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詩について

繰り返し読みたくなる本はいくつかあるのだけれど、数ヶ月前に手にとった『本は読めないものだから心配するな』もそのひとつ。


特に著者が詩を読むことを勧めるくだりは、
とても良い。

読書のための時間が限られていればいるほど、迷う必要はない、きみは詩を読めばいい。詩集は余白が大きくて目が疲れないし、詩そのものは大体どれも短い。それで短時間に、くりかえし読める。読めば心に残る。驚きがあり、発見がある。

『本は読めないものだから心配するな』



詩で有名なのは谷川俊太郎さんで、好きな詩はとてもたくさんある。

最近読みたいと思ったのは、
茨木のり子さんの詩だ。
『自分の感受性くらい』が一番有名だけど、
他にも読んだことのない詩をあらためて読みたいと思ったから。


読んだのは『わたくしたちの成就』という詩集で、最愛の人と別れた哀しみが表されていた。


特に好きだと思ったのは、
(存在)という名前の詩。


あなたは もしかしたら
存在しなかったのかもしれない
あなたという形をとって 何か
素敵な気がすうっと流れただけで

わたしも ほんとうは
存在していないのかもしれない
何か在りげに
息などしてはいるけれども

ただ透明な気と気が
触れあっただけのような
それはそれでよかったような
いきものはすべてそうして消え失せてゆくような

(存在)
 


『死こそ常態 生はいとしき蜃気楼』って言葉が『さくら』という詩にも出てくる。
(これもすごくいい言葉。ハッとさせられるし、真理を言いあてていると思う)

こういう無常感や、
儚さや愛しさが表されていて、
気づけば無心にページをめくっていた。


詩を読むことは、
そのまま自分の生をかえりみることだと思う。

そしてその体験は、言葉が真実であればあるほど自分を支える土壌になるのだろう。


色んな感情を言葉にできないとき、
わけもない悲しみにおそわれるとき、
空いた時間に詩を読むと、読む前の自分とは少し変化する。
それはさざなみほどの小さな変化だけれど、
言葉は余韻となって深く残る。

それこそが、詩を読む大きな意義なんだろう。



ただひとりになったとき、どうにもごまかすこともできず、自分と自分との関係をむすびなおすための言葉は、自分で準備してゆくしかない。そのやり方を教えてくれるのは、陽気な孤独のうちにつむがれた、すべての先行する詩の言葉だけなのだ。

『本は読めないものだから心配するな』



先にあげた本の、この言葉も素敵だった。

茨木のり子さんの詩は、とても潔い印象だったから、まるで少女みたいな言葉の連なりを読むのは新鮮でもあった。


人間の複雑さや、矛盾や弱さを含む多面性を知る上でも、詩は大きな手筈になる気がする。


読書する暇がとれないとき、
色んな詩の言葉に触れて、お守りみたいに持ち歩いていたい。





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