見出し画像

ロマンティック•ピンクに憧れて。

髪を本格的に染めたのは30歳になってすぐだったと思います。私達昭和世代にとって、髪を染める事とは金髪の不良(死語)とか白髪染めくらいの狭い世界でした。

ところが平成になって、「自分で染めるカラーリング」や「ヘナカラー」「ヘアマニュキュア」と多種多様なカラーリングが、店頭に並べられるようになったんですね。

我が家は両親がとても進歩的な思考を持っていたので、一人娘が小学校からボーイズラブを読んだり描いたりしても、「あ、男女の恋愛じゃないのね」くらいだったもので。髪をかなり染めたり金髪にしても「お蝶夫人みたいな縦ロールにしたい」と美容院に行っても、平然としていました。私も、とても真面目な子供だったからなあ。

まず一回り年上の従姉妹が、白髪を隠す為にイエローカラーのマニキュアを入れたのがきっかけ。

「私も髪を染めたい、もっと個性を発現できる色に」


人生最初のカラーリング!


母に頼むと「最近、漫画をずっと頑張っているし、コミケ前に染めたいんでしょ」と三万円を入手することが出来たので、ネットもなかった当時に友人の口コミで、新宿の裏通りにある狭い雑居ビルの六階に向かいました。

サロンの店長はアキラさんという二十代後半の青年で、元々は表参道の有名なお店にいた人。店内は本当に狭く私を含めて三人が、キツキツのスペースで椅子に座ります。今思い出すと、お客さんより店長やスタッフの友人が何時間も談笑していた気がする……。

「私はコミケで漫画の同人誌をたくさん出していて……」と話すと「あ、俺は自分が美容師として、漫画に登場するのが夢なのよ」と反応が。そのうち私の作品にアキラさんが多分、顔出しするでしょうがここは先を急ぎます。




彼のカッティング・テクニックは、地元の美容院のおばさん先生と全然違いました。壮絶な切れ味のハサミを縦に髪へ差し込み、そのまま刀で撫で斬りするように中の厚みだけを削いでいくんですね。その熟達した技に私は圧倒されました。

「左右のシルエットを変えて、左サイドを長く右を短めにして下さい」とオーダーすれば、「さすがに、漫画的な発想だな……」と模索しつつ切ってくれて。

肩に掛かるくらいだった量をアシンメトリーなスタイルにしてもらってから、さて染色です。サンプルを見せてもらいつつ、二人で相談。この頃はコンビニのアルバイトをしつつ同人誌で収入を得ていたので、色合いは冒険しまくりました。

まずはブリーチし、それからピンク色をかけていくとの話でしたが、ここからが長かった!! カットに30分、休憩を入れつつカラーリングに6時間! 心配した親がお店に電話をしてきたり……。新鮮な初体験が本当に楽しかった思い出です。


昼の2時に入店し夜の10時に完成した初のヘアカラーは、ブラウンの中に嫌味なく上品なダークピンクが混ざり合った、アキラ先生の傑作でした。二万六千円を支払って電車に乗り駅に到着すると、父が駅で煙草を吸いつつサンダルをつっかけ立っていて。

「夜だからか、あんまりわかんねえなあ」と、笑っていましたね。

そのまま二人で近くのレンタルビデオ店へ行き、確か「銀河英雄伝説」だったかな〜。全部で110話以上あるシリーズの中、10本借りて帰宅しました。

母にはとても好評で、「私も染めよう」と翌週は彼女も地元のサロンへ白髪染めへ。

朝が来て太陽の下に立つと、「お、かなりピンクだな!」と父もびっくり。確かに、陽光の下だと目立つ色。室内だとそんなに感じなかったけど、とっても気分が上がりました。

当時、一番仲良しだった二次創作サークルの子も鮮やかなオレンジに染めていて、「カラー入れると、原稿する時の気分も高揚するよね」「仕事するのも、テンション上がる」と言っていて、私も同感。そう、髪の色は気力も入れてくれるんです。



こういう色合いも憧れます。



専任カラーリングマスター、爆誕!



さてそれから、私のヘアカラー人生がスタートするんですが、そこには欠かせない人物がいます、父です。

なんせカツカツの状況での自転車操業にて同人誌活動をし続けていましたから、毎回二万円を超える費用を捻出することはできません。そして私が至った結論は。

「来週コミケだから、ブリーチとカラーリングよろしく」

そう、建築家だった父に染色を頼むアイデア。これなら出費はカラー剤のお金のみ!

