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極論の食事【りげの本棚】

こんばんは。三十路目前、おともだちがほしいりげりげです。
最近読んだ本の感想文を書き散らす、他愛もない読書感想文です。

さて、今回の本のご紹介です。

高瀬準子「おいしいごはんが食べられますように」(講談社)

1)ほっこり…じゃないな、これ

今回の本の出会いは、ふらっと立ち寄った本屋のコーナーに、きれいな装丁の本が並んでいて、タイトルと装丁を見て「ほっこり系?」と、思わず手に取りました。

白い背景に白い鍋、中に黄色い汁が入った表紙で、思わず「卵?ということは、瀬尾まいこさんの「卵の緒」みたいに優しい感じ?」と勝手に連想してしまいました。

少し荒んでいた私はほっこりした内容の本を探しにきていたので、よしきた!と思って、表紙の隅と裏表紙のあらずじをしっかり読みます。

ほっこり、ほっこり…?ほっ…んん??

「あ、これ、ちょっと、ほっこり…じゃないな、これ。」

「心のざわつきが止まらない。最高に不穏な傑作職場小説!」(表紙帯)
「職場でそこそこうまくやっている二谷と、
皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、
仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない人間関係を、食べ物を通して描く傑作」(裏表紙帯)

高瀬準子「おいしいごはんが食べられますように」(講談社)

第167回芥川賞受賞の文字。
ええ、そうでしょうね。ほっこりのわけがないのです。
「最高に不穏な傑作職場小説!」
いや、”最高に””不穏な”って、何されるん?
どうなっちゃうの?

その日、ほっこりを探していた私は思わぬダメージを受け、本屋をあとにしました。

でもその夜。
「大きさはA5判で、重さも文量もちょうどいい。
装丁がシンプルで美しい。
タイトルとミスマッチなあらすじ。
手触りよかったんだよなー…。
(両手を広げて、本をめくる動作をする)
よし、買うか。」

そうして手に入れたのがこの最高に不穏な傑作職場小説です。

2)極論の食事

今回のタイトルを「極論の食事」とさせていただいたのは、極論の語義というよりかは、偏りかなり穿ったとらえ方、二谷の究極の食事、という意味でつけさせてもらいました。

極論の本来の語義から少々ずれるきがするので、あしからず。

さて、ネタバレにならない程度に、登場人物のざっくりした紹介です。
二谷…(男)何でもそつなくこなす男、「食事」についての考え方が極論、でもわかる、こいつが元凶や
芦川…(女)可愛がられる女、体調不良で仕事早退したのに手の込んだ菓子作ってくる
押尾…(女)仕事できるけど何でもはっきり言い過ぎ女、芦川が気に入らない、私が一番肩入れした

二谷の極論食事については、以下のとおり記載があります。

カップ麺でいいのだ、別に。腹を膨らませるのは。ただ、こればかりじゃ体に悪いと言われるから問題なのだ。一日三食カップ麺を食べて、それで健康に生きていく食の条件が揃えばいいのに。一日一粒で全部の栄養と必要なカロリーが摂取できる錠剤ができるのではいい。それを飲むだけで健康に生きられて、食事は嗜好品としてだけ残る。酒や煙草みたいに、食べたい人だけが食べればいいのにってものになる(p5抜粋)

高瀬準子「おいしいごはんが食べられますように」(講談社)

あー、わかる。わかるよ、それ。
私はおいしいごはん好きですし、食べますし、色々と調べたりもします。何食べようかな、というのはマイナスな感情ではない。

でもごくごく稀に、ひどく面倒になって、仕方なく食べることがある。
二谷のように錠剤でいいんじゃないか。何を食べないといけないのか考えなくていい。それだけ食べていれば、許される。

私は二谷が思う食事論、私が称する「極論の食事」、
”生命維持のためだけにやる、究極に工程を減らした最低限のこと"。
ああ、二谷の人間性、「最高に」「不穏」。
これが5ページ目に出てくるので、もうあとは、転がるように始まるわけです、後味悪すぎる人間ドラマが。

他にも、芦川や押尾の好き嫌いの分かれる感じ。
職場あるあるというか、ままならない人間関係が広がっていて、
二谷と押尾が飲み屋で話している話、職場で芦川がみんなからちやほやされている感じ、もう同じ職場のしがないキャラクターになって、会話を盗み疑義しているようで、情景がありありと浮かんで「うわぁ…」となりました。

3)芦川という女【ネタバレ注意】

さて、ちょっとここからネタバレを書きますので、
読みたくない方は「さいごに」まで飛ばしていただければと思います。




二谷へ。
君のことは一番共感できるけど、おめーが元凶だよ!

と、二谷は仕事をそつなくこなし、人当たりもいいし、
芦川と付き合うし、押尾ともいい関係でいる。
この外面の良さが、彼の内面の「極論の食事」とのギャップに、もやもやする。
でも、「守られて当然」という雰囲気があり、気遣いをみんなにして、それでいて「仕事ができない」かよわい芦川と、彼はある意味お似合いかもしれない。
二谷は芦川にイライラしているし、芦川が作ったごはんを捨てる。
でも、芦川は二谷の正解を踏んでいくのですよ、この芦川という女、こわ…。

そして二谷視点、押尾視点はあるものの、一貫して「芦川」の視点がない。

何か大きなとぐろを巻いた蛇の口の中に入ってしまったような。
それでいて、芦川は特に何も意図していない、ただただ「守られる」存在なのか。

仕事ができてがんばりやの押尾からすると、自分だってしんどい時があるのに、みんなから守られて、「だって芦川さんだもの」と配慮されるのが納得いかない。
職場あるあるだと思うけれど、いわゆる「仕事ができる人に集まる」という状況。そしてそれが当たり前の、芦川さんは許される環境。
皆が残業で大変な時期に差し掛かった時、芦川だから残業がなくても許されて(残業をするとそのあとに芦川は体調を崩し2,3日休んでしまう)、そして「みんなより先に帰っているから」と、手作りのお菓子を持ってくる。

このことに関する押尾視点はあまりない。
でも、なんというか。
ずっとカプセル錠に入った薬をなめていて、そのカプセルがついに割れたような、苦い苦い薬が舌の上に広がるような。

このお菓子を二谷はぐちゃぐちゃにして、芦川の机の上に置く。
それを支店長から、誰がしたんだと言われた時、押尾は疑われ、そして職場に居られなくなり、退職。

あーもう薬が苦すぎるけど、水がない感じ!流し込めない口の中の苦さがもうえらいことに。
不穏、不穏すぎる。

そして最後に、二谷は、芦川さんと結婚するんだろう。
もうなんというか。
押尾さんには新しい職場で楽しく過ごしてほしい…。


さいごに

最後まで読み切って、タイトルの「おいしいごはんが食べらえますように」というのが、皮肉なのか、どうなのか、むず痒い気持ちになりました。

改めて、生きることとごはんを食べることは密接で、
無理なくそれがリンクしている人もいます。
(というか、大半の方がそうだと思う。)

でも、だからこそ、この「食べること」が不快だと、
生きずらいんだろうと思うわけです。

今日の晩御飯は、栄養とかなんだと考えずに、好きなものを食べよう…。
私も「おいしいごはんが食べられますように」。

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