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【退職から2年】元小学校教師の挑戦

こんにちは!タノ🦒です。
はじめましての方、いつも応援してくれている方、
記事を開いてくださってありがとうございます。

小学校教師を退職して2年

今日の記事は、職場の同僚を裏切って退職、
夢だった仕事を離れた私が2年間で行ったこと、
そしてこれから目指すことについてです。

結論から話すと、
子どもも大人も楽しい学校環境づくり
【その学校で自分も仲間と一緒に働く
がこれから目指す目標です。

『いやいや、そんなことできない』
『制度や立場的に学校を変えることはできない』
一人の元教師なんかでは難しいと言われたこともありました。

それでも、なんのためにそれを目指しているのか、
2年間で何があったのか、どうやって叶えるのかを綴っていきます。

・こんな働き方があるんだ
・こんな変なこと考えている人がいるんだ
と思っていただけたら嬉しいです。
※共感いただけたら仲間になりましょう

またこの記事は、3年前に卒業した教え子と再会した日に書きました。
来週から高校生になる子ども達はとても逞しく、教員時代の思い出が蘇りました。

いずれは、また子ども達に向き合える先生に戻れるように。
それまでにやるべきことを書いていきます。

学校


1.退職した理由

(1)経歴ときっかけ

私の経歴は、
浅野中高等学校→立教大学→川崎市小学校教諭。
先生になる前には小中高生向け個人・集団塾講師や私立小学校アシスタント、学童向け被災地支援ボランティアなどを行なってきました。

受験業界に身を置いて教えたり、
私立小学校での学習を見たりした後、
子どもの頃からの夢だった小学校の先生になりました。

最初は右も左も分からない学生あがり。
多くの先輩方に恵まれ、一端の教員まで鍛えてもらいました。
その恩はずっと忘れません。

1〜6年生、特別支援級も含めて担任し、
体育主任や情報主任等も任せていただけるようになりました。
色々ありましたが、子ども達や仲間の先生方と楽しい時間を過ごしました。

しかし、最終的には7年間働いた教師を、ある意味では、
お世話になった方々を裏切るような形で退職しました。

その理由はコロナ禍とGIGAスクール構想がありました。
コロナとICT化の流れで世の中が急速に変わりました。

私自身卒業生を出した後の二校目の異動で、
『クラスだけでなく、学校全体のことも考えて動こう』
という思いでいました。

ですが、違和感を感じることが増えてきました。
今のこの学校のシステムは無理があるのではないか?
という疑問です。

(2)学校のシステム

結論から書くと、学校システムの1番の課題は、
世界一を誇る残業時間と業務の数と量です。

別に働きたくないと言っているわけではなく、
以下のグラフを見ると分かります。

引用:https://askoma.info/2015/11/13/1233

そして、妹尾先生が色々なところで説明する図解がこちらです。
大量の荷物を持って沈みかける船

引用:https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20220730-00307938

勤務時間は8:30~17:00。
ですが、子どもたちは8:00には登校します。
体育のラインを引く時には7:30には出勤もします。

授業が始まったら休憩なしで16時近くまで授業。
そして会議が始まり、17時までかかります。
その後学年の話し合いをして、その後やっと授業研究。

19・20時に終われば良いくらいの仕事量です。
さらに高学年を担当するとさらに仕事が増え、突発的なトラブルがあれば、さらに伸びていきます。

そして、近年のICT化・英語の教科化・複雑化する問題への対応など、+で行う仕事は減るどころか増えていきます。
「ビルド&スクラップ」ではなく、「ビルド&ビルド」。

これらの全てが1人の先生の肩にのしかかっています。

誤解のないように書くと、
授業研究は大好きな時間の1つですし、トラブルが起これば一緒に解決を考えたり、新しいことを企画し一緒に挑戦したりすることは、教師のとしてとても有意義な時間です。
大変なこともありますが、子どもの将来のためにできることを全力で行いたい。

