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(小説)ごめんなさい 1

序章

1



私が生まれ育った家族には、明確なピラミッドがあった。

ピラミッドと言っても二層しかない。上が母と5歳年上の兄、下が私。父は私が3歳の時に死んでいる。

母と兄は、父が死んでから共に苦労を分かちあった戦友のような関係で、親子なのに友達のように仲がいい。
そして私はというと、父が死んで色々と大変な時期に、甘えてばかりで役に立たない、それなのに簡単に捨てることも出来ない........そんな邪魔な存在だった。

当然、子供だったから大した役に立たたないのは仕方がないのだが、それ以上に兄があまりにも器用だった。彼は、父が死んだ8歳の頃から、私達子供のために仕事に出ていた母に代わって家事をこなした。そこは尊敬している。すごい兄だと思う。


比べて私は、だ。
兄がなんでも出来るから、私は何もしなくてもよかった。むしろ、手を出したら邪魔にしかならない。

母と兄は、そんな私の事が不愉快で仕方なかったのだろう。3歳の子供相手に「家族の役に立て」と求めるのはどうなんだろう、と思わなくもないが。
しかし状況も状況。心に余裕がないからこそ、私に対して急速な成長を求めたのだ。まだ分かるわけもないのに。



朧げに覚えているのは、目の前に置かれた炊飯器だ。
内釜を両手に持たされており、中には水に浸った米。重くてたまらなかったのに、それを置くことを許されなかった。

兄が私に向かって何かを説明していたのを覚えている。炊飯器のボタンを指さしながら何かを言っていたので、恐らく使い方を教えていたのだろう。
当時の私に話が理解できるわけもなく、ただ持たされた内釜が重たくて仕方なかった。重いと訴えても、無視されて説明は続いた。説明が終わったのか、いきなり「わかった?やってみて」と言われた。なんの事か分からない。重たい鉄の容器を持って立ち尽くしていると、兄が大きな声で何かを怒鳴った。
それに驚いた拍子に、手に持っていた内釜を落としてしまった。床に水と米が散らばる。

呆然としている私の目の前で、兄が床に転がった内釜を持ち上げた。何をするかと思えば、それで私の頭を思い切り殴り飛ばしてきた。


倒れ込んで泣く私の腹を2回蹴ると、兄は私に背を向けて掃除を始めた。

その時に私は「ごめんなさい」という言葉を覚えた。




母も私に対しては厳しかった。
目が合えば睨みつけられ、抱いて欲しくて手を伸ばしたら突き飛ばされた。「ママ」と呼んだだけなのに、さんざん平手で叩かれて押し入れに閉じ込められた。
たくさん「ごめんなさい」と言った。許してくれなかった。
押し入れから出して貰えたのは、翌日の昼に祖母が家に来た時だった。祖母は私が小学校に上がる前に死んだ。私に優しい数少ない人間だった。



歳を重ねていっても、私はずっと邪魔だった。
中学生にもなればもう炊飯器の使い方は知っていたし、掃除洗濯も不器用ながら出来た。
いつも母と兄を怒らせないように怯えながら過ごしていたが、やはり何をしても彼らを怒らせた。

目付きが気に入らない、声が気持ち悪い、顔が不細工、生きている........色々な理由で彼らを怒らせた。
学校に行っても友達は居らず、だからといっていじめられる程クラスメイト達の関心もなかった。本を読んで過ごしていた。




高校には通わせて貰えなかった。兄は大学まで通えたが、私にはそこまでする価値がなかったのだ。直ぐにアルバイトを始め、給料は全て母に渡していた。


「あんたを育てるために、いくら払ってきたと思ってるの?」
「あんたが今まで、わたしらに迷惑かけてきた分を金で償いなさい」


アルバイト先のおばさん達に心配され、家を出て親から逃げろと言われた。
その言葉に勇気を出して、母と兄に給料を渡さないように抵抗したこともあった。玄関のドアで足を折られただけだった。




どうして生きてるんだろう?
そう考え始めたのは16の頃だ。今でもその答えはわからない。
お前が居るせいで無駄な金を払ったと言われ、死ねと罵られた。どうして私は産まれたのだろう?




つづく

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