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「ぼくのなつやすみ」を話す人たちが羨ましかった。

遠くに聞こえる太鼓の音を聞いて、今年も夏が終わるのだと思った。

沖縄では、エイサーという伝統芸能がある。手に持てるくらいの小太鼓や、中太鼓、そして、肩から紐を通して、ぶら下げながら抱えて持つ大太鼓。獅子舞や旗持ちなどが列をなして音楽と合わせて歌って踊る。

それが、地域の大きな道路で交通規制をかけながら行われ、音が聞こえると街の人が集まり、カチャーシーや指笛をピーピー鳴らして、踊ってはお金を投げていく。

エイサーは、沖縄に住む人にとって、大切な夏の風物詩だ。

最近は流行りの曲とコラボして演奏したエイサーも流行っているけれど、よく耳にするのは「ミルクムナリ」という曲だった。

旧暦のお盆が終わった後、沖縄本島では有名なエイサー祭りがあって、そのCMを見ている頃、夏の終わりを感じた。

そのお祭りは、毎年9月がはじまった土日に開催されるからだ。

宿題は先に終わらせるタイプ。あとは遊びに徹底する。そんな夏休みを満喫していた…と言えたら、カッコイイのだけれど、現実はそうじゃなかった。

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宿題は先に終わらせるタイプだったけど、その残りの期間は地獄だった。

宿題って、全部終わらせる人って馬鹿なのかもしれないと、毎年思っていた。けれど、怒られるのが怖いから毎年終わらせていた。

私の怖いの対象は先生じゃない。親だ。

全部終わらせずに、学校へのほほんと登校できる子が羨ましかった。彼らもまた、違うことで苦しんでいたかもしれないのに。

お兄ちゃんに手伝ってもらったとか、そんな話すら羨ましい。喧嘩したり、比べられたり、きっと兄弟がいる人しかわからないこともあるだろう。それでも、自分のことを自分でする辛さを知らないまま、私も過ごしてみたかったと本当に思う。

私のnoteを見ていて勘付いている人もいるかもしれない。しかしこの際にはっきり言おう。私は毒親育ちだ。夏休みが終わって、翌日から始まる学校のことを考えて、子供たちは悩むという記事を見たけれど、きっと中には「学校という逃げ場があるだけで助かった…!」と思う子もいるのではないかと思うのだ。

「学校が嫌い」「またいじめられる生活が始まる」「勉強が辛い」それもまた、私はわかる。いじめにもあっていたから、学校という場所が、逃げ場だと思えない気持ちも持ち合わせている。

それでも、私は「8月31日に解放されるかもしれないアナタへ」書こうと思った。

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夏休みの始まりが最早辛かった。

夏休みの前日、終業式の日。出された宿題や机の中に残していた教科書で重い荷物を持って帰る。

明日から夏休み。宿題は3日以内に終わらせないと怒られる。夏休みの図書館利用の日だけは外出が許されるけれど、朝から晩まで親の言うことを聞いて、もし機嫌がよければ友達と遊べるから、怒らせないようにしよう。そう考えながら帰る帰路は荷物も相まって、気持ちも重かった。

みんな、夏休みは旅行するとか、友達の家に泊まりにいくとか、お祭りに行くとか、そう言う話題ばかり。羨ましかった。

夏休みどこかへ行った記憶がまるでない。家族でどこか行ったことって、私あったかな。

兄弟もいない私は、ひたすらどう過ごすか、朝起きて洗濯して…のプランを立てていた。

起きて、部屋の掃除をして、洗濯をして、親のご飯を買いに行って、それから何してたかなと記憶がない。私の夏休みの記憶に、楽しかった思い出が何もないのだ。

ただ、夏休み後半にある出校日が嬉しくて、早く学校が始まってほしい気持ちでいっぱいだった。

こんな辛くて長い夏休みを、終わらせて欲しいのに、現実は終わることへの悲しさもある。

別に学校へ行って楽しかったこともあんまりない。それでも、お家にいるよりはマシかなぁなんて考えていた。

そういえば、夏休みの宿題にと持ち帰らされたアサガオの花ってどうなったっけと、頭を過ぎったけれど、観察する間も無く、あっという間に枯らし、朝の観察日記を書いて提出したことを思い出した。

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9月になれば。

私の住んでいた街は、夏休みが終わるとすぐに運動会の練習が始まる。今より熱中症が話題にならなかったから、水分補給の大切さを厳しく言われることなんてなかったけれど、よく先生が怒って練習を辞めにしたり、先輩たちと合同で練習したりで、気に触ることをしないようにといつもビクビクしていた。

正直、どこに居ても心が休まらなかった。

消えちゃいたいと思ったのに、だらだらと毎年代わり映えのしない夏休みと、夏休み明けを繰り返していら私の夏は、誰かのためにもならないのを知りながらも、精いっぱいに今を生きてきた。

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8月31日が怖いけど、きっと嬉しいこともあるよ。

いやいや、嬉しいことってなんだよと思うかもしれない。8月31日って、憂鬱かもしれない。それでも私はお家という鎖に縛られているより、学校が始まる嬉しさの方が強かった。

特に、高校生になった時は部活動を初めたから、部活に打ち込めると思って嬉しくてたまらなかった。私は美術部だったから、好きな絵を描ける嬉しさがあったし、友人と漫画やアニメの話を心ゆくまでできるのが嬉しかった。

幼い頃から、私に夢中になれるものがあれば、よかったかもしれない。

そうすれば、もっともっと、学校のない夏休みも楽しく過ごせたかもしれないし、8月31日の苦しみに寄り添っていけたかもしれない。

けれど夏休みの間、親の元でせっせと動いて苦しんでいたあの頃と、同じように過ごしている人がいるなら、8月31日に解放される喜びを分かち合いたいと、切に願うのだ。

もう少しの辛抱だから、大丈夫。どうか自分の闇に負けないで。まだまだ辛いこともあると思うけれど、大好きな人たちと笑い合うために。その笑顔を殺さないでほしい。

悩み、不安、苛立ち、辛さ、解放、喜び、人の数だけ、いろんな8月31日があるけれど、いつか笑えるように、どうか少しだけ乗り越えてほしい。そして、いつか同じ悩みに悩んだ夏休み最後の日を、話し合える機会があると私はとても嬉しいと心から思うのだ。

だから、今のあなたを殺さず、生きてほしい。

お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。