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「マスク」で「ウイルス」は防げない

 先日、またマスクの着用をおすすめされてしまった。
 「11来てるよ!」と。
 
 心配して声をかけてくださったお気持ちが嬉しくて、私も知りうる情報を心を込めてお伝えした。
 「ありがとうございます。でもマスクではウイルスを防ぐことは出来ませんから、私はマスクは着けません。ウィルスの大きさがマスクの網目より小さいのでウイルスを全然防げないので……。そうなると(マスクを着けることによる)リスクしかないので、私は数年前から着けたこと無いんです」と。
 そうしたらこんな顔 ⇒ =͟͟͞͞(꒪ᗜ꒪ ‧̣̥̇) をされなが言われた「でも、みんな着けてるよ……?」と。
 私は「ええ、そこは判断の自由なので、着けるなと言うつもりはありませんし、着けたい方は着けたら良いと思います」と言いつつ、心の中にて叫んだ「話が全然通じにゃい!」と。

 その方はお手にスマホを握ってらしたけど、たぶんウイルスの大きさを調べたことは一度も無いだろう。
 そして間違いないのは、その方は「科学」「数学」「論理」を重んじる世界の住人ではなく、医学的知識もほぼ持ち合わせていないであろうという事。

 ※以下に、「科学」「数学」「論理」を重んじる、医学的知識のある方のマスクとウイルスに関する見解をシェアさせていただきますゆえ、よろしければご活用ください。


  話しはぶっ飛びますけれども、私はナチス高官たちの発言から学ぶことがとても好きだ。
 というのも、ナチス高官たちの多くは頭脳明晰な知的エリートで、その人間性は最悪であったけれど、皆驚くほどに優秀であり、例えばプロパガンダの基礎については、これ以上ないくらいに素晴らしい知識を授けてくれる。
 その優秀な人材揃いのナチス高官たちの中において、最も良くプロパガンダの持つ繰り返しの力の価値を理解していたのは、おそらく宣伝相であったゲッペルスで、彼曰く「大衆は、最も慣れ親しんでいる情報を真実と呼ぶのである」。とのこと。まるで美しい数式を見るかのような、シンプル且つ的を射た発言がとびきり素敵だ。
 またゲッペルスは、次のようにも述べている。
 「一般市民(大衆)は、私たちが想像する以上に原始的である。したがって、プロパガンダは常に単純な繰り返しでなくてはならない。結局、諸問題を簡単な言葉に置き換え、識者の反対をものともせずに、その言葉を簡明な形で繰り返し繰り返し主張し続けることの出来る者のみが、世論に影響を与えるという最終的な結論を残せるのだ
 と。
 要するに、単純なメッセージ、そして単純なイメージやスローガンを繰り返すことにより、事実ではない(嘘の)世界についてのイメージや知識を作り出し(捏造し)、(嘘の)真実とは何かを定義し、その真実の中にてどのように人生を生きたら良いか(行動すべきか)を大衆に示す(大衆に刷り込む)ことは、確実に可能である。ということなのだ。
 一般市民(大衆)を「原始的」であるとズバッと言い放ち、一片のよどみみなく完璧に見下し切ったそのマウント力に、日々「空気を読む」ことに四苦八苦している一般市民(大衆)の知性との埋めようのない差を感じ、私は震える。
 ナチスは戦争に負けはしたものの、多くの一般市民(大衆)の心を鷲掴み、操り、ほぼ完全に掌握し、ある部分においての有言実行を達成した。
 そのことは、永遠に否定することの出来無い、歴史的事実なのだ。

 というわけで、「単純な繰り返しやスローガン」には気を付けましょう。
 ※例えば「第~波が~」「~変異株が~」「強い感染力」「感染急拡大」「感染者急増」「感染対策」等々
 あとナチスは、一般市民(大衆)の「恐怖心」と「憎しみ」を煽ることも得意で、さらには芸術を用いて視覚的に心理を操る方法にも長けていました。
 まぁその辺りはまたいつか気が向いたときに、ポッポ記事にするかもしれません。

 
ポッポ記事:「イキッた感じで記されるちょっと間抜けな感じの熱い記事」


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