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おばあちゃんからの、愛の洪水。

2021年の秋分の日も終わりですね。2021年9月は私にとって、行きたかった映画も観られたし、新しいクリニックにも受診出来たし、何より涼しくて素晴らしい秋の入りでした。好条件短期の派遣も始められたし一安心。

さて、「おいおい、3日前に父方祖父の話を更新したばかりだろう!」と指摘されそうだけど、元々は母方の祖母話を前から書き始めておったんですよ。そもそもnoteを作ったのは「私とパパの、アニメ大好きオタク父娘漫画でも描こう!」と、アカウントを開設したからなんですけど、順序がすっかりバラバラに〜!


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明治生まれのはいからさん。


私の母方の祖母は大正初期生まれの裕福な出自で、「はいからさんが通る」を具現化したような和洋女学校生活を経て、親の決めた大卒の男性と結婚しました。生まれた子供は三姉妹で、私の母が長女。嫡子とあってそれは大切にお金をかけて育てられたそうです。ここまではよくあるお話。


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シングルマザーとしての人生。


ところが、戦争が本格化してから祖母の旦那さん……一度も会ったことがない私の祖父がお酒を飲んでは暴れるようになり、妻である祖母は堪らず三人の幼い子供達を連れて夜逃げしました。

祖母のフミコさんは、8歳の母と5歳の叔母と手を繋ぎ、末叔母をおんぶしながら冷えきる線路を辿って東北から東京を目指します。重くて寒く、空腹に疲れ切ってしまい、娘に「四人で死のうか」と呟いたそう。でも「死にたくない」と幼子に泣かれて、そのまま母子三人で十年奮起して歩き続けていくことに。


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私の母が子供の頃に作ったアルバムから色々出てきたんですけど、几帳面な父と違って年代も関係も何も書かれていないので、何が何やら……。こういうのって死後にも性格が出ちゃうもんですね。こちらは生まれたばかりの母が祖母に抱かれていて、祖母の父、そして弟ですね。この大叔父さんには私はとても可愛がってもらって、手塚治虫全集と魔夜峰央関連の漫画は全部買ってくれました。


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三人の娘を育てる為に、フミコさんは化粧品の飛び込み営業セールスを続けて、下町新小岩の長屋にて暮らします。私も6歳くらいまで遊びに行ってた記憶があるんですけど、六畳間と三畳部屋、一畳程度の流し場があったはず。当時そのトイレも無い家に、祖母、その父親、弟夫婦、娘三人が生活していました。


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  三姉妹を全員、大学に進学させる。


真ん中が母、そして叔母二人。長女が都立江戸高に数少ない女子学生として入学し、家庭教師のアルバイトをし始めてから、祖母の経済問題も少しだけ軽くなったようです。三姉妹がそれぞれ奨学金を得て大学に進み、教師や看護師の資格を経て就職。成人してからも躾は厳しく、新卒で出版社勤務をした母は、夜の10時に祖母が駅で待っている怒りの顔がずっと忘れられないと話していました。スマホ持っていたら着信凄かっただろうな〜。


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初孫の私、誕生!

そして、長女である私の母が結婚、四年経過してから私が生まれます。昭和48年の産婦人科ベッドの様子です。


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私は祖母にとって初孫、それはもう喜んだり泣いたりしまくったそうで。今回の記事を上げるのに一番困ったのは、祖母が私に作ってくれたドレスや毛柄のケープ、帽子などが多くて写真の選抜に戸惑ってしまって。未だに色々捨てられず、タンスの奥に残っています。このブルーのワンピースドレスとか。


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着物と、兎の毛皮ケープも全て祖母のお手製。私も文化服装学院で縫製したけど、多分毛皮は浅草橋辺りで素材を購入し、工業ミシンをどこかで借りたんじゃないですかね。草履小物や着物生地などは、化粧品営業で知り合った浅草の問屋さんで買っていたようです。折り紙やとうもろこしの皮で作るお人形など、もっとよくやり方を聞いておけば良かった……!


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必ず買い揃えられていた、カラーペン。


祖母の口癖は「アンタは静かな子だねえ」です。他の従弟妹と違ってインドアだったし、物心付いてからずっと漫画やイラストばかり描いていたから。幼稚園の頃に祖母の住む新小岩長屋を訪れると、必ず裏が無地のチラシと新品のカラーペンが買い揃えられているんですよね。あれはずっと忘れられない……。

私の家に長く宿泊していた頃、フミコさんは大動脈瘤で地元の大学病院に入院します。怒涛の人生を生き抜いてきて、初めての大病。それでも本人は矍鑠としていて、夏コミ同人誌入稿を終えたばかりの私が毎日、自転車で荷物や洗濯物の交換に行くと、「ここのご飯、不味くってねえ」「早くうな重が食べたいよ」「吉野家の牛丼、あれは美味しいのかね?」と、婦長さんの前で愚痴ってましたね。口も付けずに残してしまうので、仕方なく私が薄味のご飯やお味噌汁を頂きました。


形見は、世界堂で買ったトレース台。


名医の先生に手術されてすっかり回復し、筋力リハビリをしていた残暑の九月。「毎日ありがとうねえ、なんでも欲しい物を買ってあげるよ」

当時、私が原稿で自転車操業に追われる姿を熟知していたフミコさんのお言葉に甘え、枕元に忍ばされていた二万円を懐に入れて世界堂新宿本店に。長き戦友となるトレース台は今もバリバリ元気です。Amazonで調べると最近の商品は、薄いし軽いんですね〜!

