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(小説)ごめんなさい 6

最初から


まえのやつ

6



よくよく考えてみれば、今までの人生で友達と呼べる存在は居なかった。外面を作るようになってからは、仲良く接してくれる人は多かった。しかし何事も他人でしかなかった。

私の悩みも、苦しみも、誰にも話したことがなかった。泣くのも一人の時だけだ。夫の前で泣いたら、「うざったいから別の部屋に行って」と追い払われる。夫は私と向き合ってはくれるが、私を受け止めてはくれなかった。


だからか、成瀬さんの気持ちは素直に嬉しかった。


「........えっ、あっ!ごめんなさい!」

「いえ」


思わず涙が出た。嘘みたいにポロポロと、久しぶりに泣いた。嬉しくて泣くなんて、生まれて初めてだ。「嬉しかったんです」本当の気持ちを伝えると、彼は困ったように一瞬両手を私に向けて伸ばそうとしたが、思いとどまった様子で引っ込めた。安易に触ってはいけないと思ったのだろう。
「これ........」と、ハンカチをポケットから出して控えめに差し出してくる。それを受け取ると、滝のように流れる涙を拭った。拭っても、また涙が出た。


「なりましょう、友達。お願いします」


 こうして、生まれて初めての友達が出来た。

とはいっても、メッセージのIDと電話番号を登録し合っただけでやり取りはほとんどしていない。その代わり、パート中に会話をすることが増えた。

今まで夫にしか話したことがなかった親兄弟のことや、夫への悩み。あの小説は面白かったなどの世間話。


私には夫が居たし、成瀬さんにも恋人が居た。お互い叶わない恋心を封印しつつ、少しずつ親交を深めた。



夫との生活はというと相変わらずで、私の低い家事能力が原因で毎日のように怒られた。特に洗い物が苦手で、自分では丁寧に洗ったつもりでも僅かな汚れが皿にまだ残っていたりする。油汚れも綺麗にできずに、皿がぬるぬるしたままの時もある。

「何回言ったらちゃんと洗えるの」

「ごめんなさい……」


成瀬さんと友達になったからといって、気持ちは軽くならない。私の能力不足が原因なのだから仕方ない。
誤解しないで欲しいのだが、私には所謂不貞行為の類を行う意思は一切無い。成瀬さんに恋心は抱いているが、夫への気持ちの方が当然大きい。モラルハラスメントのようなものをされている自覚はあるが、彼に悪意はなく、純粋に私に正しい道を示そうとしているからこそのものだとも理解している。そういった被害(と表現するのも正直抵抗はあるが)を受けている側の常套句のようだが、「普段は優しくていい人」なのだ。

彼なりに私のことを思ってのことなのだ。特別私を攻撃したいからしていることではない、はずだ。





「んん……」


と、ある日仕事中に成瀬さんに以上の話をしてみた。彼は難しい顔でしばらく黙り込んでしまった。
「どうしました?」聞いても曖昧に笑うだけで何も答えず、困ったような表情を浮かべたまま、私から離れて店の外に出ていってしまった。何か悪いことをしたのだろうか。追いかけようにも他に店員がいなかったので、カウンターから離れられなかった。


成瀬さんは十分ほどして帰ってきた。声をかけようと顔を見て驚いた目を赤くしていたし、僅かに鼻も啜っていた。どう見ても、つい直前まで泣いていた顔だ。
「すいません、この件はちょっと自分の中で整理がついたら話します」というので、あまり細かく追求も出来なかった。他人が、しかも男の人が泣いたところなんて初めて見た。

どう話かけたらいいのか分からず、その件以降は一切口もきけないままで一日の業務を終えた。




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