一筋の光。



日曜日の昼食後。お日様の光が窓から差し込み、身体の内部を通過していく。
窓の外から、通りを歩く家族連れの元気な声を聞くと、顔も見えていないのに、なぜだかこちらまで嬉しくなる。そんな癒しの一時に何を思ふ。



自分は何のために働いているのだろう。





まだ、社会に出て2年目の若輩者がおこがましいが、


「なぜ私は働くのか」

「働くことで私は何を実現したいか」


以上2点によって自分がとるべき行動が大きく左右されると強く思ふ。



かなり抽象的ではあるが、この2点について時間をかけてとことん考えることが、幸せに働くための大きなポイントになると思う。



社会って理不尽。会社って不条理。


社会人で自立している方のほとんどは、社会・会社は厳しいと一度は実感したことがあるはずだ。
お客さんからの理不尽なクレームや社内でのゴタゴタ。少しでも上司の思い通りにならないと、「お前のためだ」言わんばかりに叱られ、めった打ちにされる。「お前もできてねえのにいうな」案件があまりにも多すぎるが、もちろん上司には言い返せない。


そんな中で、「なぜ働いているのか」を明確にせず、
闇雲に「とにかく頑張る」「やれることをできる限りやってみる」のような
超が付く体育会系の考え方のみでは、
自分自身がぶっ壊れてしまう可能性が大いに高まってしまう。(持っててもぶっ壊れることがあるのに)




「今までにないビジネスを社会に生み出したい。」

「満足いくお金をもらって、経済的に安定したい。」

「目の前にいる方に笑顔を届けたい。」

「自分の今まで学んできたことの知識を深めたい。」



なんでもいいと思う。自分の働く意義・実現したいことをきめて、腹落ちさせる。そうすることで自分がやるべきことへの視界が開けるし、今やっている仕事の意味が見いだせる。


「有名になりたい!」との思いがあるのであれば、

自分自身を商品にして、インフルエンサーを目指すなりYouTubeを始めるなりする方が、サラリーマン一筋で人生を過ごしていくよりもよっぽど確率が高い。


「目の前にいる方にありがとうといわれたい」なら、顧客が目の前にいるビジネスに取り組んだ方が喜びを実感しやすい。


就職は自分の目的を果たすための手段と割り切って考えることも必要なのかもしれない。

自分にとってなぜするのか意味がわからない仕事をやらされていることこそ、一番の苦痛が伴う。

こんなことしたいな、あんなことしたいなと少しでも目的が決まっていると、自分の野望に沿わない仕事だと感じたらそこで立ち止まって考え直すことが出来る。

通じ合えない上司から自分自身を解放してあげる選択肢も持ちやすい。


働くことへの意義、人生の目的・野望を明確にする。



そうすると、自ずと進むべき道、選択する働き方が見えてくる。



なにか1つでも譲れない軸を決め、そこから肉付けしていく。そうやって生き方を決めていこう。そう悟った、お昼ご飯後であった。


ヴィクトリアマイルの出走まであと少しだ。
なぜ競馬をするのか、一度考え直してみるのもありなのかもしれない。


それでは。

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