祖母にはたくさん服や着物を縫ってもらったし、お雛様やリカちゃんもプレゼントされていたから「形見」というと今更ですが、成人してからの贈り物で一番苦楽を共にした物なので。デジタルメインになってもう引退してるけど、時々働いてくれてます。びくともしてないな……。


晩年は、年金でのんびりと生活。


祖母は三人の娘の家を自由に行き来していました。晩年は真ん中の叔母の家でほとんどを過ごして、その近くの病院にて息を引き取りましたが、86歳にして屈強な体力と記憶力、そして食欲を持ち続けていたと思います。私が果たして同じ年齢の時にあれだけアグレッシブになれるかと考えて、まず無理かと。


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祖母が一番輝いていた日の思い出、私の成人式です。親しい親類のみで上野の中華料理店の個室を借り切り、家族写真をプロに撮影してもらって、一度も使われなかった「お見合い用フォト」も撮りました。祖母が私を見て「お姫様だね」「やっぱり死んだおじいちゃんに似てるもんだね」と母と話してるから、笑いを抑えるのが大変で、すっかり変な顔に写ってますよ……。

このパーティーで最初にスピーチしたのがフミコさん。とにかく嬉しそうだったなあ。満面の笑顔を見たのは、これが最後だった気がします。私も漫画家デビューが決まりかけるかどうかで、その後3年くらい必死だったし。


亡くなってからの不思議体験。


よく、親しい人が亡くなると不思議な現象が起こると聞きますけど、私と祖母にもありました。

父方の末叔父が50歳で早逝した時に、仲が良かった私は喪失感でしばらく鬱状態になってしまって。お通夜から告別式、その数日後まで叔父宅で弔問客のお相手をしたり掃除をしたりして。さあいざ家に帰ろうかと思ったら、身体の力がストンと抜けてしまいまして。気が付けば家と反対の柏方面の常磐線に乗っていました。

叔父がいなくなった現実から逃げるように、母の末妹のいる町に行きたかったんですが、しばらくご無沙汰なので巨大なバスロータリーのどこで乗れば良いのか、全く分からなくなっていました。「まあいいや、まずは駅前のそごうでトイレだ」と冷たい水で手を洗った瞬間、

「大井バス停だよ」

間違いなく右耳から脳髄、そして左耳に通過するようにフミコさんの声が!「ガンダム 」のニュータイプ共鳴の様に貫いたのです!

おそらくは何十年も耳にしていた祖母の案内が、私の脳梁に蘇ったのでは無いかと思うのですが、もしも人間の魂に残留思念があったなら、あれがまさにそうでした。

フミコさんが亡くなってから25年、彼女の大好物だった吉野家の牛丼を食べる時、母の不在に焼いてくれた鰆を口にした瞬間、そして我が家に来てくれる際に必ず彼女が通過していた駅の改札を歩くたびに、懐かしく思い出します。


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父方祖父と母方祖母の話を立て続けに書いたら、とても二人に会いたくなりました。大人になってから質問したいことの方が圧倒的に多いですね。祖母は私が毎日自炊してると知ったら、驚くだろうし物凄く褒めてくれるだろうなあ。それから、今度こそ動画撮影をするので、とうもろこしの皮で作る人形をもう一度見せて欲しいです。


「嫁入り前に、淫らな事をしてはいけないよ。嫁入り道具と言うものは、白無垢と同じ身でその家に入るのも、その女性の持参金の一つなんだから。私の家は貧しかったけど、三人娘全員ヴァージンだったんだからね」


このフミコさんの遺言めいた、当時中学生の私へのメッセージは、父方の親類にも広がり「究極の性教育だね!」と驚愕されたものです。自分がDVを受けて苦労したのに、私には「一度は結婚してみても良いかもよ」と告げていました。幼い頃から結婚願望が無いのを、きっと理解してくれていたのかも。

結局、孫の私は今まで誰とも恋愛しなかったし結婚も未だにしていません。ブロマンス的な関係は女子校で色々体験したけど、どうにも自分の漫画家への夢を叶える以上に大切な物だとは考えられなかったので。

もしかしたら、一人のままの私を祖母は心配してるかもしれないけど、従姉達は不倫したりされたり離婚したり大変な泥沼惨状なので、逆に安心しているかもしれません。

「今まで何十年も生きてきて、この暑い夏をそれだけ乗り越えてきたんだって思うと、不思議なんだよねえ」

さて、私はこの夏の終わりと秋を、あとどれくらい楽しめるかな。人生100年時代だけど、祖母のように身体もメンタルも頑健ではないので。飛ぶガンダムが完成するくらいまでは、頑張りたいなあ。


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