
啓吾の母が祥子の方をそっと振り向いて微笑しながら言う。
「いえ、そんな……。」
「でもこの子なんてまだまだ子供ですよ。」
と祥子の母。
「それにしてもぉ、啓吾と祥子ちゃんは、本当に趣味とか似てるわねえ。昔から気の合う兄弟みたいだったし。」
「でもさ母さん、この時代、若い人はゲームとか漫画、映画、、音楽、動物が好きなのは皆同じで、話の合う人同士が仲良くなってるもんだよ。」
「それはまあ、そうだけどね、特にここの二人はそっくりさんだと言ってるの。」
「はは、まあ良いじゃないか。似ているのは良い事さ。」
ここで啓吾の父が纏めてくれる。
 入浴前まで、祥子と啓吾は一緒にゲームを楽しんでいた。
「俺達も、二人プレイする時は大体いつも、ボンバーマンかマリオカートだったよな。もう友達とかとした分合わせて、百回以上はやってるよ。プレステ2じゃ、ここのところ二人プレイ出来るもの買ってないや。DSは持ってないしな。」
「そうなんだ。私もマリオワールド、マリオコレクションは、友達の香織とかと結構やったかなあ。」
「ごめんな。今度また新しいの買うよ。」
「え?別にいいわよ。無理しなくても。」
「でも流石にムシキングとかはやらねえよな、この年齢じゃ……。」
 入浴する時間になると、祥子と啓吾は浴室前で談話し合う。
「ねえ啓吾君、先に入ってもいいよ。私後でいいから。」
「ん?そうなの?良かったら、祥子さん先に入りなよ。俺は後でも……。ん。」
見てみると祥子は、徐に靴下だけを脱いでいた。レースの付いた、薄手の白いハイソックスである。脱ぎ終わると、綺麗に伸ばし、黒くなった靴下の裏を啓吾にゆっくり見せる。
「今日は外歩いて中々汗かいちゃったわ。これだけ脱いでおこうかと思って。」
「だよな。俺は長ズボンに裸足だったけど。」
「ねえ啓吾君、良かったらこれちょっと……。」
「え?」
すると啓吾は、ここで一昨年の夏の事を再び思い出した。そう。あの時、足フェチな啓吾は、泊まりに来ていた祥子が浴室に脱ぎ置いていた靴下をこっそり手に取り、爪先部分を鼻に宛(あて)がって匂いを嗅いでいたところを、祥子に見つけられてしまったのだった。でもあの時啓吾は必死で謝り、自分が足フェチである事を正直に打ち明けたのだった。
***
「ちょっと啓吾君!私の靴下で何やってるの?!」
…………。
「ごめんなさい。祥子さん。もうしませんから許して下さい。反省しています。」
「理由を説明して。」
「実は…………。」
「そう。解ったわ。じゃあ、今回はこれで許してあげる。だからちょっとこっちへいらっしゃい。」
***
 あの時は許してくれた上に、じっくりと靴下、祥子の素足を存分に嗅がせてくれて、軽くしゃぶらせて貰えたのだった。翌日の帰り際には、靴下足と素足とで顔面を軽く踏み付けて貰う事も出来た。その時はどちらとも紺色のハイソックスだった。
「もしかして、あの時の事、まだ怒ってる?なら、ごめん…なさい…。」
「ううん、違うわよ。許してあげるって言ってたでしょ。嘘は嫌いなの。もうそんな風に謝らないでね。でないと次は承知しないから。だからさ、今回は……。」
「え?」
「あれからまた溜まってるんじゃないかと貴方の事思って……。今回は、良かったらこれ、ちょっとでもいいから、穿いてみない?その前に匂いもかいでみてね。」
「本当にいいの?祥子さん。」
「ええ、いいわ。でもその代わり、私以外にいつか、素敵な人作るようにしてね。いとこ同士じゃ一緒になれないもん。」
「う、うん。約束するよ。祥子さんも頑張ってね。」
啓吾は軽く瞼が熱くなった気がした。その後の祥子も同様である。
甘酸っぱい香りが、啓吾の鼻をそそる。そっと足と通してみると、またも不思議な感覚に捉われた。神秘的と言って良いだろうか。血は繋がっていても、男女間の関係はこうも複雑になるものなのだろうか。すぐに啓吾は、祥子に靴下を脱いで返す。

 連休三日目の朝、祥子は朝食後、顔を洗い終えると自分の部屋に戻り、部屋全体を見回す。
 ペット達がいなくなってがらんとした感じの窓辺を最後にまたポツンと一人眺めていた。
 あの子達、今頃どうしてるかな。もう海まで出て行っちゃったかな。まさか、途中で迷ったりして行き倒れちゃうなんて事無いわよね。くれぐれも人身に害が無い事を祈らなくちゃ。本当の事は、家族にも、親友の香織にも話せないしね。私みたいな内気な子じゃなくても、流石にこんな事あったら黙ってるよね。さて。御昼からは香織が迎えに来るわね。一緒にカラオケね。気が晴れるわ。
 カラオケが好きな子は多いようだ。祥子も音楽は聴く方であって、歌うのが上手い訳ではなかったが、カラオケとなると雰囲気を楽しむのが最高である。上手下手は関係ない。香織は祥子よりは上手く歌えるが、やっぱり香織も聞く方が好きだ。祥子は、テレビは元々あまり見ない方で、流行の歌を追い掛けるような事もしないので、アニメとか映画を見ていて、気に入ったアニソンのCDを購入またはレンタルしたり、偶に見る歌番組から心惹かれて引き出すのは、矢張りあまり目立たない落ち着いた感じのアーティストとか声優さんのファンになる場合が多い。それに比べて、香織はテレビも雑誌も見る方である。流行りの歌もよく聞く。祥子とは違い、実写のドラマも普段は普通に見る。祥子は寧ろ少数派の内向的なオタク気質と言って良いか。香織はどちらかと言うとオーソドックスになる。
 カラオケボックスにて。祥子と香織は、談笑しながら歌う曲をゆっくり選んでいた。午後からのフリータイムでしかも二人だけなら、沢山歌える。普通はもっと大勢で行くものでも、少人数ならそれはそれで落ち着く。
「祥子がさっき歌ったアニソン、私良く分からなかったなあ……。」
「古いし、そんなに有名なアニメでもないから。」
「そう。じゃあ私は中島みゆきの『地上の星』行こうかな。」
「へえ、渋いのね。あの時主流してたから私も勿論知ってるけど、あまり眼中には入れてなかったなあ……。」
「そうなの。神話的で素敵だと思うけど。まあ歌詞とか曲は、あまり意味を深く追求してたら疲れるしちょっと滅入って来るけど。」
「うん、その通りだね。」
と祥子は僅かに苦笑しながら答える。
「そうだ。ねえ、ドリンクもフリーにしてあったよね。祥子はまた何か飲む?」
「そうだね。じゃあ私は、次はカシスドリンクにしようかな。」
「そう。じゃあ私は、マンゴーミルクラッシーにしようっと。頼んどくね。」

 連休明けの、学校からの帰り道、香織と祥子は並んで自転車をゆっくりと走らせながら口々に会話していた。
「ねえ祥子。ついこの間、向こうに新しく欧風喫茶が出来たんだけど、どうかな?寄ってみる?」
香織は、自分達の通う高校とは正反対の方角を指差して言った。
「へえ、そうなの。連休中に出来たの?」
「うん。祥子が御婆ちゃん家へ行っている間、開店したのよ。学校よりちょっと向こうで、帰り道とは正反対になるけど、そう遠くないわよ。良かったら行ってみない?」
「そうね。」
「あそこでまた新しい雰囲気とか楽しみながら、おやつ食べたり紅茶やジュース飲んだり、色々御話したりすると良いと思うから。それで紹介したんだけどね。」
「だよね。私も行く。」
「当然よ。一人じゃつまらない。」

 小さな池へでも、魚は卵を産み落とし、そして去るの。でも、何百個と水草や底へ産み付けられた卵の大半は、他の魚達に食べられる。水槽の中では、自分が産んだ卵さえもを親が殆ど食べてしまう。その中に残るのは、ほんの僅かの数の卵だけ。生きる資格以前に、生まれる資格さえ持たない生き物については、悲しみと呼ぶ事も出来ない。運命と言う言葉さえ知らない、サバンナに生きている命よりも、それ以下の何者でもなくなっちゃう訳なのかしら?弱肉強食と言うだけで、無秩序な自然状態だけど、そのむ秩序差の中に、きちんとした秩序が存在するなんて、それも可笑しいよね。不条理だわ。不条理は不条理のままで本当に良いの?そして、生きる理由と死ぬ理由は??
 人の心には、月と太陽あり。そして光と影の中を駆け行く、迷える子羊達。無数の輝きを帯びるペガサスを追う者達よ。

 時は瞬く間に過ぎ去る。時は流れて、ここに二人の健気な少女がある。
 この頃、祥子と香織は高三を迎える事になっていた。進路へと近付くのがまた一段落早くなったようだ。その段落構成はまた気紛れなもので、何処で行おうと自由にもなる。
小さな段落は大きな段落の中に幾つもある。一秒ごとの時間さえも一つの段落と言っていてはきりがないのだが。

「ねえ祥子、私はあちこちの大学受けようと思うんだけど、祥子はどうするの?」
「うん。相変わらず成績良くないから、滑り止めにはなるべく近い短大か、福祉また保育の専門学校かな。」
「へえ。保育士も考えたんだ。私も考えてたところよ。祥子なら動物とか近所の小さい子
への面倒見とか、気遣い良くて丁寧だから、良いんじゃない?」
「そうかなあ。私とろいんだけど。」
 こうもああだこうだと、祥子のクラスも進路はどうするか、進学か就職かフリーか等、
色々な声と顔が飛び交っている。
 私はそう大して、大きくなってはないけど、でもあの子達は…………。
 世界中のあちこちで、誰かが喜び、誰かが悲しんでる。誰かが御腹を満たし、誰かが御
腹を空かせてる。

