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落とし物についてなど

数年ぶりに新しい時計を買った。
それまで使っていた時計もすごく気に入っていて、買う予定はなかったのに。
つまり、突然なくしてしまったのだ。

外出時につけたことは覚えてる。
そのあと、ヨガを受けるために外したのだ。
鞄にしまったはずなのにどこにもない。
車のなかにも、どこにも。
たぶん道に落としてしまったんだと思う。

いちばん考えられるのは、車のドアを開けたとき。
鞄にしまおうと思って膝の上に置いて、それを忘れて道に落としたんじゃないかと思ってる。
そうなると、もう絶対見つけられない。

今はスマホがあるから、時計をしないひとも多いのかもしれない。
スマートウォッチもあるけど、わたしはアナログ派だ。休日用はピンクゴールドか金色の時計がいい。
最初は電池交換式にしようと思ったけれど、いろいろ迷ってソーラータイプにした。
電池交換式より高いけど、光で動いてくれるなら長く使うほどお得かもしれないと思って。

仕事用には別の時計があって、休日も必ず時計をするから、時間を知りたくなるたびに左腕に目をやってしまった。
何もない腕を見るたび、ああ買わなきゃなぁと思っていた。時間を確認したいだけなのに、スマホを出すのは面倒だったから。
意外にも、出先では時計が見つからないのだ。
いつも行くコーヒーショップにも、ショッピングモールでも。


時間に関して、面白い話を読んだことがある。
「人間は記憶によって時間を認識していて、忘れることで時の流れがわかる」という話。
実験で「記憶を忘れないネズミ」をつくったら、全部が今の出来事に思えて、時が止まったように感じられるというのだ。
たとえ逆方向に(未来から過去に) 時間が流れていても、ヒトには認識できないとか。

物をなくすと、なくしたものが認知できないブラックホールに吸いこまれた気分になる。
ぜんぜん記憶にないから、どこを探せばいいかも不確かだ。
人間は自分の記憶しか判断基準がなくて、それを信じるしかない、というのも本で読んだ。
こんなに不確かなのに、それに頼るしかないなんて!

図書館にも、ありとあらゆる落とし物が届けられる。
なかには「どうしてこんなものを?」と思うものもある。どうやって忘れていくんだろう、と思うほど大きなものも。
でも、落とし物をしてしまうとよくわかる。
物をなくしてしまうときは、意識がどこかにいっているのだ。
時計を外したときの記憶がまったくないように、みんな気づけばなくしているんだろう。


落とし物について考えていたら、谷川俊太郎さんの詩をふいに思いだした。

あの青い空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい
 
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

『かなしみ』谷川俊太郎



「透明な過去の駅」という表現が時間に関係していて秀逸。

時間が未来から過去にも流れているのなら、デジャブを感じるのはそのせいかもね、なんてパートナーは話してた。


休日に時間を知りたいのは、帰宅時間を把握するためだ。
無心で書いてるときなんて、1時間が一瞬だから。


とりあえず、新しい時計が左腕におさまったことにホッとしている。



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