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映画『ぼくの名前はズッキーニ』

2016年/製作国:スイス/上映時間:66分
原題 Ma vie de Courgette 英題 My Life as a Zucchini
監督 クロード・バラス  脚本 セリーヌ・シアマ




予告編(日本版)

予告編(海外版)



Story

 いつも屋根裏部屋でひとりで絵を描いて遊んでいる少年イカールは、ママと二人暮らし。パパが“若い雌鳥(女性)”のもとに去ってしまってから、ママはビールを飲んでは怒ってばかり。ある日、いつものようにビールの缶でタワーを作って遊んでいる時、ママは不慮の事故に遭い、帰らぬ人になってしまう。事故を担当した警察官のレイモンは、ママがつけた“ズッキーニ”という愛称を大切にしているイカールを不憫に思いながらも、孤児院「フォンテーヌ園」に連れていく。
 
 クラスメイトは、リーダー格のシモン、アメッド、ジュジュブ、アリス、ベアトリスの5人。入所当日からズッキーニへの手痛い洗礼が始まる。ズッキーニは「ママのところへ帰りたい」と訴えるが、園長から「それは無理なの。ママはお空に行ったでしょ」と静かに諭される。
 ズッキーニの心の傷を知ったシモンは、他の子どもたちもそれぞれに複雑な事情を抱えながら園生活を送っていることを明かす。そして「皆、同じさ。誰にも愛されていない」とつぶやくのだった。それ以来、ズッキーニは、心の痛みを共有する友として、シモンたちと打ち解けていく。
 そして、園に新しい入園者、カミーユがやってくる。カミーユはズッキーニと意気投合し、園を照らす太陽なような存在になっていく。
 
 季節はめぐり、冬が到来。園の子どもたちは、スキー合宿に出かける。ダンスパーティーや雪合戦で盛り上がる子供たち。深夜、眠れないズッキーニとカミーユは、こっそり宿を抜け出した。月明かりの銀世界の中、カミーユは言う「ここに来て、あなたに会えてよかった」。
 そんなある日、カミーユの叔母が、扶養手当欲しさに姪を引き取ると言い出し、園に乗り込んできた。「同居するなら死ぬ方がまし」というカミーユに、「絶対行かせないよ」と誓うズッキーニ。子供たちはある作戦を立てるのだった。

公式HPより


レビュー

 クレイ(粘土)のストップモーションアニメです。
 
 鑑賞前は、「登場人物たちの目がちょっと大き過ぎないかしら?」と思っていたのですけれども、鑑賞後は「この大きな目じゃないと描けなかったんだ!」と納得いたしました。
 登場人物たちの複雑な内面と感情は、「目」、「眉毛」、「口」、そして「髪」を少し動かす程度のわずかな表情の変化により的確に描写されてゆきます。その、あえて動きを抑制することにより余白の価値を高め、鑑賞者(の感情や思考)を作品世界や登場人物たちの内面へと心地良くいざなってゆく演出は、見事としか言いようがありません。
 また無駄なセリフは一切なく、制作陣の「映像の力を信じる」という姿勢を、ひしひしと感じました。
 
 子ども達の描いた絵や、子どもたちが大切にする物、そして「凧」「鳥」「空(天気)」「今日の気分予報掲示板」、「光と影」の描写等を駆使しての、さらなる心理描写も素晴らしかった。
 
 主要登場人物達以外の人々の個性も、最小限の情報にて観客へと伝わるよう工夫されており、それぞれ忘れがたい存在として描くことにも成功しているように思います。
 使用楽曲もパーフェクト。
 繊細且つ的確に子ども達の心理を描ききった、稀有なクレイアニメです。
 
 楽しいエンターテイメント作品ではありませんけれども、鑑賞後は思わず微笑みがこぼれて心の満たされる、素敵な作品です。


公式HP


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