F研究所にて
 遺伝学を研究するマイケル博士は、助手のヘーデル博士と共に、遺伝子工学の研究を重ねていた。近くの森で発見し、捕獲した、あの牙の生えた不思議なトカゲをボトルに閉じ込め、尻尾を切り、牙を一本抜き取っていた。証拠として、そして細胞として残しておく為なのだろう。もう少し小さな細胞で良いと思えど、且つ証拠としても残すのなら少しばかり大き目が良いとの事らしい。
「博士、本当にするのですね??」
「ああ。『物は試し。』であるし、何事も理論の後には実験なのだよ。計算と理論だけが科学ではないだろう。発見の為には、技術の発展の為には、いざとおなれば矢張り、僅かな犠牲も必要になる。そのつもりでいるのだ。私もそうする。」
「はい。かしこまりました。」
「それでは、この液体をこのトカゲのいるボトルに流し込むぞ。ヘーデル君は、もうあがりたまえ。今日も一日御苦労であったな。これからもこの調子でしっかりと研究に努めるようにな。さあ、そちらにいる新人のジョセフィーヌ君は、御茶を後一杯私とヘーデル君にも頼む。そちらの書類の整理が終わったら、ジョセフィーヌ君、君も帰りたまえ。」
「あ、はい。マイケル博士。」
そう言うと新人の女性研究員ジョセフィーヌ博士は、御茶を用意し、マイケルとヘーデルのデスクに置き、最後に自分のデスクに置いた。
「どうぞ、博士。ヘーデル君も、どうぞ。」
「ああ。」
「有難う、ジョセフィーヌさん。」
「ふふ。」
ジョセフィーヌは微笑むと、デスクに戻る。
「では、御先に失礼します。御疲れ様です。」
「御疲れ様。」
「御疲れ様あ、気を付けてね。」
「さて、わしはもう一仕事、だな。ああ、わしでなければまだ出来ない事も山積みだな。管理者の私が残業になっとるな。」
「博士、無理は身体に毒ですよ。」
「何だ、それは?はは。もしやおねだりではあるないなあ。そうはいかんぞ。私はもう歳なんだ。もっと若い良い人を見つけなさい。」
「まあそんな。まだ何も言ってませんよ。」
今度は御互いに苦笑いして言う。ここでジョセフィーヌは一口啜る。マイケルも一口啜った。
「さあ、ちょっとトイレ行って来るから、ここを頼むよ。もし何かあったらすぐ呼んでくれ。あの薬液は新しく出来た特別な物じゃからな。何が起こるかはっきりとは解らんし、あれによって生物の進化は一段と早くなるやも知れぬ。」
「はい。解りました。」
「おう。じゃあちょっとの間だけど頼んだよ。」
こう言うとマイケル博士は大きな研究室を早足で出て行く。
 その時、ボトルの中の音が何やら激しくなり、揺れ動いている事にジョセフィーヌは気付いていた。
 数分後、マイケル博士は用を足し終えると研究室へ急いで戻ろうとしていたのだが。
「ふう、思ったより長くなったのう。ここ精神面でもてんぱっておったからかのう。疲れも溜まってトイレへ行く時間も無理して抑えておったから、胃腸も呻いておったかのう。」
 トイレを出た途端、何やら柔らかい物と硬い物を一緒に噛み潰す音と、悲鳴が同時に聞こえる。
「ん?何だ?何が起こったのだ?」
 研究室ドアの前まで駆けて行くと、茶色の長い動く物体が見える。
「アア、ギャアァァ……ウググウ……。」
「ぎゃうぎゃう…………。」
恐竜の鳴き声までする。もしや……。
「そんな、遅かったか!?ん、あの腕と足と靴は?血糊が床に!」
その時、何かがギョロリとマイケル博士を睨む。必死で駆け出すが、
「う、うわああああああああ……。」

 翌朝、例の研究所では、室内では女性の研究員の服や靴、眼鏡、肉片と、ドアの前では男性の研究員らしい人の下半身と、血の跡が散っていた。何か緑色の濁った液体が、変な形の足跡を模(かたど)っているように、研究所の外まで続いていたのだ。
 最初にそれを見つけたのは、朝一番に出勤して来た、若手の男性研究員ヘーデルだったと言う。警察に連絡後、G新聞社とザッカTVはスクープだと叫び、研究所を皮切りに、近くの森、湖を捜索しに行く事にしたのだった。
 マイケル博士もジョセフィーヌももういない為、ヘーデルが第一の証人となり、何を作っていたのか等、詳しい事情を並々と話して説明し、記者が横で書記を行う。
「ええ、それはつまり、太古の生命の誕生、いえ復活をと、亡きマイケル博士は、……。」
 その頃ザッカTVでは。
「新人のレポーター、マリベル。貴女行って来るのよ。何事も勉強と経験よ。解った?」
「はいぃ。でも、あのう、ああ言うのこんな私で本当に大丈夫でしょうか……?」
「口答えしないの。一人前になりたかったら今のうちにしっかり頑張るのよ。」
と女性局長は金髪のポニーテールを撫でつつ、化粧を直しながら言う。
「わ、解りました。」
頭を下げると、新人の可愛い女性レポーターであるマリベルは言った。
 マリベルは思う。何よ、局長も嫌な事ばかり私に押し付けて、それで成長して行きなさい、ですって?好きなスタッフに対するえこひいきと、私に対するやっかみじゃない?むかつくったらありゃしない。部屋に篭り切りの癖して、ババアの癖にあんな厚化粧して、でも仕方ないわね。職場にいい相手いないし、首になりたくないなら。
 森にも変わった形の巨大な足跡はあったが、森は比較的静かで、虫達の鳴き声とせせらぎの音しかしないのだ。向こうの方では何やら、獣の鳴き声が聞こえたような気がしたのだった。子ワニの鳴き声と似ているように聞こえるが、近付くと大きくなるだろう。
「ミシガン湖の方ですね!」
と男性の音声スタッフは言う。
「そのようです!」
と、いつの間にか二十代後半ぐらいの男性新聞記者とも合流していた。
「そうですか。じゃあ急ぎましょうか。」
とここでマリベルは皆で歩きつつ答える。
 マリベルは森を抜ける頃、こう思う。
 嗚呼、パンプスの裏に泥や沢山付くし、虫は別にスケベじゃないけど、私の脛を、ベージュストッキングを突き通して刺しちゃったみたい。痒いなあ。でもここで掻いたらストッキング破れて伝線しちゃいそう…。こんな事なら今日は下はズボンにしておけば良かったわ。でも夏だから長ズボンや薄いパンタロンでも暑いのよね。足もベトベトに蒸れちゃってるし、汗がブラウスを通り越して、この上着にまで浸透してるう…。
 薄緑色の、スーツとしての半袖の薄い上着と膝上スカート、白いパンプスと言う若きマリベルのスタイルは、他の男性社員を釘付けにするのだ。童顔で可愛らしく、まだ頼りなさ、あどけなさが残るマリベルだが、それを好むマニアなファンも多いとの事らしい。
「助けてくれえ!!」
向こうでまた悲鳴だ。
 森を抜けるとミシガン湖では、釣りをしていた中年の男が、頭から何と、巨大なTレックスにバリバリと食われ掛けていた。いや、もう食われてしまっているようなものだろう。
「な、何ですかあれは!Tレックス!?まさか、そんな!!」
新聞記者は驚嘆の声を挙げる。
「う、うわ!マジですか!技術はそこまでの進歩が?いや、そっちに驚いている場合ではないな……。」
と音声スタッフは目を丸くして声を出す。
「い、嫌ああ!!」
マリベルは叫ぶのだが、
「兎に角、カメラを!」
「は、はい!」
「スクープだな。」
カメラマンも新聞記者も大慌てで準備するが…………。
「ええ、あの生き物を御覧下さい!嘗てのTレックスなのでしょうか!あの鋭い牙と茶黒いザラザラした肌です。そして何にせよ悠に体長二十メートルは…。」
「ぐああ!!」
と男性の叫び声がするかと思いきや、振り向くとあの音声スタッフが内臓を抉られてしまった後であった。その後、腹から下はそのまま噛み千切られている。
「音声スタッフさんが!音が取れないとかそう言う問題どころではありませんが…!」
カメラマンが取り敢えず右手にカメラを、左手に音声マイクで頑張ってはみたものの……。
「もう少しだけ続けて下さいますか、マリベルさん!」
「はい!」
局長に首を切られない為だもの!もう一頑張りするしか……でも……。
「マリベルさん!う、う、後ろ!」
「え?……い、嫌、ちょっと待って、こっちに……。」
マリベルは突然駆け出すと、そこでカメラマン達の皆も一緒に駆けるのだが。
「え、え、そんなきゃあああああああーー、ううぎゃあああああ、ダズケデエエ!!い、痛……。」
小柄なマリベルは、首からTレックスに齧られたかと思いきや、早くにもう頭首から全身まで、まるで日本では鰻の踊り食いでもあるかのように、上から下までズリズリと引き摺り込まれて行った。最後に地上にポトンと残されたように落ちて来たのは、マリベルの白いパンプスの片方だけだった。恐竜の口の中でもがき回っているうちに、片方だけ脱げてしまったのだろう。他は全部飲み込まれてしまったようだ。
「マリベルさんまで……。」
 生放送だった為、このまま放送は打ち切られたそうだ。その後、カメラマンはマイクもカメラも捨てて逃げ去り、むっつりスケベらしかったあの記者は、パンプスを「あの子の冥土の土産かなあ。」なんて思って拾おうとした途端に、やられてしまったらしい。その頃、様子を見物しに行く途中だった中年女性の局長も、森に入る前、マリベルの後を追うように、その場で御陀仏。丸呑みにされた。その後、あの一匹のTレックスは何処に…………。
 マリベルは、局長に首を切られる前に、あの最強の肉食恐竜Tレックスに、首は愚か、胴体、足までもを切られてしまったのだった…………。局長も全身丸呑みの報いを受けた。

