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古典の魅力

古典の面白さを知ったのは、20代の半ば。
大人と呼ばれる年齢になって、数年経った頃だ。

それまで、和風ファンタジーは好きだったものの、その下地となる古典に触れたことはなかった。

試しに角川ビギナーズの『源氏物語』を読んだら、めちゃくちゃ面白かったのだ。
それをきっかけに、瀬戸内寂聴さん訳の源氏を全巻読みふけった。
(『源氏物語』はたくさんのひとが訳してるけど、瀬戸内寂聴さん訳のものは読みやすく、歌の解釈もそれぞれ丁寧に載っていて良いなと思う)

荻原規子さんの『紫の結び』も好き。
江國香織さんが訳した『夕顔』も素敵だ。

ちなみに、
『源氏物語』は好きだけど、主人公の「光る君」はぜんぜん好きじゃない。
(幼少の紫の上を拉致する場面とか、いやいや人としてどうなの?と思う)
(もちろんダメなところばかりではなくて、手を出した女君はみんな最後まで面倒をみていて、律儀な側面もあると思う。囲うだけ甲斐性があるというか)

主人公がそんな貴公子だから、周りの女君たちが魅力的に思えるのかもしれない。
どの女君が好きかと問われると、とても難しい。

みんなそれぞれ個性的で印象深いのだけど、
いちばんは朝顔の君かな、と思う。

あまり登場しないけど、
光る君を最後まで拒んだ女君として、鮮烈に記憶に残っている。
(そしてふたりは婚姻関係に陥ることなく、ずっと言葉のやり取り(文通)を続けていくのだ。
朝顔の君の思慮深さといったらない)



古典にまつわるエッセイも好きで、
特に田辺聖子さんと、酒井順子さんの本はとても面白い。

古典は大人になってからの方が、その魅力が分かる気がする。
(高校のとき、『源氏物語』の若紫を習ったけれど、当時はまるきりその面白さが分からなかった)


むしろ清少納言の『枕草子』に惹かれていた。
言葉が綺麗だったからだ。
習ったのは『雪のいと高う降りたるを』

春はあけぼの、で始まるあまりに有名な随筆。
いま読んでも、とても好きなフレーズがたくさんある。言い切っているところが、とても潔くて良い。

たとえば、

「あそびは夜。人の顔見えぬほど。」

「ただ過ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。
人の齢。春、夏、秋、冬。」

昔の仮名遣いなのに、
今読んでも、ぜんぜん古びた感じがしなくて不思議だ。

千年前のひとと同じ気持ちになれる、というのが
古典の醍醐味かもしれない。


例えば、
大晦日に除夜の鐘の音を耳にすると、
『枕草子』の「しのびたる所にありては」から
始まる一節を思いだす。

原文は、

「冬のいみじうさむきに、うづもれ臥して聞くに、鐘の音の、ただ物の底なるやうにきこゆる、いとをかし」

物の底で鳴り響くように、聴こえてくる鐘の音。

それと同じ感覚を、束の間共有できるということ。


そういう体験が古典をグッと身近にしてくれるし、いま見えているものを新しくしてくれるのだ。




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