ですが、そんな「思い」の力で成り立っている環境。
今のままだと増えることがあっても減ることはない。

その結果先生の離職や成り手が減っています。
そして不登校も20万人を超えました。

これらは、
一人の先生に全責任が集中する仕組み」に問題があります。

これを解決する方法はないか?
数ヶ月ずっとその悩みを抱えていました。
死ぬほど悩んで、悩んで、自分の原点を考えました。


(3)そして退職へ

自分の大きな原動力があります。

自分の教え子には、
「将来先生になりたい」と言っている子がいます。

でも当時胸を張ってその背中を押せない自分がいました。
そして、その子も含め卒業生の子達には、「周りの人のために行動できるように」「挑戦を続けてください」と繰り返し伝えてきました。

大人である自分はどうだろう、と思いました。

1人の教師として学級は変えられる。
数年かければ1つの学校はどうにかできる。

でも、この土台自体を変えるには、
学校内の1人の教員としては限界がある
と感じました。

・一人の先生にのしかかる負担を減らす。
・子どもと向き合う以外の業務を外注する。
・ICT等で業務自体を無くしたり、効率化する。

でもどれも研究会のトップや校長になっても難しい。
同じように考える人もその時は見つかりませんでした。

自分のこの考えが正しいのかも分かりませんでした。

退職してからの当てもありませんでした。
ですが、きっと何かが見つかると思って外に出ることにしました。

答えもレールもない、挑戦が始まりました。

退職してしばらくは、
職なし、人脈なし、肩書きなし、収入なし、
裏切った感覚と将来の見えない中で、
時間だけはある不安いっぱいの日々が待っていました。

退職届を書いた時は、不安しかありませんでした


2.退職して始めたこと

(1)フリーランスティーチャー

ですが、生きる上での保険が1つありました。
それがフリーランスティーチャーです。

記事に詳しく書いていますが、
非常勤講師を柱に【複業】を行うスタイルです。

正社員になると「時間」の拘束が大きくなる。
そのため、仕事を掛け持ちして行動の柱と範囲を広げるスタイルです。

すでに行っている方も多いことと、
この働き方自体が「先生不足」の1つの答えです。

最も多い時は、
「体育の先生」「NPO」「保育園事務」「イラストレーター」「オンライン授業講師」など5つ以上の仕事を同時に行いました。

非常勤講師の時給は約2,500円。
これを柱にしながら、イラストを売るなど、色々やりました。

また、地味な話ですが、
「生きるための月額固定費」を計算して、猶予期間を決めました。

1年。
それまでの間に、働き先を見つけながら
答えを見つけることにしました。


(2)企業研究と仲間を見つける!

ちなみに在職時代の転職活動は全滅でした。
最終面接までいったものの、コロナ禍もあり全敗。
小学校教師が転職が難しいといわれる理由も分かりました。

退職して2ヶ月は彷徨い続けていました。

何をしていたかというと、企業研究と行動でした。

在職時には十分にできなかった次の教育の未来を考えている企業を、片っ端から調べ研究しました。
それをリストアップし、可能ならばDMを送ったり、アポイントをとったりしました。