最初のうちは「上手くやれんのかな〜」と不安げな父でしたが、彼は私が12歳になるまで髪のカットをしてくれていたので、私の髪質には誰より詳しい。これ以上の適任はありません。

「ビニールシートを敷いて、事前にシャンプーを終え髪をよく乾かす。手袋と汚れても良いタオル、新聞紙を用意。額や耳にはスキンクリームをつけて、色が付着しないようにする……」

さすが理数系、トリセツの内容を詳しく読み込んで、確認に確認を重ねて業務へ移ります。犬小屋だけでなく自宅も設計した器用な人なので、まあなんとかなるだろうと私も任せっきり。薬剤を髪に揉み込んでコーミングしてから、ラップで包んでもらって、ひと段落。一時間くらいかかったかなあ。

「腰が! 腰が疲れたあああ!!」
「スゲェ薬の匂いだよ、なんか気分悪い」
「耳元とか襟足が難しい……、次はここを重点的にやるぞ」

一人反省会をしつつ速攻でタバコを吸い始めた父を横目に、「じゃあ二時間くらい放置するか」と私もレンタルしてきた「銀英伝」を視聴。喫煙を終えた父も椅子を並べて「キルヒアイス殺されてから、ラインハルトってどうなんの?」「俺、ヤンとロイエンタールが死ぬとこは見たくねえんだけど」と、後始末をしながら「イゼルローン要塞、奪還!」までは観た覚えが。


「よし! 完成を確かめるべ!」

ラップを外してバスルームへ。ビニール手袋をしたまま薬剤を落とし、シャンプーと入念にコンディショナーを髪に浸します。さすがにブリーチで髪表面はキチキチしましたね。

一時間、いつもの半身浴をして部屋へ上がり、ドライヤーでブロー。

「おっ、染まってる! ちゃんと先生みたいに染めてるよ俺!」

それからほぼ、10年近く。父は私の専任カラーリストでした。従姉妹達には「俺、染めるのプロレベルだから。薬剤持ってきたら無料で染めてあげる」と自信満々。「いよいよ、店を出せる腕になってきたな……」と自画自賛していたけど、これが確かに上手い。ビニール手袋もしっかり乾燥させて繰り返し使えるように準備したり、常に耳にかけるラップも自分で作ったり。元々性格がまめなんですよねえ。


父の死後、そしてコロナ禍が明けて。


父が亡くなってから一番困ったのは、このヘアカラーです。自分で染めたけど、やはりムラや染め残しがどうしても出てしまう。そのうち母に痴呆症が目立つようになり、精神的に余裕がなくなってしまいました。

最後に自分でカラーを入れたのは、コロナ禍の2021年でした。まだそんなに白髪は目立たないけど、家の中で一人孤独だった私は髪色で元気を取り戻したかった。そしてつい先日、私は25年振りにプロの美容師さんに再び、ピンクカラーを染めてもらったんですね。




地元にできたパステルブルーの外観のお店で、店長さんお一人。完全予約制でこじんまりと落ち着いた店内は、奥がとても広い。穏やかな空気感の中、会話をしつつ、また今までとは一味違うロマンティックなピンクにしてもらいました。ちょうど桜満開の季節だったし。

カットとカラーで一万三千円。また色が落ちてきたら六千円で入れ直しますとのこと。そして「カラーシャンプーとコンディショナーを使うと、色持ちが全然違います」とも。




カラーシャンプー!? そんなのあるんだ、と早速Amazonで数種類をポチり。バスルームの床がピンクに浸るけど、すぐシャワーで流せます。毎日使うから、これが結構コストに嵩む……。

あれから一か月、どうしてもピンクが落ちてきてしまい、さてどうしようと思ってAmazonのセールを周回していると、ここでまた「カラーバター」なる商品を発見しました。

レビューもとても好評だし何より国産、色の種類は赤や青、アッシュグレーで幅広く15種類ほど。チェリーピンクに期待して昨日、軽めに試してみました。

これが実に素晴らしい! カラーリング薬剤ほどではないけど、なかなか良い深い色合いに染まります! あくまでブリーチをした髪にのみ効果があるんですが、何よりクリアホワイトと混ぜ合うことで、自分の好きなカラーを作り出せるんです。恐るべし、時代の変化!

多分、サロンの先生もこういう商品で色乗せをしてくれていたんじゃないかなあ。一個二千円ほどで、量を多く使うのでそんなに買い込めないけど。


髪の色で、気持ちもポジティブに!


最近、洗面台の鏡と向き合う時間が増えました。母が痴呆になってからはおざなりだった自分の髪や皮膚に、関心を取り戻せるようになったんですね。

父が知ったら、このヘアバターを試したがるだろうと思います。

昨日の染色が本当に上手く成功したので、今日は曇天だけどメンタル的にとても良い一日になりそうです。次回はまた風味の違うピンクを、私なりに追求する予定!

桜も終わり、ツツジの季節。さて、ちょっとビビットな風合いのピンクに挑戦してみようかな。



今朝、届きました!



今年の目黒川にて。


いつも「スキ」して下さる方々、ありがとうございます! ご新規さんや偶然立ち寄られたそちらのあなたも、是非にコメントやフォローよろしくお願い致します!



この記事が参加している募集

#スキしてみて

524,761件

#美容ルーティーン

1,676件

マダム、ムッシュ、貧しい哀れなガンダムオタクにお恵みを……。