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除夜の鐘、幸福、正しいアルゴリズム

今年も一年いろいろな事に悩み、考えるきっかけがあった。

個人的に解決できるものや、個人ではどうしようものまで、様々。

今までの当たり前に、
この歳になってから、
いや、なったからこその疑問は沢山でてくる。

悩んだ時に、
自分のことだけを考える悩み方、
自分以外のことを中心に考える悩み方、
どちらもあったし、
それ以外もあった。

この複雑な世界は、
悩みも複雑にしたいらしい。

この悩みは、
哲学であり、科学であったり、神学であるらしい。

悩みは自分があるから、
あるのだろう。

いろんな当たり前に、
なぜ?
を持つ必要性。

ロジカルの逆だ。

フェルミ推定はロジカルなものなので、
あまり長く悩むことを良しとしていない。

なるほど、
要は使い分けなのだろう。

何かだけが正しくて、
何かだけが間違いというわけではない。

今年は禅について、多くを学んだ。

正しいとは、
一旦止まって考えること、
だそうだ。

たしかに、
自分の偏見やエゴで突っ走るより、
いろんな人の話や意見を聞く、
これは、一旦止まっているといえる。

この、
止まるという動作。
これには、優しさが溢れている。

相手を思いやるのも、
まさにこの動きだろう。

誰か見ず知らずの人が、
ものを落としたり、忘れた時に、
自分の、行動を一旦止めて、
誰かのために動くこと。

一日一善でも、やりたいものだ。

思いやる気持ちが、
少しでも増えたら、
日本人の幸福度も上がるのでは?

どうも先進国は、
自分だけの、限定した幸せを望んでいるように
みえる。

ワガママなのでは?

ワガママなんて、本当は恥ずかしい。
日本人の倫理観は、
時代によって違うようだ。

その、時代時代で
価値を生み出す思想はかわる。

時代という概念を、区切ることは
アルゴリズムだそうだ。

パソコンができる前から、
アルゴリズムはあった。

むかしむかしからあったのだろう。

歴史が好きで、いろいろな時代の話を読むことが多いが、
なぜ?
その時代の人は、それをしたのだろう?

理由や答えが欲しいのではなく、
なぜ?
と一旦立ち止まって考えることが
大切なのだろう。

複雑なアルゴリズムがいくつも、
一瞬で処理される時代だからこそ、
機械が得意な便利さはさておき、
なぜ?
幸福に感じないかを考えたらどうだろう。

ウェルビーングにSDGS
世界にはたくさんの立ち止まって考える人がいる。

進化ばかり、自分のことばかりを考えないで
いけるだろうか。

ロダンの考える人は、
地獄について考えているとも、
何も考えずにただ地獄を眺めているだけとも、
まさに、地獄の門に未来人がいることでも、
予測していたかのようだ。

学びは、自分の幸せのためにも
必要に違いないが、
もっともっと視野を広げたら、
実は自分にできることは、
自分が想像した以上に、あるのかもしれない。
考えても、考えなくとも
地獄には違いないかもしれないが。

そんな、人間の醜い部分を考えさせてくれるのは、

除夜の鐘

人間の欲望、煩悩を考えるには
一年に一度でいいから、
考えてみてもいいかもしれない。

一旦、振り返ることは、
実は未来に繋がっているのかもしれない。

#今年のふり返り

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