修学旅行中の事件
 某女子高校三年生を乗せた大型客船は、修学旅行帰りだったのだが、途中で荒波に襲われ、難破船として遠く離れた無人島に漂流していたのだった。
 果実や、自然の真水、椰子の実の御蔭で、そう食料には当分困る事は無く、二週間程度経過後、復旧作業が無事に完了し、帰路に着いていたのだった。
 船の中にて、女子高生達が堪らなく騒ぎ、はしゃぐように談笑し合っていたのだった。
「良かったわねえ、もう、本当に船が直って。」
「そうよね。一時はマジでどうなる事かと思ったもん。」
「あのまま助からなかったら、船が修繕出来なくて通り掛かりの船も無かったら、って思うと、ゾッとしたわね。」
「ええ。あっ!…それよりさあぁ…。」
三人交わし合っている女子校の生徒の中に、もう一人の子が割って入り、喋り掛けるのだった。
「ねえ、船旅だったけど、あの三泊四日に、この漂流した二週間を過ごした後の、このうちらの着てる服とかさ、……。」
「え?う、うん!そうよね!そう!そう!この浸透し切った汗の臭い!もうヤになっちゃうよね。そう。特にこのさあ、蒸れ蒸れに蒸れた靴と靴下も…モンノ凄い…臭い、うう酸っぱい。超臭い!!マジやばいって感じじゃない?」
「だよね、だよねえ!ねえねえ!皆さあ、この後家に帰ったら、先ず一番に何するう?うふふ。」
「そりゃあああ、勿論!洗濯よ、洗濯!早く洗わないと、染み込んで来ちゃいそうだし、蒸れてホント酸っぱいし、もう腐り掛けてるんじゃ……。」
「気持ち解るんだけどお、やめてよ、もう。どんなに激臭でも、そこまで思いたくないなあ。考えたくないよお。臭いのはもう分かってるんだから、もうやめにしないい?このまま港に着くの待とうよ。ねえ。」
「そうよね。ローファーだって蒸れるんだもん、スニーカーの子とかはもうもっと凄いんじゃない?失礼だけどさ。」
と、ここでこの生徒は片方の紺色ハイソックスの、白く濁った足裏を挙げつつ述べる。
 船内には、多くの女子高生達が口々に汗の臭いや、足や靴下、靴の蒸れた臭いについて口々に雑談を交わし合っている。嫌そうだけれど、楽しそうでもある。助かった安心感より浮かれているなら致し方ないのだろう。
 その中でもよりどり緑で、白ルーズソックスもいれば、紺色ハイソックス、白ハイソックスと靴下のバリエーションは大凡この三種類。長い靴下が御洒落になると言えるのだろうか?短い靴下は数える程しかいないようだ。靴は、紺靴下なら黒いローファーが多く、白い靴下なら、スニーカーや、またローファー、そしてストラップの付いた黒いローファーが特に多い。ルーズソックスも、ローファーとスニーカーが半々なようでも、ストラップローファーも矢張り何人かはいた。
 生徒達が集まっているフロアの奥に、段差があり、そこを上れば下は絨毯が敷かれ、腰を下ろしても平気な、リラックス出来る床の間のようになっている。会話を楽しんでいる女子生徒の大勢が、その段差の下には靴を脱ぎ置き、元気良い子は皆、そこへ腰を下ろして話をしている。
「やだあ、靴脱いだら尚且つ臭って来るう。やだあもう、臭あぁい。」
「当然よ。あ早く帰って洗濯したいなあ。特にこの靴下と足ね。」
「にゃはは。」
すると段差の横の柱の前で、靴は勿論脱がずに一人、本を開いている、控え目でぽつんと浮いた感じのする、真面目そうな女子生徒が一人、立って黙々と読書をしていた。
それを見た何人かの仲良しグループは、そこの生徒に声を掛ける。
「ねえ、そこのアナタ、こっち上がらないの?」
「……ええ?あの……。」
「あら、遠慮しなくていいのよ。」
「どうしたのお?ずっとそれじゃ、下は通気性悪いでしょ。水虫とか出来ない?靴ぐらい脱いでこっち来たらどう?」
「いえ、あの………私…。」
「ほら、ほら。」
キャピキャピなギャルメンバーの中の一人女子生徒が、その大人しそうな生徒の腕を取り、ぐいぐいと引っ張る。
「靴脱いだ方が良いわよ、ねえ。」
「そうよ、そうよ。おいでよ。」
「い、嫌、やめて下さい。」
「こっちでゆっくりしてていいのよ。ね。」
「何をそんなに嫌がってるの?足痛くないの?ねえ…あ…。」
 二人がその子を捕え、一人が靴を脱がそうとする。その真面目そうな女生徒の靴が両足スポリと脱げる。下は紺色のハイソックスだけになってしまった。すると……。
「ウッ…何…!?」
ここで騒いでいたコギャル連中にはなかった、これまでにないような、腐敗臭のような強烈な臭いが立ち込めた。
「あら、何この子、もしかして。汗とか私達よりかきやすいの?」
陰口のようでも、本人にはもう十分聞こえているのだろう。
 この唯一控え目で一回り小柄なこの女子生徒だったが、誰よりも汗はかきやすい体質であったのか、周囲は愕然とした様子で、そして本人は大変なショックを受けているようだ。
 その女生徒は掴まれた腕を振り解くとさっと逃げ出し、隣のフロアへ掛けて行ってしまう。
「あちゃあ、泣かせちゃったかなあ…悪い事しちゃったかしら、ああ…。」
「ああ~あ、悦子、アンタがやり過ぎちゃったみたいね。かわいそ。」

「ああ、流石にこれはきつい他言いようがないわね。凄い湿ってるし、ストッキングの替えはもう無いし、もうとっくに伝線しちゃってたのもあるし……。すっかり蒸れちゃって…嫌だわ、早く帰りたいし…。いっそ、ここでもうストッキングを一旦脱いでおこうかしら。」
この学校では、教師も皆女性であるらしい。
オマケに、ここは船員も皆女性である。船室でもスーツにストッキングとパンプスの脚が勢揃いだ。
隣のフロアの、人がいない奥にて、上下とも白いスーツに身を包んだ、まだ若いらしいロングヘアの綺麗な女教師が一人、ミニスカートの下のベージュのストッキングに包まれた足指を、パンプスの中でそのままぐしゅぐしゅと動かしながら小声で独り言を呟いていたのだった。そこで、パンプスを脱いでストッキングも脱ごうと鞄を横に出し、先ずはパンプスを脱ごうとしたそ瞬間だった。
ここへあの女子生徒が迷い込んで来る。そして一人、泣いているのだった。
こちらの広間ではこの教師とその生徒とが二人切りになる。そこで担任であるその女教師は、生徒に声を掛けた。
「まあどうしたの?泣いてるの?苛められたのじゃない?遠慮無く打ち明けて。何があったの?ねえ。」
「うう、せ、先生……。」
「向こうの皆に何か言われたの?」
「……。」
「泣いてばかりじゃ分からないわよ。一緒に行ってみようか?ね?」
こう言うと優しいこの先生は、蒸れたパンスト脚もそのままにして、パンプスも脱がないままで、隣の部屋で生徒を連れて行く。
「ねえ貴女達、この子に何かしたの?」
「え?いえあの、苛めてなんて……。」
「今正直に話せば許せる筈よ。ね。」
「は、はい、実は……その………………。」
 するとその時だった。
 ゴゴゴゴゴ ゴゴゴゴゴ
「え?何かしら?」
早くも気付いた先生が言う。
 窓より、外を眺めてみると、急に空は様子が可笑しくなり、分厚い雲が天空を覆っているかのようだった。
「いつの間にか天気があんなに悪くなってるみたいよ。波もまた激しいし、ここは日本海の真ん中だし……。」
「キャッ!雷と、雨もまた降り出したわ!風も強いわね。」
「い、嫌あ、もう懲り懲りだよお。」
生徒達が次々に声を挙げる。
「皆様、落ち着いて下さーーい!また空模様が怪しくなって参りましたので、外で救命ボートを用意します!ですので一度甲板へ出て下さい!!直ちに御願いします!!」
一人の女性船員が出て来て、激しくパンプスの音を鳴らしながら走りつつ、呼び掛ける。
生徒が一気に駆け出し、外へ出る。
ドジャアアアン
 間もなく船が転覆する。皆、海の中へ放り出されてしまう。
「キャアア!何よもう!っぷ。」
「そんな、船が……。」
いつもの生徒ならいつも通り、動転して声を挙げ回る。
「皆!気を付けてね!大丈夫?頑張ってええ!!」
とここで先程の女教師はもがきながらも大声でアドバイスを掛ける。
そこで……。
「ううぎゃあああああああああああああああ!!」
「きゃやあ、い、嫌ああ!!!」
「ぎゃああああああああ!!」
「え?何?もしかして……鮫ええ?」
 次々と、生徒達が鮫に食われて行く。海の中へ次々と引きずり込まれてしまう女子高生達。そして、次々と、ズタズタに引き裂かれた、血塗れの制服やスカート、靴、ボロボロの靴下や肉片が仰山と水面へ浮かび上がって来る。
「皆が…アグッ…ゴボゴボ……。」
また一人、海へと消える。
「こんな凄い勢いで鮫が?何か有り得ないとしか……。」
そう。鮫とかピラニア等と言うものは、血の匂いとかには敏感だが、そうでなければ餌があってもすぐには寄っては来ない筈である。何故か……。
 そう。それは、何百人もの女子高校生の、蒸れた足や靴下の激臭が水中の辺り一面に漂い、その不自然な臭いが異臭として周辺にいた鮫を誘き寄せていたのだった。女生徒や女教師、船員の蒸れて酸っぱ臭くなった足の臭いだった。
 沢山の可憐な少女の残骸が、最早続々と肉片や、べっとり血糊付きのボロ切れと化して浮かび上がって来る。
 この時、あの本を読んでいた生徒と、教師がもがき苦しみながら話す。
「うええん、こんな所で死にたくないよお、助けて、先生。」
「大丈夫よ。しっかり…もう一頑張りよ………ん?うぎゃあ!!」
 途端に、その女教師も鮫によって水の中へ引きずり込まれ、瞬く間に、ズタボロになったスーツとストッキングとパンプスと僅かな髪の毛だけが、半分真っ赤に染まった状態で浮かび上がって来た。先生も餌食になったのだ。
「い、いやあ、いやあ、せ、先生!先生!」
その少女は大声で泣き叫ぶが、周りにはもう人の気配は無かった。
 最後に残った、その一人の少女の周りを鮫の背鰭が海面に五本は浮かび上がり、汗かきだった彼女が、恰(あたか)もまるで最後のデザートとされるかのように、一気に鮫達は襲い掛かる。
人を襲う種類なら、これはきっと皆ホオジロザメだろう。
「い、嫌。助け…………。」
この夜、日本海は真っ赤に染められたレッドウォーターと化したのだった。
 鮫達にとってうら若い乙女達の肉は、御馳走中の御馳走……。一生一度の御馳走以外の何物でもなかったであろう。大魚としての威厳も何処へやら、ピラニアの如く一斉に飛び掛かって食らい尽くす鮫の大群……。断末魔の悲鳴も出し切らない内に、乙女達は肉片を付着させたタダの骸骨と化し、海面を血潮に染めて次々と海中に没して行く。波間には、鮫の歯によってズタズタに引き千切られたブラウスやスーツ、ソックス、ストッキングが漂っているだけ……。

