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2020/9/18の星の声

朝焼け新報 「みちかけ便り」



夜明け前、朝焼け新報は世界各地に届けられます。

どんな動物や虫や鳥、そのほか小さな生き物たち、
風や雲や水たまり、寝転がって動かない石ころたちですら読んでいる、
この星でいちばん有名な新聞です。

創刊から40億年以上経っていますから、
宇宙にまたたく星たち、そこに生きるあらゆる命も、
朝焼け新報を知らないものはいません。

ゆいいつ、地球上の人類をのぞいて。

人類の中にも朝焼け新報を知っている人たちはいるようですが、
人類は、自分たちでつくったたくさんの新聞に囲まれていますから、
そちらの方ばかりを好んで読んでいるようです。

朝焼け新報はその名のとおり、朝刊だけの新聞で夕刊はありません。
毎朝、地球上に関することがくまなく掲載されていますから、
それさえ見ていれば、地球のこと、はたまた宇宙のことまでもよくわかるのです。

朝焼け新報の本社は、太陽にあります。
新聞記者の多くは光で、あらゆるものに反射して取材し続けています。

朝焼け新報の人気コーナー「みちかけ便り」の担当部署は月にあって、流し読みをすることで知られている風たちも、「みちかけ便り」だけは熟読していることは、人類をのぞく、地球上の誰もが知っています。

「みちかけ便り」は、読者の誰もが気軽に投稿を寄せられるコーナーです。ある日、コオロギの子どもから、こんな投稿がありました。




「だいすきなにんげんへ」



ぼくはコオロギです。おとなになるまで、あとすこしです。

ぼくはにんげんがだいすきです。

どうしてすきかというと、いろんなこえがだせるからです。

ガビチョウもいろいろなこえをだせますが、

にんげんほどではありません。

あと、ながいきできるのも、すきです。

おおきいのも、いいなあとおもいます。


こないだ、バッタのはかせから、おもしろいことをききました。

にんげんは、いろいろなこえがだせるけど、

こえをだしたいときに、ださないことがあるんだって。

ぼくのほかにも、アリやカマキリやハエなんかが、

そのことをきいていたけど、みんなおどろいていました。

はかせがいうには、

どうしてださないのかは、かがくてきにわかっていないのだそうです。

でも、いろいろとわかってきたこともあるそうです。

にんげんがださなかったこえは、かならず、

どこかから、ふきだすように、あふれでてくるんだそうです。

はかせたちが、たくさんのけんきゅうをしたところ、

ぼくよりももっとちいさい、いきものからでてきたり、

あめやかぜとかから、でてきたりすることもあるんだそうです。

でも、きまっていないから、どこからでるかはわからない、

とはかせはいってました。

そうやってふきだしたこえは、たくさんのいきものがしぬそうです。

もしかしたら、ぼくも、しぬかもしれません。


ぼくがにんげんをすきなように、

ほかのみんなも、にんげんのことがすきみたいです。

こないだよるにであったゴキブリのおやこも、そういってました。

ぼくのことをたべようとしたノライヌも、そういってました。

みんなみんな、にんげんのことがすきみたいです。

にんげんは、ぼくたちのこと、すきなのでしょうか?


このしんぶんをよむにんげんは、ほとんどいないけど、

さいきんはずいぶんふえてきてるって、

なんにちかまえの、みちかけだよりにかいてありました。

ふだんはじょうずにしゃべれないけど、

もしかしたら、みちかけだよりをよむかもしれないにんげんに、

つたえたいことがあります。


だいすきなにんげんへ。

ぼくは、にんげんのこえをいっぱいききたいです。

だしたいときは、だしてください。

そうしたら、みんなでなかよくいきられます。

ぼくも、おとなになったら、

いっぱいいっぱいこえをだします。

そのときに、いっしょにこえをだせたら、うれしいです。


(ぴかぴかコオロギ 0さい)


コオロギの子どもの投稿には、大きな反響がありました。その数日後に、クマのおばあちゃんから、コオロギの子どもに感化された投稿が掲載されました。



「だいすきなにんげんへ」、読みました。



私はシベリアに住むクマです。
うんと長生きしていて、30回以上の冬を越しました。
みなさん、シベリアはご存知でしょうか?
北の果て、まだかろうじて針葉樹の森林が残る、
寒いですが、とても美しい地域です。

先日、コオロギの子どもの投稿を読みました。
私には、幼い孫がいて、孫と同じことを言っていることに驚きました。

私たちの一族は、ずいぶん昔から、人間と一緒に暮らしてきました。
私の父や母からは、獲物をしとめることよりもまず先に、
人間のことを何度も何度も教えられました。

小さなコオロギさん、私はあなたたちに比べるとうんと大きいです。
あなたがだいすきな人間よりも、私たちの方が大きいです。
ですから、人間たちにとって、
私たちは恐ろしいものとして見られることが多いような気がしています。

でも、私たちはあなたたちや、人間ほど数は多くありません。
あなたたちよりも長く生きられることは間違いありませんが、
少しずつ、私たちは数が減ってきています。

幼い頃に父母から聞いた話では、特に昔は、
人間と私たちクマは、それぞれの世界で、とても仲良く生きていました。

人間は私たちを襲うことはなかったし、
私たちも、彼らを襲うことはなかったからです。

お互いに、その存在を認めつつも、
お互いが穏やかに生きていけるように、
無闇なことはしなかったからでしょう。

ある時、食糧難に陥った人間は、狩りをするために武器を作りました。
その頃から、私たちのことを襲うようになったり、
人間同士で殺しあうようになったそうです。
もしかしたらその頃の「みちかけ便り」には、
そのことが書かれていたかもしれませんね。