また、教育総合展に行ったのも大きかったです。

この総合展で、DXをはじめとした新しい教育の流れがきていること。
自分が考えていることが間違ってないことが分かりました。

企業参入の方向は、
「先生の負担を減らす」「子どもたちの新しい学び」
に集中していました。

まだその時にはAI学習は多くなかったものの、
学び方が変わることが分かりました。

また、TwitterやFacebookでも積極的に情報を発信したり、
繋がっていきました。

そうする内に知見が広がり、仲間が増えたりしていきました。

いくつかのNPOにお世話になったり、
そこから仲間が増えて、一緒に活動をするようになりました。

その時の1番の強みが「見える化」でした。

(3)弱者の生存戦略「見える化」

グラログという「見える化」の方法を考案しました。

話し合い・組織の形・戦略・学びなどを
【視覚的に描き出して】【記録する】方法です。

この技術が私の最大の武器です。
この技術のおかげでコラボできる先が増えていきました。

HPで実績を色々上げています。
【活動している人】は思った以上にたくさんいます。

その活動を【見える化】する”書記”の仕事をしている人は少ない

書記は地味で、面倒で、時間がかかると思われがちだからです。

ですが、実は書記の仕事は、チームを前に進めたり、
”情報”を担うために全体を修正・コントロールすることができます。

そうして、退職して半年ほどで、いくつかのことが実現しました。


3.2年間で実現したこと

どんなことを実現したか。
特に大きなものを箇条書きしてみます。

①児童数計1200人の施設へのICT導入・運用担当に
→連絡帳・記録・写真配信・経理計算などを一元管理。
 そのシステムの提案・契約・導入・運用までを実現。
少人数の運営体制で情報管理ができるようになる。

②教育立国推進協議会でのプレゼンと資料提出
→元文部科学大臣主催の協議会でプレゼン
→作成資料が首相官邸と総務省に提出

③先生の幸せ研究所のフォーラム運営
→文科省・経産省の実践事業を行う企業の運営スタッフになる
→100名以上が参加するフォーラムの運営主催に
→今後も継続して関わり学校の働き方改革に助力するつもり

④オトナが描くミライ地図の書記
→山本崇雄先生が主催するイベントの書記を担う
→工藤勇一先生をはじめ、教育の第一人者の方々とつながる

こんな感じです。
国レベルの名前が少しずつ出てきました。

このあたりが2年間の大きな実績です。
基本的に全て”書記”の力を生かして参入しました。

書記=見える化なので、ペンで書くだけでなく、
WEBサイト・動画・イベントページ作り・ICTなど、
広い意味で見える化を行うため「運営」スキルも上がりました。

具体的に何をしてきたかといえば、
・ICTを絡めた会社の運営スタイルの構築
・協議会等で教育の未来の形を描いて提案
・イベントの実施時に教育実践を広く伝える
が大きな活動実績です。