 数日後、消息を絶ったその女子校三年団の行方を探るうち、祥子らしきものが見付かった。屈強な漁師達を怯えさせた物は、何だと思いますか?
 股間部からベロッとむしり取られた女性生殖器だった。気を取り直して波間に目を凝らすと、他にも無数のへ毛玉が浮かんでいるではないか。他、その学校の制服、スーツらしき物の切れ布や、靴、ズタズタのストッキングや靴下、後は木材やプラスチックの破片等も浜辺一杯に打ち上げられ、すぐにあの女子高校の皆が乗船していた物の残であろうと言う事が推定されたのだった。
 しかし、あの時のあの一人の女生徒の欠片だけは、服も靴も髪も見付からず、跡形も無く残らず消え去っていたのだった。蒸れた子程、鮫によって綺麗に片付けられたのに違いないだろう。

社員旅行中の間一髪
 船旅で行く社員旅行から社員一同が帰る途中だった。
 まだ残暑厳しい季節であったが、矢張り海の上は肌寒いので、男女を問わず、皆長袖の上着を用意し、外に出ている時は皆それを羽織っていた。何処までも続くような水平線を悲しそうに見つめる社員や、優雅な笑顔を浮かべながら大海原を見つめる社員もいる。室内で談話しながら笑みを交わし合っているのは管理職の人達や仲の良い社員グループで、外でも何人かは色々飲みながら談笑し合っていた。女性社員の中には、スカートなら下が素足の人は殆どいなかった。皆、サンダルかパンプス、ハイヒールの下にはストキングを穿いている。足先は大変冷えるからだろう。スニーカーの下にストキングや黒ハイソックスを着用している若い女子社員もいる。パンプスとかハイヒールの者は下には勿論、全員ストッキングを穿いているし、サンダルでは素足はほんの一握りだ。短パンにパンストとスニーカーの者もいる。男性社員は皆長ズボンで、背広を着て来た社員も何人かはいた。
 男女共に仲の良いアットホームな会社なのか、何人もの塊が出来て会話をしながらジュースやビールを飲んでいる社員がここにいた。
「うう、やっぱり冷えるう。」
「私は元々冷え症だし。」
「へえ、私もよ。漢方薬飲んでるんだけどね。」
「さあ、俺ビールもう一杯。」
「好きだなあ。」
「バスの中じゃあ、何かあっても吐いたり出来ないしな、こんな時に思いっきりやるのさ。」
「嫌な事言わなくてもいいだろ。折角の旅行なんだしさ。旅行行く前にでも言ってくれたらまだマシなんだがな。」
「はっは。さて。」
 ここでまた一人の若手男性社員がグビグビと飲む。
 船内では数人の社員が集まってトランプをしている。ババ抜きのようだ。確かに若い男女の中に男性の係長が一人いる。中年の女性社員は向こうで一人御茶を飲んでおり、確かに年取った女性社員は入ってはいない。そんな事言ってはいけないが。

 暫く経つと、一人の男性船員が広間に入って来た。
「皆さん!御聞き下さいますか。海面が真っ赤に染まり、簿との残骸と、一人の若いカップルやクラゲ、魚や鮫の死体が一面に浮かんでおります!只今の出来事ですので御迷惑を申し上げますが、兎に角注意して下さいね。」
「え?!何だって?!」
「ボートや人や魚の死骸……。」
「いきなり何なんだよ……。何が起こったんだ?」
社員が一斉に外へ出てみると、何やら辺りの海面が少し赤く染まり、魚の肉片やバラバラになった一隻のボートの残骸が波間を漂っている。
「嫌ねえ、鮫まで何匹かは、やられてるの?」
「シャチか何かかしら?でもシャチって、ボートや人間まで襲うかなあ?小魚やクラゲは分かるんだけど。」
「巨大なスッポンでもいたかのようだが、ガメラみたいな映画とは違うしなあ。映画の見過ぎな俺がこう言っても何にもならんが……。」
「み、見ろ!あれは何だ!」
「え?うわ!!」
 巨大なトカゲの頭、ではない!あれは、「亀」だ!甲羅も見えて来た。複数いるのは大きな海亀のようだが、あんなにどうもうなウミガメがこの時代にいたのだろうか。スッポンが何処かしらの川に生息している事は解るが、それでも人や鮫が襲われるなんて……。
「廃棄物の水質汚濁によって鰐とかがデカくなって人間を街中で襲う話は聞いているが、流石にあれは……ないんじゃないか。」
「わっ!船にも体当たりして来るぞ!」
「こっちにも向かって来てるう?」
「船底がやられたら人溜まりもない!何とかならないか!」
「助け呼んでも間に合わないだろうし。拳銃とか麻酔銃だってないよな。」
「槍と銛しかありません。でも亀にはそれは厳しいです。」
と船員の一人。
「どうすればいいのよぉ……。死にたくないぃ……。」
一人の小柄な女性社員が泣き出す。
「もう泣き虫ねえ、何とかなるわよ。」
 その時、一人隅の方にいた、眼鏡を掛けた、見るからに物知りで理科系って感じの女子社員が出て来て言った。彼女は、女性の中で社内では唯一の、技術職の社員だ。何かを考え付いたらしい。するとその社員は一斉に女子社員の皆に向かって言うのだった。
「皆!いい方法があるわ!」
「え?」
「何?」
「ベージュとか、他薄手のストッキング穿いてる女性陣は皆、そのストッキング、脱ぐのよ!それを海に投げ捨てて!」
「ええ?!どうしてえ!?」
「勿体なくても仕方ないから、やってみて!」
「うん、解った!買ったばかりだったけど、あの人の言う事信じて損は無さそうだし。」
と女性社員がそう言って渋々とパンプス、ベージュ色のパンストを脱ぐ。
「じゃあ私も。蒸れてきちゃってるし、まいっか。」
そう言うと今度は、この女性が肌の色に近いサブリナ・ノンランを脱いで行く。
「そうね。」
次は、白っぽいがかなり薄めのストッキングを脱ぐ。この女性は、ヒールのサンダルにパンストと言うスタイルだった。
「じゃあ、私も黒だけど薄いから脱いでおくわね。じゃあ皆、それを海へ投げるのよ!」
「はあい!」
「よいしょ!」

パシャ パシャ パシャン

 何十人もの女子シャンがストッキングを脱いで海へ投げ込む。暫く海の方が落ち着いたかと思うと、亀達は何やらそのストッキングを啄んで行き、満足したかのように静まり、方向転換して去って行く。
「あら。パンスト食べてるの?」
「嫌らしいけど、助かったみたいね。あの人流石かなあ。」
「だよな。スゲえよ。」
とここへ一人の男性社員が入って来て言う。
「待てよ。多分、パンストをさ、何か獲物と間違えて。」
「そう。クラゲだと思ったのよ、きっと。」
「そうか、クラゲか。」
「亀の大好物って、確かクラゲだったと。」
男性社員が、さっきの眼鏡の女子社員に喋り掛けると、
「そうよ。亀の大好物って主にはクラゲでしょ。」
 この理科好きな社員は、あの中学時代の技術の時間の事を思い出したのだ。

