見出し画像

読書note

本を読んでいるとき、不意に涙がにじむことがある。

キラキラした恋愛のすえ、
女の子が死んでしまう物語がいわゆる「感動作」の部類なのかもしれないけれど、そういう作品ではあんまり泣けた覚えはない。
(パターン化してるように感じてしまうからかな)


思わず涙がでてくるのは、
どうしようもないひとの痛みを垣間見てしまったときだ。
言葉が、特有の文字列が、胸の中心に落ちてゆく。文章を目でとらえて心に落ちた瞬間に、
目頭が熱くなって、気づけば少し泣いている。
心が波立つ瞬間がある。


本を読んで泣くことって、前はそんなになかったのに。単純に涙腺がゆるんでるのかもしれないな、とも思うけど。

そんなふうに思ったのは、
ずっと気になっていた『砂嵐に星屑』という本を読んだときのこと。




ひとつの季節ごとに、
さまざまな事情を抱えた人が登場する物語だ。
同じテレビ局に勤める人々の人間模様が、とても仔細に描かれる。



虚構の世界のはずなのに、そこに描かれているのは、まぎれもない「現実」だ。
誰の心にも宿っている、生活のおりのようなもの。
その淀みに足をすくわれそうになりながら、もがきながら日々は続く。



ベテランの独身アナウンサーや、周囲の早期退職に懊悩する報道デスク、決して実らない恋心を抱えているTK、まだ駆け出しのディレクター……


出口の見えない毎日に、最後少しだけ光が差す。
ああ、またこれからも生きていこうって、そう思える。


報道デスクとして登場する、中島なかじまさんの人柄が好きだ。

会社で過ごす日々に忸怩たる思いを抱えながら、それでも自分を叱咤して、前に進もうと決意する。


地震で交通網が麻痺して、
中島さんは徒歩で、約4時間かけて会社を目指す。
途中、ベンチで休憩しながら。


負荷からひととき解放された足の裏はじわじわと痛みを放散している。飴の糖分が口の中に広がると全身の細胞が歓喜するのがわかった。カロリーとはエネルギーで甘みとは快楽なのだと、理屈抜きに実感する。ほっとした。疲労や焦りややりきれなさも一緒にちいさくなってくれるような一瞬の安堵が中島の心に空隙をつくり、今度こそ本当に泣きたい気持ちになった。



普通に人生を歩んでいて、
傷つかない人はいない。

みんな、人に言えないような孤独や痛みを抱えている。
「せめて、あの人くらい何かできれば」と思ったり、自分と他者を比較して不甲斐なさを呑み込んだり。でも、それは生きていれば誰でも抱える痛みなのだ。


だからこそ、その一瞬を、
再起にむかう決意を美しいと思ってしまう。

昼間に見た星みたいに、見逃した流れ星みたいに、とても美しくてかけがえのないものに思えてくる。



タイトルにもあるように、この物語にはときどきモチーフとして「星」が出てくる。

砂嵐のなかを歩むような日々だけど、
それでもほんのわずかな希望が差し込む瞬間がある。
まるで見過ごしそうな、とてもささやかな光だけど。その光を見失わずに歩いていけるかどうかは、そのひと自身にかかってる。


ひとりきりだと思っても、八方塞がりだとしても、人は思いがけないところで救われたりするものなのだ。

小説の一編の言葉が、誰かの心を照らすみたいに。


本当はもっと他に泣けた箇所もあったけど、
それは心にしまっておく。


初版には特典の掌編が載ってて、
ちよっと得した気分になった。

直木賞候補になった、
『スモールワールズ』も読みたいと思う。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,330件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?