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感覚で生きて踏んでしまった地雷から「幸せ」のあり方について思う。

街を歩けばそこら辺の人たちのように友達同士で集まって適当にワイワイしたり、

恋人同士で手を繋いでデートしたり、結婚して子供がいたり、
あるいは場末の酒場でわーっと賑わう若者やサラリーマンみたいに。

まぁそういうのを「幸せ」と定義づけるのだろうけど、

私にしてみれば人並みの「幸せ」というのは

何をどう頑張っても手に入らなかった。


頑張った方向性が違うのかもしれないけれど、いくらやっても手に入らないので

常日頃から歯噛みをしていた。

「人並み」から外れた人生

同級生の輪から外れて一人離れたり、
流行には乗らずテレビやニュースも一切見ようとはない、

子供のころからヤキが回ったとしか思えない人生しか送っていない。

子供の頃からそんなだから、
いまさら「普通」とか「人並み」に戻れるなんて思ってないし

不条理を経験しているからこそ、人間関係にロマンスを感じることはない、
人並みな幸せにも期待感はない。

起業塾だの意識高い系だの人から離れることをやるという、
側から見ると私はトチ狂っているようにしか見えないだろう。

わざわざ周りが用意した「普通」の世界のレールに乗っても

違和感しか感じないから離れたくなる。

社会の歯車で居ようとすると辛さ、苦しさしか感じない。
しまいにゃ、会社の仕事を捕まえて

「やりたくないことを、やってる暇なんてない」と息巻く。

人並みの幸せを享受したいと思っておきながら、
「普通」でいることのやってられなさに反抗している。

神をも恐れぬ異端者がいるとしたら、それは俺のことなんだろう、

会社員でいる時はそう思って過ごしてきた。

金と引き換えに心を殺す日々


会社の営業日が長すぎて洗脳され、会社中心の生活に流されてしまう。
満員電車に毎日乗って朝から夜まで働き詰めで
たまにしかない土日のためだけに、一生懸命にあくせく働く。

そんな天国のような土日があけたらまた会社のドタバタ劇だ。
正直言って付き合いきれねえと思うが、会社にいる限りはずっとこれが続くんだ。

それが当たり前だと言う気持ちになってしまうから
まるで奴隷のような生活からなかなか抜け出すことが叶わないのだ。

この奴隷のような無限ループ生活に違和感を感じて異を唱えるにしても

私からすると心を許した人間の数が少なすぎて、
徒党を組めたこともほとんどない。

「会社の仕事なんかよりも、もっと他にやりたいことがあるはずだ」

と言ってもわからん同僚連中の方がほとんどだ。

「会社辞めたい」という台詞はなるべく口に出さぬよう封印していた。

土日祝日だけ、定年後の生活だけ楽しめても、
それはそれでどうなんだと言う気がする。

散々散財しながら抵抗しているが、その答えを見つけきれていない。

起業が向いてないとかだったら、
ブラック企業を斬る系のYouTuberにでもなろうか。

散々ブラック企業に打ちのめされたし、

どうせ人並みの幸せとはかけ離れた人生なんだから、それも悪くないか。

ひどい時はそんな妄想も浮かんだりしていた。
結局妄想案件に終わってしまったが。

終わりに

自分が異端者過ぎて、自分と同じような感覚で生きる人間を探すのが難しい。

まぁ大体の人間は分かるんだけどな、「違う」って。

「違う」ってことに気づいたから、私から離れてくんだろ。

自分が気に入った人でも「違う」って言って離れていくし、

自分が気に入らない人間でも勝手にやってくるって
理不尽、不条理さはあるけどね。

感覚で生きると全てのことに馬鹿正直になる。
頭で考えて生きていた方が楽になれたかもわからない。

感覚で生きるのをよしとする天分があったからこそ、
後年に詐欺のような案件に引っかかったのだと言える。

感覚でなく頭で考えることが全てであれば
「人並みの幸せ」を手にできたのでないか。

いついかなる時も「自分で生きていたい」と思うから感覚の天分を与えられた、そう思うことにした。

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