***
「皆、亀の大好物は知ってるか?」
と、少し前髪が禿げかかっている眼鏡の技術教師が問い掛ける。
「クラゲだよね!」
授業の合間に、環境云々の話を挟んでいる故か、いつの間にかこのような話題になったようだ。
「そう。クラゲだね。実はだね、昨今、亀の多くの死体の体内から、半透明のビニール袋やナイロン袋が発見されているそうだ。特に喉元の辺りで詰まってるそうだ。ビニールやナイロンで出来た袋を、川や海に捨てる人は後を絶たないからな。海亀は海に流れ込んで来たそれらを、クラゲとかと間違えて、食べてしまうんだ。窒息させて死んでしまう。だから皆、軽い気持ちでコンビニとかの袋を川に捨てたりしちゃいけないよ。亀とかが可哀想になるからね。さっき話したような悲惨な話にもなるから。」
「へええ!」
「だよね、可哀想。」
「もう一つ。アイスキャンディーとかは路上や河川敷で食べていて、食べ終わった後に残るその木で出来た、細長いアイスの棒ね!あれもやたらと、用水やその辺の川や池には、捨てるような事しちゃいけないよ!まさか誰か今でもしてるんじゃないだろうね。海まで流れてしまったら、今度はそれを、鴎(かもめ)とかが餌と間違えて銜(くわ)え、それを喉に詰まらせて窒息死してしまうんだから。そんな事だってあるよ。」
***

「成る程な。君は物知りだな。」
「数学とか理科とか技術は好きだったの。その分国語とか苦手で感受性は鈍いんだけど。」
と笑みを交わしながら言った。
「わわ!あれ見ろよ!何か可哀想だな。」
 見ると数匹の亀はもう既に、窒息したのか海面に浮かんだままぴくりとも動かない。
 あれは何だろうか。矢張り、あんな凶暴な亀は、ワニガメかカミツキガメぐらいしかいない。それも何処かから流されて、何かで汚染されて急成長したものにしか考えられない。如何にも洋画のモンスターパニックな映画のようだ……。

合同企業説明会での出来事
 某県民ホールにて、大学四年目の秋を迎える、スーツに身を包んだ就職活動中の若者達が、続々と広いフロアへ入って行く。そこには、全部で七十社程の企業が来られてズラリと渦を巻くように並んでいる。活気がある者の中には、無い者も疎らにいるのはそれも仕方無い事だろう。四年間、文科系の大学でこれと言ったキャリアも積まなかった、資格も特に取得していた訳でも無かった、自由に学生生活を過ごして来た子達にとっては、大きな反動となって懐に帰って来つつあるのだろう。伸び縮みの激しい現代人にとっては、いつか均衡を崩してしまう事にもなりかねないし、こう不景気な世の中では、何処をどう当てにして良いかも解ったものではない。涼しげな笑みを浮かべる、彷徨える旅人となる。倒産やリストラが後を絶たなくては、優秀な学生だった者でも平坦な輝ける道ばかりは歩けないだろう。
このざわめきからは、虹のようなバリエーションが漂い、何処にしようかどうしようかと相談しながら幾つかの箇所を回って説明を聞いたり、意見を交わし合いながら、学生と人事担当の人達と対話をしたりしている。如何程に馬が合うのかは、行ってみなければ解らないのだが。これは戦いへの第一歩であって、何処かしらで生き残れる為にあちこちを当たるのだろう。一見は美味しそうでも入れてみると口に合わない物だってある。駄目そうだと思っていても実際はそうではなかったと言うケースも多々ある。何事にもギャンブル性はある訳で、誰にも未来予測なって出来ない。
「ああ~あ、大きな所での営業、販売はきついだろうなあ。」
「まあな。向き不向きとか慣れとかあるけどよ、慣れていても、出世出来ないからにはいつまでも下積みは気苦しいよな、あの手の業種は。」
「ふああ、ヤになっちゃうわよね。私もあんなオチャラケのままで良かったかしら。営業や企画なんて自身ないし、でも事務とかは雇用が少ないわね。」
「私も。いっそ福祉の方面行こうかなあ。事務は事務で、人間関係とか大変だそうよ。」
「いざって時はフリーで頑張るか、バイトしながら専門学校入り直すって手もアリかな。」
「でも甘っちょろい軽い考えは抜きにしたいかなあ。同じような事をまた繰り返していても駄目駄目だし。」
「そうそう。その通りだぜ。」
 数人の仲良さそうな学生達は、半分はにこやかで、残り半分は遣る瀬無さそうに話している。
「蛇とか鰐にでも呑まれちゃったら楽かしら、なーーんて。」
「馬鹿言わないの。人間には理性があるんだから頑張らなくちゃ。生きてりゃ何とかなるものよ。」

この広いホールの中で、さて生贄は誰ぞや…………。
「やだあ。遅れちゃった。もう。」
一人の、小柄で色白でとろくさそうな、一人のスーツ姿の女子学生が早歩きで企業説明会の看板の前を通り、建物の中へ入る。パンプスは本当に歩き難い。ここへ来るまでに、ストッキングに包まれた足の裏はもう湿っている。慌てて急いで来たせいもあるからだろう。案内図の書かれたパンフレットを貰う扉へ入る前にトイレへ向かおうとする。。
 その時、背後を巨大な黒い影が包んだかと思うと、…………。
「きゃああああーーっっ!!助けて、嫌!!」
ジュルジュル
「え?何?」
「何だ?何だ?」
「何でしょうか?」
中にいた学生や業者、職員の人達が、あっと驚いて口々に小声で叫ぶ。
 一人の職員が見に行くと、トイレの入り口横で、若い女の子の下半身が……。
「うぐぐっっ…く、苦し…。」
 黒いスカートは引き摺り込まれて見えなくなり、細くて白い脚も、その巨大な蛇に呑み込まれてしまっていた。片方の黒い綺麗なパンプスだけがポロッと下に落ちて残されている。床には血が中等量滴り落ちているだけであった。胃液らしい緑色のドロッとした液体もそいつの口からボタボタと落ちている。体内でドロドロに溶かされてしまったのだろう。二本の牙と細長い舌を見せ付けるように、蛇はこちらを振り向き、重い足取りでこちらへ向かって来る。床や壁には血がべっとりとこびり付いている。
「う、うわああ!映画で見たような蛇だあ!何か、本当にいる!ただでさえデカいニシキヘビが何かを食って更に成長したみたいじゃねえか!!」
「本当、何よあれ!」
「知らない!」
「皆さん、逃げて下さい。」
「ひぇぇーー。」
「きゃあ助けてえ……。」
皆学生は大急ぎで逃げ回り、企業の人達も次次へと席を離れて走り去って行く。
「ウガッ!」
 一人の中年の某企業の人事部長らしい男性が捕えられてしまった。ズルズルと引き込まれて行く。
「た、助けてくれええ!食われるのかあ!」
若くてイケメンな男子学生らしい人も一人また飲み込まれてしまった。
二足のローファーが床に転がり落ちる。
「イヤアアーー!私の淳二君が!…あ………ああ!!」
後を追うようにその女子学生も食われてしまった。
「このおおーっ!よくもミンナを!」
「おい、馬鹿な真似はやめて早く逃げるんだ!!」
パンプスを巨大な蛇に向かって投げ付ける女子学生を、横にいた男子学生は促す。するとその女の子は逃げるが……。靴を脱いだせいか、パンストだけの足では綺麗なフローリングの床は滑ってしまう。転んでしまった隙に、その子は蛇に日本の鋭い牙で腹部を捕らえられてしまった。
「ぎゃあ助けて!死にたくない!」
「ほら言わんこっちゃない!!」
腹部をぶしゃっと裂かれた後直ぐに、空中へ軽く舞い上げられ、ズルズルと頭からうどんのように一瞬のうちに引き込まれてしまった。パンプスだけがまた残される。
「相当知能も高そうだな。そして俊敏だ。」
「蛇や鰐は、爬虫類の中では賢く素早いからな!さあ兎に角逃げよう!」
 皆大急ぎで走る。
「わああ、助けてくれええ!!」
「ぬぐわっっ!!」
「キャッ!!」
男子学生数人も捕えられ、逃げ遅れた女性職員も一人やられた。
 後は案内所の中の受付嬢も次々と襲われた。止めに入ったガードマンや男性職員も溶解液を吐かれて身体を動かなくされた後、そのまま続々と蛇の御馳走へと変わって行った。

 ここで、まだ若い、人事課の人と一緒にいた女性は、一人反対側のトイレへ逃げ込む。
「はあ、はあ、はあ。何なのよ。……。」
ボックストイレの中の便座に腰掛けたまま息を切らせて言う。白っぽいブラウスと黒のベストは汗でびちゃびちゃである。白いパンストも黒いパンプスの中もムレムレだろう。この汗の匂いで見つかったりしなければ良いのだが。
 数分後、便器の下から何やら呻き声のような声が聞こえると思えば……。
バリバリバリッッ
 床が壊される。
「キャ!キャアアアーー!ハグッ……………………。」
トイレの個室内辺り一面を血飛沫が舞い、床や壁はスパッタリングのように部分的に真っ赤に染まる。他は赤や黒、緑のペンキを一遍に零したような形になっている。天井にも血が付く。
 それから特に物音はしなくなった。奴は満腹になって寝たのだろうか……。

