音楽と、読んだ本のこと
久しぶりにワイヤレスイヤホンを取りだして、
家のなかで音楽を聴いた。
ニューリリースに入っていた、
宇多田ヒカルさんの『BADモード』というアルバム。
宇多田ヒカルさんの曲が、ほんとうにずっと好きで聴いてる。
(YOASOBIとか、ゲスの極み乙女。とかindigo la Endも好き。川谷絵音さんはバンドの掛け持ちが凄すぎて追いきれない……)
宇多田ヒカルさんは、なんというか、曲ぜんたいの詩情が好きだ。
音楽なのだから、メロディとか歌詞が好きって言うべきなのかもしれないけれど、なぜか詩情と言いたくなる。
曲のなかに閉じ込められた、メランコリーに共感する。
家のなかにずーーっといると、やっぱりストレスが溜まるけど、
音楽を聴いてるときは、違う空間にいられる気がする。「みんなと同じ空気」を共有しなくていい安心感に包まれる。
もうしばらく家にいるときは、音楽に助けられるだろうな。
今日は、買ったまま読めてなかった本を少しずつ読んでいた。
『本は読めないものだから心配するな』
表紙の絵とタイトルに惹かれて、衝動買いした本のひとつ。
(そういう本が家の書棚に数冊あって、まるで非常食みたいだ、と思う。思いがけず図書館の本を読み終えてしまったときに読む本)
パラッと見ただけで上質な本だと分かる語り口。
引用したい言葉もたくさんある本だった。
最初に惹かれたのは、この辺り。
本とはいわばテクストの流れがぶつかる岩や石か砂か樹の枝や落ち葉や草の岸辺だ。流れは方向を変え、かすかに新たな成分を得る。問題なのはそのような複数のテクスチュアルな流れの合成であるきみ自身の生が、どんな反響を発し、どこにむかうかということにつきる。
『読書のための時間が限られていればいるほど、迷う必要はない。きみは詩を読めばいい』という序文で始まる一節も素敵だった。
(全文引用したいほど)
特に好きなのは、以下の部分。
自分と自分との関係をむすびなおすための言葉は、自分で準備してゆくしかない。そのやり方を教えてくれるのは、陽気な孤独のうちにつむがれた、すべての先行する詩の言葉だけなのだ。
なんて素敵な思索だろう。
「言葉」そのものについても巧みに考察されていて、深い森のようだと思った。
この本じたいも、森みたい。
多くの言の葉で編まれた森。
言葉を綴ることの根源的な意味が、色んな本の紹介と共にたくさん記述されていて、何度も読み返したくなる。
自宅待機から約5日。
(来週からは子供達も登校&登園できるといいな。そうじゃないと仕事に行けない……)
勤務先の図書館は、とりあえず閉館しないみたいでホッとしている。
(図書館が閉まると、とてもさみしい)
本に出会う機会は、絶対減らない方がいいから。
次に地元の図書館に行けたら、詩を借りてみようと思う。
(詩も短歌も好きで、たまに借りて読みたくなる)
著者が記しているように、
心の地形や気象を変える契機になればいい。
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