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起業において軸になる「何があなたにとってのJOYなのか」

フリーランスの働き方について、ある人と語り合う機会がありました。
フリーランスと言いつつも相手方企業に合わせる労働形態なので
そうなると大体の企業が平日稼働して休祝日は非稼働というスタンス。

ギミック的に言えばほとんど会社員と変わらないな、と思いつつ。
働き方を相手に合わせるというのは、自分には少々辛いやもという話をしました。

「相手に合わせるのが辛い」となれば
その辛みを緩和するとしたら「起業」という選択肢になるわけですが。

子供の頃から通った社畜養成所

私はかつての自己啓発セミナーで
「学校は社畜を量産する場所」という風に教わりました。

社畜としての教えを受けるから自分の夢とか
人生に目的を持たないのは道理なのかもしれません。

会社は生活費を稼ぐために封じ込められるものがあまりにも多く
「イヤイヤ」という感情が発生してもそれを封殺しなくてはならない。

「社会ではそんな子供じみたことは通用しない」
なんて言われて学校では教わります。

社会に出れば「イヤイヤ」が通用しないものだから、
仮にイヤだと思ってもそれを口に出さぬ、
誰にも悟られぬための努力が必要になる。

私も「我慢が大事」というのをかたくなに、忠実なまでに守り
見事な社畜として社会の歯車の一角になりました。

会社辞めて転職したい、自由な人生を送りたいだとか、
そういった野心を悟られないように

ただただひたすら自分の心を殺してここまでやってきた、
会社に忠誠を誓う犬となった。

やってきたはいいが長いこと自分の心を殺しすぎて
自分自身何が楽しいのかわからなくなってきたのも確か。

今でも自分の夢がなんなのかって、はっきり答えられない。
まぁ「社畜」である以上、その答えを出す必要はないのだろうが。

虚無な毎日を会社で過ごしていてあるとき
「違和感」に気づいてしまう人もいるのだと言います。

私にはどうしても人々が自分を押し殺した結果
社会に歪んだ形で返還して暴発しているように見えるのですがね。

最後までそのセミナーで学んだテクニックを活かせなかったのですが

「自分を生きる」という意味では
私の人生においてはとても参考になったのです。

何があなたにとって「楽しいこと」なのか

「我慢」「頑張る」という感情が先に立って
我慢し続けると「楽しむ」という気持ちがしぼんでいってしまう。

その時点で「自分の人生」を歩んでいないことに気づくべきなんだろうが
その多くはしぼんだ感情をなんとかして忘れようとします。

我慢と気分が晴れることはない日々の連鎖がこれにより続きます。
大体は会社に縛られて、ノーとは言えずに言われた仕事を投げられるもの。

普通に暮らしている人が自分らしい人生を歩みたいとなったら
貨幣社会においては「起業」という選択肢を選ぶより他ないでしょう。

「起業」によって「楽しいこと」を見出す人生に花を咲かせる可能性もあります。
しかし、起業ワークがイヤイヤやってるはずの会社仕事と

まったく同レベルの感情しか産み出さないとしたら
それは会社仕事をやるよりも悲惨なこと。

一体なんのために起業を志したのかわからなくなる。

起業ワークというのは「自分がやりたいことをやるがためにやる」のに関わらず
そこにイヤイヤという感情が湧いてくるとしたら、それ自体が本来おかしいはず。

自分がやりたいことのために「起業」を目指したのに
「また俺は我慢させられるのか…」という感情が湧いてくるものだとしたら
その起業ワークは疑問を持たねばならなくなってくる。

「起業」とか「会社」以前に
「あなたにとって楽しいことがなんなのか?」

という軸がどこにあるでしょうか。

終わりに

人生遊ばなきゃ損というわけでないですが
何かしら楽しみにしていることがあるのも事実。

子供の頃、訳もわからず楽しく振る舞っていたのに
大人になって気持ちが沈んでしまった。

あなたは何なら楽しんでやれるのか。JOYなのか。

そこを見出すことが自分の人生を歩むにおいてキーポイントとなるでしょう。

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