宴会途中の非常事態
 夕刻の町中の海鮮料理店で、大勢集まって宴会をしているのは、この市唯一の大規模なヤクザ組織、麻原組だった。組長を含む、五十人もの組員が集まり、宴会を行っていたのだ。テーブルの上には、豪華な海鮮料理に、生中や大瓶の幾種類かの焼酎が並べられている。
「乾杯!」
「乾杯――!」
「我が麻原組、創立三十周年おめでとさんだな!皆の者も、よくぞここまで頑張ってくれた!」
とここで皆を纏め挙げるのは、今年で五十を越える初代の組長だった。
「親分さん、さあ一杯やりましょうか!」
「ああ、まあ今晩は思いっ切りやるといい!」
「へい!」
「ではゆっくりしてけ!野郎共!」
「解りやしたあ!」
「へい!」
「では、組長さんに粗相のないようにしなよ!さあ食べましょう!」
と幹事が言う。
 皆が御膳に箸を持って行こうとしたその時だった。
 外から悲鳴が聞こえる。
「うわあああ!!何だあれは!!」
「きゃああーー!!」
 ここで組員の一人が言う。
「ん?何だ?」
「そうだな、何の騒ぎだろうか。」
「見に行ってきますぜ。」
と幹事。
「ああ、気を付けるんじゃぞ。」
と組長が背中を押すように言う。
 その後少しの間、宴は続行されたかのように思えたのだが。
 外では、カップルが何かに驚いていた。そこには一人の若い女性店員もいる。
「何事ですか?」
「そこです!」
と店員が指す。
「ん?わわっ!何なんだ!」
幹事が振り向くと、近くの用水からはいつの間にか、巨大な鰐が這い上がって来ていた。この御店は、用水沿いに建ってあるのだ。
「わ、鰐だって!?」
幹事の組員が腰を抜かしてしまう。若いカップルは大急ぎで走り去ってしまう。
 するとそこへ、何も知らずに二人のOLが話しながら店から出て来る。
「あ、さっきの御客様!後ろ!」
「あはは……。え……?」
店の入り口と扉前のアスファルトは血飛沫で花が咲いたように赤くなる。一瞬のうちに一人のOLの脚が鰐の口へ引きずり込まれている。
「きゃああ!何よ!た、助けて!ぎゃああああああ!」
「いやあ、食べられてる!誰かあ!」
 更に鮮血が飛び散り、ロングヘアの方の綺麗なOLは飲み込まれてしまった。
「誰か!誰かあ!」
もう一人のOLは後退りながら叫ぶ。
「何の騒ぎじゃ!?」
と組長が出て来る。
「組長!危険です!鰐がいます!」
「鰐じゃと!?」
ここでショートヘアのOLはハイヒールを両足とも脱ぐと、両手に握ったまま涙目で必死で駆け出して行く。
「こっちへ来ます!誰か呼びましょう!…ゲッ!グワッ!」
背後から幹事は襲われた。背中から巨大鰐に体当たりされ、そのまま胸を銜えられている。
「げげええ!親分さん…御逃げ…下さい……。げへっ。」
「大変じゃあ!野郎共!」
「どうされました!?わわっ!」
「鰐だ!何でこんな所に!やれ!やれ!」
 ここで外へ出て来た、組長に付いていた組員は拳銃を打ち付ける。
 しかし、鰐は一向に答える様子も無く、店の中へ入って来ようとするのだ。すると、扉は壊され、中の店員が腰から捕らえられてそのまま食われてしまう。店長ではないが、イケメンな男性の店員だ。
「助けてくれえ!ぐ!」
「何だ何だ!ひいいっ!」
 その組員は銃等を持っていなかったので抵抗のしようがなかった。一瞬硬直し、そのまま鰐に下半身からやられた。柱に捕まったが、下半身が食いちぎられてしまい、その後すぐに上半身も残さず食べられる。
「こいつ!まだ食い足りないのか!」
ここで部屋から有りっ丈持てるだけの料理を運び、チンピラ組員の一人が鰐に向かって投げ付ける。
一口で平らげ、すぐさまそのチンピラに飛び付いて来た。
「ぎょええええーーっっ!!」
宴会場の中へ入って来た鰐は、次々と料理屋組員を襲って食い掛かる。まだ食欲は残るようだ。この沢山の料理の匂いも、鰐の食欲をそそるのだろう。それでも、そのまま人間の肉が特にうまいと言う事を覚えてしまったのか。
「うわわあああ!」
「冗談じゃねえ!」
「御助けー!」
「わー!」
 鰐が、血だらけの宴会場を出て、厨房を荒らすだけ荒らした後は、また店を出て用水の方へと戻って行く。他の組員は急いで駐車場へ戻ってそのまま逃走した。
 鰐に大量の酒を飲ませてやろうと考えた組長も、無残な事に、鰐に背後から襲われ、抱えていた酒はそのまま周りにぶちまけたのだった。
 麻原組の血筋はきっとこのまま途絶えるのだろう。

鰐と蛇
 会場内を一斉に拍手が響く。
 十五歳になる少女は、ステージの上にて白いドレスと白いレースの靴下に身を包んだ華やかな服装を横に向け、鍵盤に徐に手を当てて、演奏を始める。
ポポロン ポロロン
「あの子もこの十二年、よくやったものだわね。」
「ああ。」
ここで話しているのは、あの子の両親らしい二人だった。
 無事に演奏は終了した。その後、すぐさま拍手喝采が会場を包み込む。
「問題無く終わったようだね。」
「ええ。」
 その時、床が突然割れたようになり、ピアノが逆様になり、少女は下敷きになって動けないまま、床下に引き摺り込まれた。破れた床の周りは少し血で濡れていた。
「ええーーっ!な、な、何!?」
「何かいるのかあ!!」
「皆様、落ち着いて下さい!!」
 司会者の一人がマイクで言った。
「落ち着いていられないよ!」
「何が起こったのよ!」
 言うまでもないが会場の中は大騒ぎになり、次々と人が外へ出て行こうとする。ステージの裏からは、出番を待っていた、同年齢ぐらいの女の子達や、男の子達も出て来た。
 ライバル視していたらしい一人の美人系の女の子も、悲しみに涙を浮かべていた。ライバルが減ったとは言え、友達が一人いなくなったのだから。
 いきなり、ステージ床から巨大な大蛇が顔を出して来た。そう。あの時、就職説明会に来ていた学生達や、ホールの職員達を襲った、あの時の蛇である。パイソンのようでも巨大化したニシキヘビだったのだ。そのニシキヘビは、ステージ前へ近付こうとしていたあの子の両親も飲み込み、その後、何人かの観客を飲み込んだ。
 廊下へ出ると、今度は鰐がいた。
 一人の年を取った女先生が丸呑みにされた後、赤ん坊を抱えていた母親らしい人も逃げようとしてそのままやられた。
「いやあ、御母さん!隆太ああ!あ、あ、あいつ許せない!!」
さっきの、食われた少女をライバル視していた、その同じ十五歳の少女だった。白いドレスの下には、白ストッキング、銀のパンプスを穿いていた。黄金のティアラも銀のブレスレットもネックレスも着けていて、見るからに御姫様で、どうやら御金持ちの娘らしい。
 元々引き締まった顔をしていたその少女の表情は鬼のようになり、化粧も崩れそうな顔は紅潮していそうだった。その子はそこにあった椅子を振り上げ、鰐に向かって投げ付けるが、びくともしない。今度はもう一つ椅子を抱えて振り下ろそうとする。鰐に近付いた途端に、
「うぎゃあああ!!」
鰐が飛び付くと鮮血が飛び、椅子は握られたまま鰐の頭に振り下ろされるが、少女はどんどん鰐の口へ引き摺り込まれて行く。鰐の鋭い歯で真っ白いドレスもストッキングも真っ赤に染まって行く。
 持っていた椅子は最後には横に払われ、その少女は飲み込まれた後、あのティアラだけが床にコトンと落ちた。
「大変です!皆さん避難しましょう!」
 大勢の人が外へ逃げた後、ホールからはさっきの大蛇が出て来て、何と、廊下にいた鰐との決闘が始まったのだ。御互い、最高の御馳走になると思ったからなのだろうか。
「蛇と鰐が!食い合っているのか!」
一人の男性が遠くから言う。
 巨大鰐は巨大蛇の胴体(どの辺が胴体になるのか分からないぐらい長い蛇になっている。)に齧り付く。ここで巨大蛇は呻き声を挙げつつ、巨大鰐の口から飲もうと試みた。
 御互いに喰らい付き合い、そして重く低い声で呻き合っている。
「あのまま相打ちになってしまえばいいんだがね。」
「どうだろうな。」
「警察とか呼んだ方が良いかしら。」
口々に大人が話し合っている。
「二人ともタイプだったんだけど、やられちまったのか。希望を一つ、二つと失くしたような気がする。」
「やられてしまったもんはもう仕方ないだろ。」
ここで十五歳ぐらいの、スーツ姿の少年二人が話し合っている。二人ともハンサムで落ち着いた風格漂う紳士のようだ。
 争いだして暫く、蛇の方は鰐を思い切って飲み込んだかのように思えた。
 しかし、蛇の体内で、硬い鰐は強かった。鰐は蛇の腹を内部から食い破り、蛇が驚嘆の声を挙げつつ身動き出来なくなっているうちに、そのままその鰐は、胴体の避けた蛇をじわじわと味わいながらむしゃぶりついている。巨大蛇は巨大鰐に負けたのだ。力でも丈夫さでも知力でも鰐が勝ったらしい。確かに、鰐は爬虫類の中では一番強くて賢いと言われる。満足した鰐は、建物をゆっくりと出た後、すぐ横にある大きな川へと帰って行った。
一刻も早くあの鰐は捕まえなくては、また被害は激増するだろう。

