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(小説)ごめんなさい 5


最初から

前のやつ



5



読書家なのもあって、結婚後のパート先も本屋を選んだ。新品の本を扱う夫の勤め先とは違い、古本屋だ。務めて一年くらいか。

新品でないと嫌だ、という人も居るけれど、私は古本の独特の香りも好きだった。埃っぽいような、なのに優しい紙の香り。もちろん新品の本も好きだけど。


パート先でもやはり、私は外面を装っていた。
店員らの年齢層は少し高い為、私は皆から子供のように可愛がられた。見捨てられないように、必死に笑顔を作り続けた。


外面を作ることに疲れた時は、店のバックルームの一番奥、あまり人が来ない場所で座り込んで数分だけ休んだ。少しだけ目を閉じて、暗闇にじっと蹲っているだけで幾分心が落ち着く。
誰にも知られていない、私の秘密........だと思っていた。

その日までは。






「三島さん」


ある日、私はいつものように物陰に座り込んで目を閉じていた。足音もしなかったのに、急に己のすぐ近くに人の気配が生まれたのだ。


「大丈夫ですか?」


目を開けると、店主の息子の成瀬さんが私を見ていた。確か私より二つ年下の26歳で、店員としてこの店で働いている。


「すいません、ちょっと眠かったんです」


えへへ、と頭をかきながら身を起こし、私はそう答えた。成瀬さんは穏やかな表情で首を振った。


「知ってます。時々ここで辛そうにしてますよね」

「........」

「いつも人が来ないように、さりげなく人払いしてたんです、僕」


頬がカッと熱くなった。バレてた。
もしかして他の人も知ってるのか?たった数分とはいえ、私がサボってることを注意しに来たのだろうか?クビだろうか?


「ごめんなさい、ちょっと疲れやすくて........」

「他の人は知らないと思いますよ。ただ、今日ちょっといつもより長くここにいたので、具合でも悪いのかと」


その言葉に左手首の腕時計を見ると、確かにいつもより長い時間ここに座っている。ちょっとぼんやりしすぎたな。


「ごめんなさい........。すぐ戻りますね」

「いや、あの........」


歯切れ悪く声をひねり出しながら、成瀬さんは床に膝まづいた。両膝に拳を乗せて、下唇を噛み締めながら俯いている。何か言いたい、けど言葉が出てこない........そんな感じだった。



いつも人が来ないように、さりげなく人払いしてたんです────。
いつもより長くここに居たので、具合でも悪いのかと。



真正面から、全身に突風がぶつかってきたような衝撃が走った。これはどういうことなのか、どういうことなのか、理解してしまったのだ。

みるみる成瀬さんの顔が赤く染まっていく。男に好意を向けられるのは慣れているはずなのに、私もすごく恥ずかしくなった。いつも優しくて、気配りもできて、素敵な人だと思っていた。少しだけ、夫と結婚するよりも先に彼と出会っていたかったと考えたこともある。しかしだからといって、その時まで本当に意識したことはなかったのだ。


「すいません、三島さんがご結婚なさってるのも知ってますし、そういう不純なことをしたいというわけではなくて........あの、とにかく、」

「は、はい」


しばらくの間、モジモジとズボンの膝の辺りを指先で摘んだりしていた成瀬さんが、意を決したように視線を上げた。夫のそれとは違うけど、彼もまた透明な目で私を見詰めていた。


「僕と友達になってくれませんか?なんでもいいので、力にならせてください」

「........ああ」



すごく、綺麗だった。
メガネの奥に光るその瞳が、真っ直ぐで純粋で、私をちゃんと見てくれた。
あの日の夫の目を見た時よりも強く、確信を持って自覚した。
この人に恋をしてしまったのだと。



つづく

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