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他人の顔色を伺い続ける人生に未来はない。私は他人ファーストより自分ファーストを推す

「他者の目線で考えてみよう」
「他人に興味を持とう」
「これが他者だったらどう思うか?」

自己啓発界隈などで他者目線が非常に大事だという教えをチラホラ見かける。
他者だったらどう思うか、その視点は確かに極めて大事である。

農業を営んでいる人が一番困っていることは何だろう、
何があれば解決するだろう?

など、商品開発を行うにあたって
他者目線はとても大事になるからだ。

これが「他人ファースト」と呼ばれるもの。
自分軸他人軸という考えの中でも「他人軸」にあたるものだ。

とても大事ではあるのだが
どうにも他人ファーストというと他人に良いようにばかり見受けられて
自分のことがおざなりになってるようにも見えるからだ。

自分が蔑ろでとにかく他人他人というのもどこか独りよがりなものになってしまう。

他人の顔色を伺うのは簡単だ。
幼い頃から両親に厳しくしつけられて
いつの間にか両親の顔色を伺うようになった。

家庭の延長線上における学校というフィールドで
学校の先生やスクールカースト上位の生徒に自分をよく見せたい。

学校からさらに先の会社というフィールドで
人事考課で上司や役員から良い評価をもらいたい、
そして会社での一定の立場を保つために保身に走る。

そうして生きてきた人は少なからずいるのでないか。

人生におけるあらゆるフィールドで
他者の顔色を伺う、他人ファーストであるというのは行ってきている。

「他人の顔色を伺い続ける人生に未来はない」という言い方は語弊があるかもだ、

正確に言えば
「約束された未来として、永劫として同じことを繰り返し続ける」
だろうか。

常にパワーランク上位の人間に怯えている限り
家でやっていたのと同じように顔色を伺い続け
良いように見られたい「歪んだ他人ファースト」をやり続ける。

そこには「自分」がないのだ。

「自分」というのは、どこかの時点で置き去りにしてしまったからだ。

世間体を気にするあまり、自分を見失ってしまうのだ。

自分というアイデンティティが破綻してからようやく気づくだろう。

社内営業で自分の顔を売るのは構わないが
自分のアイデンティティを他者に売り渡してはならない。

自分の軸が見えてくることで
ようやく人生との整合性が取れてくるのだ。

だから私は「他人ファースト」よりも「自分ファースト」を推す。

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