導かれし主役達
 あれからは早一年余り。
 この御盆を迎える暑い日に、祥子と香織は、電車を使って、あの祥子のいとこの男の子の啓吾のいる田舎へ行っていた。祥子も香織も、自宅の墓参りは、最後の十五日に行う事にしてあるので、二泊して十五日の午後過ぎには帰る予定である。二人は高校三年目を迎え、秋頃からは大学の推薦入試が始まる。香織は保育士か小学校の教師を目指そうと、あちこちの家政学部、若しくは教育学部を狙い、複数の大学を受けるつもりでいる。何でも出来そうな香織は兎も角、これと言った取り柄のない祥子としては、兎に角受かる所を選ぶしかない。祥子だって大学へ行きたいのだ。電車の中で、二人は色々と言い合っていたが、二人の眼には落ち着いた笑みがあった。そう気苦労する性格でないだけ、自分の中の小さな神様に感謝すべきではないだろうかと思う。柔軟性も丈夫さのうちになる。
 この一年、全国で相次いで起こった無残な事件は、ニュース、新聞、雑誌によって取り上げられた際、予想通りに世間を騒がせた。祥子は、矢張りそれは自分が既に全ての真犯人になってしまっている事だと思い悟った祥子は、物凄い罪悪感を感じていた。それでも知らない香織は、祥子がまだペットを飼っているのだと信じ込み、祥子のペットはまだいるからきっと違うよねと思ってくれている。良い友達でなければ、ここは疑いを掛けるに違いないだろう。祥子と香織は、電車の中で、それらの事についてもよく話していたところだった。多くの罪なき人達も他の動物達も犠牲になったと言うのだから。
 漸く、啓吾の家に着く。
「啓吾くーーん。来たよ。」
「はい!今出ます!」
 啓吾の紳士的な声が聞こえる。懐かしさと透き通るような声に一瞬感動を覚えた気もする。何の感動かはよく解らないが…………。彼は大人しい子でもあり、真面目な良い子でもある。ないく敵なマニアであるのは、祥子といとこ同士でよく似ているが。
「あ、祥子さん。正月以来だね。」
「ええ。あの時は初詣と食事会ぐらいだったけどね。」
「ふふ、啓吾君ね、初めまして。どうもこんにちは。私は鈴木香織って言うの。」
「こ、こんにちは。高瀬啓吾と申します。」
「私の友達なの。今日一緒に来て貰ったのよ。」
「うん。電話で聞いた通りだったね祥子さん。ええと、ここ二日間、宜しく御願いします。」
 啓吾は、香織の容姿に、少し顔を赤らめていた。一目惚れでもしてしまったのだろうか。
祥子は地味な可愛い系になるが、香織はどちらかと言うとしっかりした美人系かも知れない。祥子よりもう少しサラサラのロングヘアーで目は祥子よりパッチリとしている。啓吾のようなタイプの子は、香織のような人に魅かれたりするものだろうか。
「じゃあ啓吾君。もう午後過ぎだし、早速行こうか。私達はもう御昼食べて来てるからね。」
「うん。OKだよ。案内しようかな。」
 そう。祥子達にとっては高校最後の夏になる為、三人揃って、啓吾の家より少し離れた、上流と近く繋がる大きな池へ、釣りへ出掛ける事になっていたのだ。女子である祥子達は、釣りとは先ず縁がないし、祥子の父も、結婚してから釣りはまるでしに行っていないようだった。でも啓吾は、田舎育ちで、近くに現代らしい便利さには欠ける分、良く言えば自然に囲まれて育った為、虫取りや釣りぐらいはして当たり前になる。友人が少ない分、テクニックは自分で研究し、独学で身に着けている。最近の大人しい子、大人し過ぎる子は何を考えているのか分からないようで、内面は強い意志を持ち、一人で頑張るような子も多くいるようだ。啓吾は、有りっ丈の釣り道具、バケツ、水槽を用意し、竿一本と、小さい餌箱を祥子達は持ち、残りは啓吾が持って行けの方へ向かう。
「釣りは始めてかな?教えてあげるからね、大丈夫だと思うからさ。」
「ええ。啓吾君なら出来ると信じてるわよ。頑張り屋さんだもんね。」
「啓吾君、私とかじゃ相当足引っ張りそうだけど宜しくね。」
「はい。」
 三人は、田園に囲まれた畦道を歩きながら話している。
 本当に、都会、俗世の喧騒を離れて自然の中で過ごすのは、こうにも和やかな事はない。偏見を持たずに馬鹿話に花を咲かせる事も、騒ぐ事も大事だが、静寂に浸って気を休める事も、また一人で落ち着く時間も必要になる。バランス感覚と言う秩序を崩してしまっては人の情緒は乱れて来てしまうだろう。警戒し過ぎても大事な事を忘れる事になりかねないし、チャランポランに猪突猛進してもうまく行かない。
「祥子さんも大学受けるのだった?」
「う、うん。滑り止めにも色々な短大とか、また専門学校も受けるつもりでいるよ。」
「私も色々受けるなあ。十件はどんなか解らないし、推薦もし失敗したらあれだものね。」
「ええ?!香織なら、推薦すれば何処かしら受かると思うけど。」
「そうかなあ。でもこの世の中何がどうなるかも分からないし。もしもの事も控えておかなくちゃ。犯罪はなくても警察は必要なようにね。」
「だよね。それにしても結構遠いなあ。」
「良いウォーキングにはなるでしょ。自転車とかでこれら運ぶのはきついしねえ。」
「そうね。ところで啓吾君も大学とか勿論行きたいよね?勉強してる?」
「別に。でも何処か行けるなら良いかとね。」
祥子が聞くと啓吾は率直に答える。
「何方面行きたいの?」
「さあ……。営業以外なら、って固定観念が離れないんだけど。」
「大卒だと普通の会社は営業多いよね。嫌よね、あの弱肉強食、運も実力の内、みたいなのって。トークうまい人でもきつそうだもん、私も嫌よ。」
「私も。出世出来るまでは気はしんどいと思うから。勉強が幾ら出来たってあんなのきちんとうまく行くとも限らないしね。」
祥子に続いて香織も言う。
「コンピューターでCG絵とか習ってデザイン方面行こうかな。」
「ああ、そう言うのも需要多いよね。専門的なものは何でも難しいとは思うけど、好きなら出来るかもよ、啓吾君。」
「本当、かなあ?まあそれなら良いかな。」
 クールで用心深い啓吾は、幾ら自分の惚れた香織に言われても、煽てられてもすぐに全部乗ってしまうような子ではなかった。
「くれぐれも頭でっかちな気苦労は止した方が良いと思うから。」
「うん。」
香織に励まされて啓吾は頷く。横向きで二人を覗き込みながら黙々と一緒に歩いている祥ははそこにいた。
「さあさあ!あそこには鯉とか鯰とかさ、ヤマメも何匹か降りて来てるかも知れないから、気合い入れて行ってみようか!」
漸く元気を取り戻した啓吾だったが、それには祥子も香織も傍で驚いている。

 やっと池に着く。想像以上の広さに、祥子と香織は驚いて反射的に口をポカンと開ける。
「へえ、ここなんだ!」
「私もよく知らなかったなあ、こんな大きな池。それもちゃんとあっちの上流と続いてるみたいね。」
と祥子は言う。
「広いでしょ。じゃあ早速やろうか。ちょっと待ってね。それとか、そこに置いておいていいよ。」
池の畔(ほとり)から僅かばかり離れた場所で、啓吾が林の前辺りを指差すと、二人はそこに竿と餌箱を置く。そこで啓吾も道具箱や餌箱を畔に置いて、竿に浮きや針、餌を付け始めた
「海釣りじゃないからね、ミミズとかああ言うのは無いから安心して。新鮮な海老とか魚粉ばかりだから。臭うけどね。」
「ええ。臭うのは仕方無いわ。魚の餌だもの。ミミズはちょっと苦手だけど。」
と香織は笑顔で答える。
「私はミミズでもまあ平気よ。」
と祥子が言うと、
「祥子は特別よ。」
と苦笑する香織。
「じゃあまたいつか海釣りとかも行くかい?その時は俺も車取ってると思うから。」
「ええ、いつかね。ふふ、そうだ、もし御互い相手が見つからなかったら、無理に子供作らなくとも一緒にはなれるかなあ。」
「ちょっと待ってよ。いとこ同士は恋は兎も角、結婚は駄目だってあの時言ったの祥子さんじゃないか。」
「ええ、そうだったわね。ゴメン。そうそう。三親族以内は結婚しちゃいけないのよね。」
「そうよ、そう。身内同士は元々駄目なのよ。」
二人の間に香織も入って来る。
「さて。準備出来たし、やろうか。」
「ええ。しましょう。」
と香織。
「私トロいから、出来るかなあ。」
祥子が自信なさそうに言うと、
「啓吾君にじっくり教えて貰えば大丈夫よ。私だって最初だから自信無いよ。」
と香織が付け加えてくれる。
「さあ、やるか。何かいるかな。祥子さん達も竿持って良いよ。」
と啓吾が少し熱くなって来る。
「あっ!あ、あれ……!」
「え?どうしたの?」
祥子が啓吾に聞くと、
「浮いてる…頭だけ残って…。」
「え!うわ本当!魚の頭や尻尾ばかりね!」
「これ、鯉や鮒の頭や尻尾が殆どだ!一杯齧られて食べられた後がある!」
「何?どうしたの?あら!何なのかしら、気持ち悪い。」
と香織も後ろから来て見つけると驚く。
 水辺を見ると、無残に食われた後の、鮒や鯉等の死体の断片の数々、それも頭部や尾だけが、まるで捨てられた生ゴミのように浮いている。近付くとかなりの異臭がする。
「うわ、凄いニオイ。かなり経ってるかも。腐ってるんじゃ。腐ってるのもあるわね。」
と香織が両手で鼻や口を覆うように塞ぎながら般若顔になって言う。
「魚のバラバラ死体だね。あら、そっちには鯰の頭も。あ、向こうには亀の甲羅も血塗れになって浮いてる。」
と祥子。
「これは一体何の仕業だろうね。ザリガニは、小魚しか食べないし…………。」
「何かが潜んでるのかしら?未確認生物でも?UMA(ユーマ)とか言ってしまえば、またSF映画の見過ぎって話になっちゃうし……。」
と祥子。
「迂闊に近付いちゃ危なそうだな。ちょっと離れようか。よし。餌をちょっとあっちの方へ投げてみようか。」
「私も投げようか。」
「私も。」
三人が海老や魚粉、持って来た御菓子までもを池の中心目掛けて幾つか投げてみる。すると…………。
 ザバーーンと言う物凄い勢いで水飛沫が巻き起こり、何者かが姿を現した。
「うわ!何だ!?」
「何かな?」
 そこへ姿を現したのは、巨大鰐だったのだ。まさか、あの時生き残っていたあの鰐なのかも知れない。いや、多分そうに違いないだろう。こんなところまで来ていたとは……。そこに祥子もいる。まるで何かの縁のようだが。
「わ、わ、わ、わ、わ、鰐いいぃぃーー!?」
「鰐だ!本当だ!」
「鰐……。」
最後に呟いたのは祥子だった。
「大変!逃げようよ!」
「そ、そうだな。」
「ま、待って!」
止めようとする祥子に、
「どうしてなのよ?そこに鰐がいるのよ?食べられちゃったらどうするつもり?早く逃げないと。」
「そうだよ。危険だぞ。」
「そうなんだけど……あのまま放っておいたら、またあの鰐、何処へ行くか解らないし……。」
「退治しようって言うの?」
「あんなデカいの、無理だよ!それに鰐は丈夫だし!結構俊敏なんだよ。」
香織の後に付け加えるのは啓吾だった。
「啓吾君、銛(もり)も持って来てたよね?」
「ああ、そこにあるよ。で?」
「ちょっと貸してね。」
祥子はそう言うと、啓吾の森を借りて、一歩、そして一歩と池に近付く。
「祥子!あんた馬鹿?ひ弱な女の子一人の力で、あんな頑強な鰐に太刀打ち出来るとでも?」
「私と相打ちになるより、また沢山の人や生き物が殺されちゃう方が大変だもん。」
「祥子さん!馬鹿な真似は止そうよ!その銛以外には大した武器ないから!アメリカ人じゃないから銃もバズーカも無いんだよ。」
「ええ。私はか弱くて愚かな乙女だけど……後私一人で、あの子が満足するぐらいなら……。」
「もう止しなさいよ!早く池を離れて!」
「そうだよ!」
「食べられても知らないわよ!!」
祥子は銛を両手で構えつつ、冷静に鰐が近付くのを待っている。