そこから、長い長い月日が経ち、私も生まれ、今を迎えますが、
先ほどお伝えしたように、私の孫が、急にこう言ったんです。

「わたしね、にんげんのこと、だいすきよ」

孫の言葉に、私たち家族はみんな驚きました。
いやむしろ、私たちはほんとうの気持ちに気付かされたのかもしれません。

今ははっきりと、言えます。
私も、人間が大好きです。

特にこれといった理由はありませんが、
どういうわけか、生まれる前からずっと好きだったような気がするんです。
私はおばあちゃんですが、年寄りのもうろくではありません。
私の子ども、つまり孫の父にあたるクマも、その伴侶も、同じように思ってます。他のクマたちに聞いても、おそらく同じように答えるのではないでしょうか。

小さなコオロギさん、あなたのおかげで、私たちもまた、人間への気持ちを思い出し、より深く味わうことができています。

バッタの博士が言うこと、たしかに間違いないと思います。
だからこそ、私たちもまた、人間に好きなように声を出してほしいです。
もしその声が、私たちクマを恐れる声であっても、崇める声であっても、
たとえ、私たち一族の命を狙うような声であったとしても、
人間に対する気持ちが変わることはないでしょう。

私たちもまた、人間が大好きです。


(ヒグマのプー 33歳)


クマのおばあちゃんの投稿の後から、誌面のあちこちには人間の世界に関する記事が多く載るようになりました。昨今の人類が環境問題や、社会問題について議論を交わす間、朝焼け新報では「人類問題」について、有識者の寄稿や、特集記事が今もたっぷりと取り上げられています。

そんな朝焼け新報の、本日2020年9月18日の「みちかけ便り」には、ある国の首相官邸にいるネコが投稿しました。



「素晴らしい世界」



私はネズミを捕獲する職務を与えられて、もうすぐ10年目を迎える。
とはいえ、私はネズミには興味がない。
正確に言うと、私はネズミが好きだ。餌としてではなく存在が好きだ。

餌には何一つ困っていない。私の周りにいる人間が与えてくれる。
私自身、多くの人間と付き合ってきたが、みな私のことが好きなようだ。
もちろん、私自身も、人間のことが好きだ。

最近の紙面では、人間の社会や在り方について、様々な論争が飛び交っている。ただし、「大好きな人類のために、私たちに何ができるか」という根底は誰もが皆同じだ。

私は、自分が生きているこの世界をとても素晴らしいと思っている。
もしかしたら、今はもう少年ではないのかもしれないが、
以前この投稿欄で見た、コオロギの少年も、きっと同じだろう。

私たちがただ、生きることに夢中になっていさえすれば、
基本的に、この世界は素晴らしいことだらけで、問題知らずだろう。

肉食であろうが草食であろうが、大きかろうが小さかろうが、
野生であろうが、ペットとして飼われていようが、関係はない。

だが、人間はどうだろう。
彼らが夢中になっていることは何か。

私は、人間社会の中でも一際恵まれた場所で生きている。
ここでは飢えやストレスとは無縁で気ままに暮らしていけるから、
私には、人間の営みをくまなく観察する余裕がある。

その私が見た人間たちは、何に夢中になっているのか。
生きることではないことだけは、はっきりした。
彼らは、自分以外の何かや誰かに対して、夢中になっている気がする。

自分自身がないがしろになった状態で、
他者を羨んだり、非難したりして、挙句の果てには、
自分が共感できないものを排除しようとする傾向があるように思う。

私たちネコだけでなく、
この世界に息づくあらゆる生命にとって大好きな存在であり、
必要不可欠な人類は、今こんな状態なのだ。

私たちはまず、彼らを安心させよう。

私たちはこれまでのように生活をしつつも、よりいっそうに、
私たちの思いを、できるかぎり人間に伝えていくのだ。

きっと、簡単なことでいい。

彼らに寄り添い、身体を密着させること。
彼らの瞳の奥を、じっと見つめること。
しっぽを振って、彼らに甘えること(これは私たちネコには縁遠い)。
彼らが要求したら、その身を差し出すこと。

コオロギのキミだったら、その美しい音色を草むらに響かせればいい。
クマのご婦人なら、その血が記憶する人間との愛しい距離感を思い出せばいい。

彼らの中には、この紙面を読んでいる人間もいるらしいが、
彼らが扱う言語による意思疎通は、彼らに任せればいい。
私たちの役目ではない。

人類ではない私たちは、まず率先して、
この素晴らしい世界における命の営みをまっとうしよう。
私だったら、首相官邸でうろうろして、
たまにネズミを獲って、天真爛漫に過ごすことだ。

ミツバチのキミなら、花から花を飛び回って、蜜をとり、
巣作りと子作りに精を出し続ければいい。
イルカのあなたであれば(紙面やテレビでしか見たことはないが)、
大海原を縫うように泳いで、透き通った唄声で歌えばいい。

彼ら人類が、この素晴らしい世界に気がつくまで、
すべての、それぞれの命が尊く、美しいことに気がつくまで、
すぐそばにいる、とびきりの好意を持つ私たちに気がつくまで。

先ほど、私は彼らを安心させようと謳ったが、
もしかすると、私たちが彼らのためにできることは、
ただ自分の一生を、生き切ることや命を継いでいくこと、
つまり、みなさんがみなさんらしく生きることだけで、いいのかもしれない。

だからこそ、世界は素晴らしいのだろう。

では、そろそろ昼寝の時間なので、
陽だまりを探しにでかけてくる。


(首相官邸ネズミ捕獲長 13歳)


今週は、そんなキンボです。







こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。