シャッターを切った瞬間の、「自分の好き」を信じたい。
私、やっぱり自分の写真が好きだ。
多分それでいいのだと思う。
自画自賛ってあんまり好きじゃないけれど。
その一瞬が好きだから、切り取っているのだ。
自分が胸を打たれたから、シャッターを切った判断だけは、やっぱり信じたいと思うのだ。
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ふと、自分のnoteを眺めていた。
100日過ぎた頃からだろうか。カメラを手にしてから写真と短文を載せることが増えた。
私の新しい表現の1つだと信じて、更新を続けた。
絵日記のような、写真日記のような。私の一部だと信じて。
そして同時に思った。
この色、好きだな。
それと同時に、私の好きの感覚は1番私が知っているのだと。
胸をギュッと掴むような、切ないけど色鮮やかな写真も、透明感を目指した優しい写真も、全部は結局自分なのだ。
人の真似していると思ったけれど、自分に刺さったものだからこそ、真似したくなるし、追求したくなるのだろう。
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SNS上ではポートレート写真が流行っているように感じる。私も挑戦したいなと思う反面、誰も知らない土地では、足のない場所では、身構えてしまう。
だから恋人を撮るとか、風景を撮るとか、その時思ったことをその写真と共に載せることが、今の私にできる最大だと思ってできたカタチだった。
わたしには私の土俵がある。
それを強みにしたかった。
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今の時代、良い写真家なんてたくさん見つかる。そして同時に、もっと評価されるべき人たちも沢山いると思う。バズらなきゃ、フォロワーが多くなくちゃ良い作品じゃないということもない。
宣伝力、拡散力にはもちろん欠けるのかもしれないけれど、誰かの努力や作品の魅力をもっと自分ごとのように捉えたい。
私の写真の好きなところ、もっと誰かに見てほしいけれど、まだ自分の中で育てたい。
写真はイマイチだけど、文章は好きだなとか、そういうのでも良い。
自分の好きを尖らせていきたい。
お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。