 あれは、きっと……そう。
 ラドンちゃんだわ。あの時浴室でうっかり放しちゃった、唯一私が飼ってた鰐、名前はラドンちゃんだったわね。また会えたのね、ラドンちゃん……。
 あの女子校の皆が乗っていた客船を襲った鮫は、ホオジロウちゃん達。あのホオジロザメ達ね。あれも私が浴室で……。
 あのニシキヘビは、汚染物質を飲んで大きくなっちゃった、あれね。あれはパイちゃん。あの子も、水槽洗う時、あのまま流れて行っちゃったわ。よく水の中を這い上がって来られたわね。
 海上で、ホオジロザメとかを沢山食べた後、ビニールやストッキングを飲み込んで窒息しちゃったあのワニガメ達。海へ出て出産しちゃったのかな。あの亀も、何か飲みこんで大きくなったのね。あの中の一匹はガメラちゃんよね。
 後、アメリカで起きたTレックス事件。あれについては、すぐに機関銃やミサイル、ロケットランチャー、マグナム、グレネードランチャー等を政府が仰山用意してどうにか退治したらしい。そのTレックスはテレビ局を襲った後、海に入って行って魚とか海鳥を暫く食べたり、森で動物を捕えて食べたりしていたので、そう多くの人間に被害は及ばずに済んだらしい。

 祥子は、もう畔でサンダルを脱ぎ、水の中に入っている。
「祥子ーー!もういい加減にしなよーー!」
「殺されるよ!」
祥子は黙ったまま、銛を握って池へ入っている。
「ラドンちゃん……また会えたね……。でも…でも………。」
祥子は小声で囁く。
じわじわ池の中を進んで行く。破滅への序曲と共に、破滅の行進が始まったかのようではなるが……。
「ラドンちゃん。悪いんだけど、もう終わりにしようか。ね?私の事は食べて良いんだけど、関係のない人達や他の動物さん達は食べないで。御願いよ。」
「祥子さん!祥子さああん!……あれ?あんな所に鶴橋(つるはし)が落ちてる……。」
「ラドンちゃん…種類はクロコダイルのラドンちゃん………えいっ!!」
バクッ!!
 祥子が銛を振り下ろそうとする直前に、ラドンことその鰐は、祥子の左腕に喰らい付いて来た。
「きゃ…ううん、いいのよ、そのままで…えいっ!」
祥子は細くて白い腕で握った銛で、鰐の目を突き刺そうとする。右目には命中したようだ。それでも鰐の攻撃はまだ容赦無く続いている。
「きゃああ祥子!左腕が!」
「あのままだと助からないんじゃ…いやそんな事あるもんか!えいくそ!この鶴橋で!」
「あ!啓吾君まで!」
「あ、啓吾君。危ないわよ。」
「危ないのは祥子さんだよ!今助けるから!」
「ああ、もう二人とも!でも祥子が先にやっちゃったしね……。」
 祥子は、肥立ち手は鰐の口の中で、もう使えず、右手は銛で鰐の右目を突いたまま、中々外れようとしない。
 そこへ突然、ザクッと鰐の背中を強く突いたのは、啓吾の拾って来た鶴橋だった。鶴橋は、鰐の背の鱗を破るように刺さる。
 鰐はギャワワと声を挙げると、一度口を開ける。怯んでいるうちに、啓吾が鰐の背中を鶴橋で何度も強く叩く。鰐の背中からは肉までが抉れて、血が流れて来る。鰐は悶えだしたが、また襲って来ようとする。
「祥子さん!この鰐をやるのなら、次は左目を早く!」
「うん!」
祥子は鰐の左目を狙う。だが、暴れ回って必死で抵抗する鰐には、中々厳しかった。
「これでもか!これでもか!」
「えい!……やった!!」
「お、これでこいつはもう目が見えないよな。よし、これでやれるぜ。後一息だ。」
何度も何度も鰐を殴った後、最後の一撃はザクリッと鰐の頭部へ鶴橋が突き刺さり、そして見事に貫通した。
鰐は大きな叫び声を挙げると、そのまま水面へ平伏(ひれふ)す様に倒れて動かなくなった。
「よっしゃ!でも祥子さん、左の腕……。」
「そうね。」
「やったじゃないわよ、もう。まだ良かっただろうけど……。」
と香織。

「さようなら、ラドンちゃん。最後までよく頑張ったわね。」

 その後、三人は鰐を引き上げた後、胴体と尻尾の部分を切り取り、焚き火をして鰐をこんがりと焼いた。昼の弁当代わりに食べてみるとこれが非常に美味しかったと言う。油をもっと足したら鰐の唐揚げが出来ていたかも知れないが、そんな事まではもうどうでも良いのだ。祥子は鰐の頭部にはこっそりと軽く一つキスをしていた。何処まで変わり者なのだろうか。
 すぐに祥子は救急車を呼んで貰い、左腕を切断して貰ったのだ。ここで祥子は左腕を失う事になる。義手を買い、それを左手代わりに使うそうだ。鰐の被害だとも言わざるを得ないが、御尋ね者になっていたあの鰐を退治した事でも国から幾つか報酬も貰えた。
 でも、自分があれだけの事件を起こした張本人だと言うのに、ここでまた褒賞金なんて、何か理不尽ねと祥子は思ったが、これもまた弱肉強食である、無秩序な自然状態の中では、致し方ない部分もあると考えざるを得なかった。
 あれからすぐに、「全てのペットを、処分した、食べてしまった」等と香織達には話し、本当の事を打ち明ける勇気だけは、祥子には無かったのだ。大学に入ってから話そうかどうかも迷うところである。このまま大学を卒業しても、定年退職までに本当の事を打ち明けるかどうかは解らない。
 打ち明けようと打ち明けまいと、大失態の一つとして、香織ならきっと、祥子の親友のままでいてくれるだろう。
 人間は人間同士で、同じ時間と空間を共有出来るのだ。弱肉強食は、いつか晴れるように、弱い部分も支え合って行けるものだ。きっとこの後もうまく行く。

「ねえ祥子。そっちの大学は面白い?」
「ええ、まあ行けてるって感じかしら。」
「良かったあ。こっちも良い感じよ。テストがなかったらもっと、だけど。」
「そうね。」
「あ、そうそう。今年にね、あの祥子のいとこの啓吾君が、私の大学のオープンキャンパスに来るそうなのよ。受ける気満々みたいよ。こっちは県外なのに頑張ってるのね、あの啓吾君。」
「ええ、凄い!じゃあ、香織と一緒になるかも知れないのね!」
「私は教育学部で保育の勉強してるんだけど、啓吾君は理学部で生物学を専攻するんだって。生物学教師か、若しくは生物学者になりたいんだって。」
「へええ!よくやるわね!あの子も。」
 二人は御互い、大学一年生だった。夏期休暇が近付く頃、電話越しで話し合っている。
 祥子はそのまま地元の大学に入学し、香織は隣の県の大学にいる。香織は保育士志望で、祥子は家政学部で、ファッション関係の仕事を目指すらしい。または目立たないOLになるって手もアリかも知れないが。
「じゃあ、夏休みそっち戻るから、また一緒に何処か行こうね!そう、啓吾君にもまた宜しくね。」
「うん!そうね!」
「じゃあね、バイバイ。」
「うん。じゃあまたね。」
そして電話を切る。

今だけの若さは大切ね。
皆、若い内にしたいだけの事をして、美味しい物も一杯食べようね。
皆若くしていなくなっちゃったけど、次はきっと人間として生まれて来ようね。
そしてまた、会いましょ。
それまで御機嫌よう。別れは、出会いの始まりになるのよ。


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