老害達に告ぐ

"最近の若いもんは‥‥"
"最近の曲は‥‥"

時代が変われど、時世が違えど
上のセリフはよく聞かれます。。

僕なんて中学からゆとり教育がはじまり
どっぷり土曜日に休んでました。
社会に出たばかりの時は
「これだから、ゆとり世代は‥」
などよくいわれたものです。
だいたいこんなこと言うのは仕事ができない人でしたが。

たしかに、ゆとり世代以降の人は、それまでの人たちと大きく中身が変わってきていると感じます。
より、ドライに
より、寛容に
より、個人主義に
それが良いか悪いかはさておき
確実に人の性質が変わっています。

それはゆとり教育が起因しているのでしょうか?
僕はそうではないと思います。

そもそも、ゆとりを持たせた教育やスパルタ的な教育は戦後、バランスを時折かえて振り子のように繰り返してきました。
平成中期から始まったゆとり教育だけを切り取って学力が下がった!根性がなくなった!
とはいささか乱暴で狭量な意見ではないでしょうか。

ゆとり教育は失敗だった。。
なんてメディアで流れてますが、その教育や方針が正しかったかなんて
終わってすぐわかるものではありません。
教育は大きな社会システムの中の流れの一つで
政治面、経済面で結果に繋がってくるのは数十年後です。
現に、政治に関わってる人や
社会的地位についてる人もごく僅かで
真の意味でのゆとり世代の社会参画は未だ果たされていないのです。

十数年。
あと20年しないうちに社会においてのバランスがひっくり返ります。
俗に言う昭和世代、が少数派にまわります。
そうなった時、昭和世代は生き残っていけるでしょうか?

ゆとり世代以降の人々によりグローバルスタンダードに近づき、令和ナイズドされた社会に適合できるでしょうか?



老害達に告ぐ

時代の大きなうねりの中で新しいタイプの人間の発生は仕方がないことです。
それが文明の進歩によるものなのか、
はたまた、高度なインテリジェンスが施した
魔法の賜物なのか。
正直言って分かりません。

ただ、令和世代を古い思考や制度、考え方に強制することは不可能です。
その"生き方"は少数になり
社会自体に淘汰されます。

ちょうどクロマニヨン人の発生で絶滅したネアンデルタール人と同じように。

老害達よ寛容になりましょう。
新しい世代を容認しリスペクトすることで
自己の変化に繋がります。
変化できるものだけが環境に適応し生き残れます。

僕をはじめゆとり世代以降から率先的に
昭和世代を淘汰することはありません。

寛容さこそが我々の旗印ですから。




まぁnote見てる人に僕の言う老害はいないと思いますが。。

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