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花のように生きられるわけがない。

創作の仕事を止めて七年、今はご近所の独身女性同士の少ない交流が唯一の人間関係になってしまったんですが、その彼女から言われる「花のように生きたいね」という言葉がとても嫌です。

この台詞を聞くとまずイラアッと胸の奥に一酸化炭素が充満するんですけど、多分「誰にも迷惑を掛けずに、静かに口を閉ざして大人しく影地に佇み生涯を終えたい」的なニュアンスだと思うんです。

そんな生き方、できるわけがない。

そもそも一輪の花を咲かせるのにどれだけの労力が不可欠なのか全く分かってない。薔薇や藤、チューリップなどの様々な苗木を育てて十年近くなりますが、朝に水遣りして枯れた花を処理し、夜にまた水遣りをして剪定し蕾が無くなれば肥料を与えます。ボケっと眺めてるだけじゃないんですよ。

誤解のないように説明すると、この人はとても善人です。毎年独り身の私を案じてお母さんが作ったお節を届けに来てくれます。私のように燃え上がった萌を原材料にして商業目的で作品を生み出すのではなく、あくまで自分の好きな趣味の延長として書道や日本舞踊の短時間教師として週二で働いている人です。勤務時間が短いのは半ニートだからですが、私も彼女と同じくパラサイトシングルだった時期が長くあるので、その点は特に気にならないですね。

突然彼女への苛つきが沸点に達したわけではなく、積み上げてしまった苛々がその一言で一気に崩れてしまったんです。会うたびに感じる今の情報システムや政治行政への無関心さ、個々の人々の飢えや貧困と格差社会を知らない無知さ無邪気さ故の言動に、そして何よりも「顔を突き合わせる知人が、このレベルの人格なのか」と自分自身につくづく腹が立ったからでした。

激務をこなしながら唯一、焼肉を食べられる週末を幸せとする人間が、菜食主義の人から「そんな野蛮な食べ方をしてはいけない」と注意された時のような感情が芽生えたのだと思います。

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この世に産まれて生きているからには、毎日肉や魚を食べるし、トイレで排泄してお風呂で垢を流しもするでしょう、霞食ってるわけじゃなし。自分のフィールドで他人と争ったり、ワンステップのし上がる為に野心を曝け出す必要もある。

野に咲き人知れず折られ踏み潰される植物ではなく、例え一瞬でも愛され求められる大輪の花に、私はなりたい。


インデックスの向日葵は最初に購入したiPadで、再開発に備えて取り壊されたご近所の更地にて2011年に撮影。大変、見事な一輪でした。


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