枠組みとしては大きなこともできました。
ここまで辿り着くためにほとんど全ての時間を費やしました。

会社と家庭の時間以外は、移動時間も作業時間。
膨大なデータを読んで作成したデータが没にかることはザラにありました。
がんばっても今は所得が増えたりもしません。

それでも一歩ずつ積み重ねてここまできました。
1人では不可能でたくさんの方に力を貸していただいてここまで来ました。


ですが、まだ自分が成し得たいところまでは届いていません。

最後の章でこれからの話をします。

4.これから

(1)活動の指針

活動のカテゴリは5つです。

①個人を変える
②学校を変える
③自治体を変える
④国を変える
⑤社会を変える

【変える】と言うと難しそうですが、
やりたいのは【同じ思いを持つ】ことです。

『自分たちの力で学校を良くしたいよね』
『自分たちで変えて行ってもいいんだよね』
という人が各レベルで増えれば良い。

①はそんなに難しくないです。
②もどうにかすればできそうです。

そして①と②は外部機関からのエンパワメントでも良いし、『自分が先生に戻る』を選択すれば叶えられます。

この辺のノウハウはある程度答えがすでに出ています

このあたりを推進していけば、確実に達成できる。

一方の③と④と⑤が個人の領域を超えます。

つまり、一部の人たちが今動いている状態です。
これを「みんなで」のムーブメントにする。

それが分かりやすい形で顕在化するのが、
「自治体・国・社会」の形です。

自分と同じ考えの人と一緒にいると忘れますが、
このあたりの学校に関する考えは当たり前ではありません。

まだ、新しい考え方と実践です。

そして間違いなく言えることは、順番は、
【国を変える→学校を変える】ではありません。

このあたりは明確に反対だといえます。

つまり、
個人や学校単位の実践例を、自治体や国が認める
の流れです。

国は方針を示せますが、現場を動かすのは難しい。
できるのは、現場が働きやすくするための後押しです。

つまり「それいいね!どんどんやって!サポートするよ」というのが国です。

そして自治体は、それよりも現場に近い。
この学校の実践は良い!みんなも真似てくれ!
というのが自治体レベルで行うことです。

最後に【社会】です。
これはイメージが少し難しいです。
社会現象やニュースまでなればGOODですが、それはもう少し時間がかかりそうです。

その手前の「地域」で考えると分かりやすいです。

①〜④はあくまで学校や教育の範囲。
そこから保護者や地域との協働ができると【社会】へのムーブメントになります。

社会現象やニュースを起こす手段もありそうですが、
形にするまでにもう少し時間がかかりそうです。

まとめると、
①実践を集める ②モデル化して自治体レベルへ
③国や社会のサポートが受けられるようにする

これが流れになるかと思います。


(2)実践の解像度

と、いうわけでこれからやることの流れを整理します。
実践はすでにある」という前提のもとで考えます。

①【入力】体系化された実践を自分自身に落とし込む
②【出力】その実践を「見える化」する
③【伝達】「見える化」したものを伝える
④【運用】実践がサポートされやすくなる仕組みを作る

大きく分けるとこの流れです。

①は習慣の中でインプットしていきます。

②は今まで培った「見える化」から最適なものを選択します。
ここの選択がなかなか難しそうだと思います。

③は伝達方法をより整理していきます。
・(自分)YouTube・HP・SNS等
・(協働)外部サイト・イベント等
または、媒体を工夫して、取り付きやすい形を考案します。

④の最後が運用。
これらの実践が後押しをもらいやすい仕組みを考える。
収益面・運用面、どちらでも持続する形です。


(3)具体的にすること

それでは具体的にすることです。

1つ目は先生の幸せ研究所の養成講座です。
今まで飛び入りのスタッフだったので、講師になるための資格を得ます。

2つ目は情報伝達の手段です。
私の発信力はまだ弱いです。そこで3点。
①YouTubeチャンネルの強化
②伝わる情報伝達の手段を開発
③開発したものを持続化させる
夏頃までに伝達手段を絞ります。

最も実践が伝わる形」を開発して、
それを習慣的に発信するようにしたいと思います。

今開発中で有力なのは
・トレーディングカード
・グラレコ
・漫画

の3点です。

グラログ
漫画

これは良いな!と思った実践があれば、
①トレカにする(サムネになる)
②1枚に分かるストーリーを描く
③漫画を描く
の3つを行えば、発信力が強まるかと思います。


3つ目に、これらを習慣化します。
全て一朝一夕にはできない+続けないと目に留まらない。
なので、発信媒体と方法を決めたら続けていきます。


また、自分自身が持続させるためのこととして・・・

当然ですが【お金】の問題があります!
退職し、たくさん活動をしていますが年収は落ちています。
※イベント等をしても収入は変わりません

ですので、自分自身の事業も持っておく。
定期的に講座を行うことも必要ですが、
まずはUdemyの営業をちゃんと行います

これは今までオンラインで行っていた講座を、
オンデマンドにして誰でも受講できるようにしたものです。

2時間の有料講座を今までは開催していましたが、
だれでも、どこでも、いつでも受講が可能な形にすることにしました。

【作ったよ!】といことをちゃんと伝えていきたいと思います。


5.最後に

別に大きな使命をもっているわけではないです。
見返りが欲しいわけでもありません。

ただ、学校が働きやすくて、子ども等も通いやすくて、
人が集まる場所になる。

そして、そこで自分も働く。
しかも同じように考える同僚と働く。

もし、いつか教え子やお世話になった先輩とまた働けたら最高です。
そして、子どもたちが将来の希望をもちながら安心して勉強できる。

そんな、人から見たら小さな夢が、私の全てです。
馬鹿みたいな夢ですが、退職して2年間ずっと目指してきました。

少なくても、同じように考える人が、世界にはたくさんいました。

もし、少しでも共感いただけたら、ぜひ仲間になりましょう。
そして、楽しい教育の世界を、一緒に作っていきましょう。

まず自分のために、楽しく頑張っていきます。

と、いうわけで、これからもがんばります!

タノ🦒でした!またね!

Youtube もあります


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