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Gutsヒロの人生の再起と希望の物語

こんにちは、Gutsヒロです。いつものスイーツ・ストーリーから離れてタイトルにある「Stay Dream」の言葉について語りたいと思います。

ご存知の方いるでしょうか。アーティストの長渕剛さんの作品の中に「Stay Dream」という歌があります。私が人生の波に挑み、何度も立ち上がった歌です。今回は、私がこの歌から得たインスピレーションと、人生のいくつかの重要な瞬間の焦点を当てたストーリーを共有したいと思います。

*このブログでは著作権の問題があるためアーティスト名と曲名だけを使用します。歌詞などを引用すると違反になることもあるので、この場では一切引用しないため、もしこの曲が気になりましたら独自で聞いてみてください。

1.学力が追いつかない日々

私は、不登校になってから勉強ができる環境を失いました。そして、中学卒業後は高校へは行かず、1年浪人しました。しかし、生活する中で新聞の文字がほとんど読めなかったり、人と会話が出来なかったりと勉強をしていないことへの危機感を覚え、16歳の時に通信制の高校生活を始めることになりました。小学と中学は不登校だった私は学校に行くことに恐怖でいっぱいでしたが、「Stay Dream」は私に希望を与えました。私は、高校生活が始まっても、小学1年生からの漢字や数学からスタートでした。高校のクラスメイトとの差を埋めるために毎日8時間以上も勉強をし、高校2年生になってようやくクラスメイトと学力が追いつきました。そして、高校4年間を通して20歳の時に卒業をすることができ、夢への1歩ずつ進む勇気を持ちました。

2.自己弱さに向き合う

私は、仕事や生活の中で何度も挫折をしました。アルコール依存症に苦しむ時期もありました。精神科の病院に入院し、投薬されて慣れない薬に苦しんだ時もありました。もう死んでしまいたい時と思った時、「Stay Dream」のメロディは私を支えました。私の内側には、別の私がいました。それは自分の弱さに向き合うことが怖かった瞬間の自分です。しかし、自己評価にとらわれず、前に進む勇気と力を与えられ、挫折や困難に立ち向かう力強さを私に与えてくれました。

3.逆境のフランス料理の舞台

私は20代の後半にあるフランス料理界に足を踏み入れましたが、そこは期待もチャンスもなく、パワハラの日々でした。オーナーシェフは私に辛辣な言葉を投げかけ、給料は練習費や本の購入代として使うよう指示され没収されたようなものでした。1年半も続いた状況は私の心をすり減らし、体を動かせなくしました。ある日、体が持たず初めて仕事を休むことに。それが精神科病院でのドクターストップでした。そして、その日私は2度目の精神科の病院の入院を余儀なくされたのでした。
しかし、入院は新しい始まりでもありました。これまでの経験は非常につらいものでしたが、それが私にとって新たなスタートを切る契機でもあったのです。フランス料理や洋食から離れ、私の本当の情熱であるお菓子作りの道に進むことを決意しました。「Stay Dream」の歌のメロディは、この新たな旅への希望と勇気を奮い立たせてくれました。

4.新たな夢への道

私は29歳になり、フランス料理や洋食の世界を終えて、次なるステップとしてお菓子作りへの情熱が私の心をパティシエになる決意をしました。挑戦は大きかったです。私は29歳で調理師専門学校に入学しました。周りは18歳の若者達で、最初は恥ずかしさや不安に包まれました。しかし、「Stay Dream」は私に勇気をくれました。年齢を気にせず、情熱を追求しました。

このブログは「Stay Dream」という素晴らしい歌が私の人生に与えた影響を伝える試みです。挫折な困難に立ち向かう勇気、夢を追い続ける情熱を持つことの大切さを伝え、他の人々にも勇気を与えることができれば幸いです。


黒糖の生地と抹茶のクリームの和風ロールケーキ

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