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とあるコミュ障の話3。周りに悩みを打ち明けられないという悩み。
前回
https://note.com/starfalcon/n/n909b1126bdb1
会社終わった後、お忍びで単身東京に向かう私。
同期で集まって一緒に帰るでなく、
ただ一人単身東京の新宿に向かう。
新宿から帰るのがちょっと辛いが、コミュ障が解決できるかもしれない、
という期待感には変えられない。
自分が絶望感に苛まれている時に思うのですが。
「人は解決策を1、2週間先に望んでいるのでない。今すぐ欲しいんだと」。
コミュ障という課題に対して、それくらい焦っていました。
社会人新卒で不安を感じない人間がいるのか
![](https://assets.st-note.com/img/1688272382899-0NBn5AiGKn.jpg?width=800)
当時の私は自分の不安との戦いばかりで、
周りの人間が何に不安視しているか全くわかりませんでした。
自分の同期連中が会社の同僚先輩との意思疎通に全く問題ないのに対し
自分だけは何でか苦悩を抱え、何も受け答えできない。
コミュ障であることに対してストレスを抱えていました。
なんだろうね。
当時の私には、周りの連中が完璧超人にすら見えていました。
なんで自分だけがヒューマンスキルが皆無なのかわからない。
ないものをどうすればいいのかわからない。
漠然と不安ばかりを感じていました。
コミュ障が改善したとしたらどうなりたいか?
そういうのを考えたことは、全くないですね。
うまくペラペラプレゼンできるようになりたいか?
うまく相手をやり込められるようになりたいか?
そんなふうには思ってなくて。
意思疎通がうまくできないストレスが全くなくなればそれでいい、
と思ってました。
周りの連中は意思疎通でストレスを感じることはないんだろう、
いいなあというのは漠然に思っていました。
今思えば、それは大きな勘違いなのですけどね。
自分の課題の解決策を周りの人間が持っていないのはわかりましたが、
周りの人間が何に悩んでいる、ということまではわかりませんでした。
初めて自分の悩みを打ち明けられたこと
![](https://assets.st-note.com/img/1688272403623-Vyf9LpiUYi.jpg?width=800)
業務後に新宿のとある会社に訪問。
そこの営業さんにコミュ障であることの悩みを打ち明けました。
「今の自分はコミュ障で陰キャだ。それはわかっているが、
だからと言って自分じゃどうしようもない」と。
会社では話せない悩みをここで洗いざらい話しました。
プライドを捨てて、悩み相談に乗ってもらいたい。
社会人経験が全くなさすぎて、コミュ障の自分は
対人相手に太刀打ちできないのだ、と。
「今のあなたは、本来の力を発揮しきれていない」と言われたのを覚えています。
自分のことをここまで持ち上げてくれる人は、今までいませんでした。
ここで安心感を私は覚えました。
自分が勤めている会社で、自分を持ち上げてくれる人間は誰もいなかった。
ここにきて初めて、持ち上げてもらえた。
新卒で入った会社を辞めた今を振り返るに、
あの会社は他者を持ち上げるよりは、
お互いに下げ合う方が多かったように思えます。
「社風」と言えば、その一言で片付けてしまえるか。
終わりに
「自分のことを認めてもらえる」ということの何がいいことかというと、
「居場所がある」という安心感を得られること。
学生の頃からこういう安心感に恵まれなかった。
お世辞かもしれないけど、自分のことを否定せず
持ち上げてもらえることで「居場所がある」安心感を持てる。
これが今までになかった経験ですかね。
当然ですが、「持ち上げてもらえること」が、
コミュ障で悩んでいた私の期待する回答ではない。
今思えば「相手の手のひらの上で踊っていた」のかな。
色々持ち上げてもらったのですが、その後に
相手のセールストークを許す展開を作ってしまったのです。
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