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マーケティングは死んだ という話

マーケティングは死んだ

悲しいお知らせですが、マーケティングは死にました。

といっても、マーケティングが死んだ現場に居合わせたわけでもなく第一発見者でもありません。

では死んだとは言い切れないかというとそうでもないと思ってます。
なぜなら状況証拠らしきものには心当たりありますし、犯人らしきものが何かもおぼろげながら知っていますので。

そもそもマーケティングとは?

まずそもそもマーケティングってなに、という疑問がわきます。その定義は一様ではなくあいまいな概念だから当然です。
実際に各国のいろいろな団体や協会がさまざまに定義している様子はネットで調べればすぐにわかります。
それらを集約して、共通項を引っ張り出すと、「消費者起点」「モノやサービスを売る仕組み」を考え「組織的に活動する」、というようなことになろうかと思います。

「モノやサービスを売る仕組み」って経営論とかセールス論と何が違うの?という観点から言えば、

「消費者起点」である点において経営論とは異なるものであり、

「組織的に活動する」という点でセールス論とは異なるものになります。

マーケティングが死んだってどういうこと?


「モノやサービスを売る仕組み」は今後も必要なのは間違いありません。

そこではなく、残りの2点、「消費者起点」や「組織的に活動する」という点について、もはや不要な考え方になっているということです。

ズバリ言うなら、「自由意志ある賢い消費者」なんて実はいなかった!?という話なんです。



死んだ、なんて穏やかじゃない…どうしてそんな言い方するのか

その時代の思考を縛っている前提となるセオリーというのがある場合、いったんそれを「死んだ」ことにすることで、再構築できるようになると思うからです。例えば…

かつてニーチェは「神は死んだ」と言った。

キリスト教が神の名のもとに、貧しい人のお金と生きる気力を奪い取ったと批判した。
神様の存在に疑いを持たなかった人たちにとってそれは衝撃的な思想であり、未だに縛られている前提に気づかせてくれる思想になっている。

かつてフロイトは「人間は無意識で動いている」と言った。
すべての思考や行動が意識的にコントロールできているというのは幻想であり、無意識の行動が人間を支配しているのである。自由意志と人権を尊重する欧米文化圏にとって、受け入れがたい主張だった。

かつてリチャード・セイラーは「エコン(合理的な経済人)はいない」と言った。
経済学が300年?もの間信じていたエコンは、行動経済学によっていないと証明された。存在しているのはエコンではない、ヒューマン(非合理な選択をする人間)であると。

かつてレヴィ・ストロースは「意志ある私などいない」と言った。
人間が意思通りに動くというのは幻想である。人間は自分の意志や遺伝子ではなく、その時代の社会構造によって行動を決められているに過ぎないと。

これらの「死んだ論」は、自由意思を持ち意識的に行動する私とその社会のルールである、憲法や法律から考え直さないといけないのでは、という深い問いかけになっています。(そしてやっぱり賢人たちの言うとおりであるらしいのです)


マーケティングも同様に、前提となっている「自由意志ある賢い消費者」というのが実はいなかったということをしっかりと認識することから、次の一歩がはじまるのだと考えているのです。


どうしてマーケティングは死んだといえるのか。


そもそもマーケティングは科学的な原則が存在しない。

とある論文で、マーケティングの教科書といわれる9つの書物から、566のマーケティング原則を抽出し調査した。
566の原則めいた文を精査すると、原則として言えるのは20しかないことがわかった。
その20の原則を複数のマーケティング学者に精査してもらうと、いずれも実証データは存在せず正しいと考えられるものはゼロ個であった。
こぼれ話で、20の原則の言い方を逆にした場合に9個が正しいと考えられるという結果になったとのこと。
『Principles involving marketing policies: anempirical assessment』(July 1993)J. Scott Armstrong,Randall L. Schultz
University of Iowa

それくらいマーケティング理論というのは科学的にはあやしい代物なのです。

脳科学者は「自由意志ある賢い消費者」がいないことを実証している。

人は95%以上、意識的に思考や行動をコントロールできない。

人の行動を支配するのは20万年前の狩猟時代の”本能”的なもの

人の脳は7万年以上も前から一切進化していない


だからつまりマーケティングが前提とする「なりたい私になる」という賢い消費者はいない

消費者は意識的に商品選択しているわけではない

ただ狩猟時代の本能にしたがい、情報を取捨選択しているに過ぎない

したがって、「自由意志ある賢い消費者」を前提としたマーケティング理論は間違いだらけなのである

ではマーケティング理論の何が間違いだっていうの?

ここではいくつからの例を簡単に列記したいと思います。興味深いテーマについては、また別記事で詳しく書いていきたいとも思ってます。

「自由意志ある賢い消費者」は脳科学が否定し、アルゴリズムが無視する

消費者行動は脳の意識せざる領域に支配されている

facebookやgoogleやamazonは、消費行動の促進にマーケティング理論ではなくアルゴリズムを活用している

カスタマージャーニーなんてものはない

あらゆる情報源を駆使して、賢く消費する消費者なんてまれ。ほとんどの消費は考えもせずに消費している。


データドリブンマーケティングは不可能

一企業にある歯抜けのデータでは行動予測は不可能であり、逆に一企業が歯抜けではない完全なデータを仕入れることも不可能。

一企業が取り組むべきは、脳科学理論を下敷きにしたアルゴリズムの採用。これならデータいらずの販促活動が可能になる。


インサイトがあるというのは幻想

ココロが反応する前に、脳はすでに意思決定している


市場のリサーチほど無意味なものはない
自覚的な行動が出来ていない消費者の言葉を信じることはできない

広告やめたら、アクセス数が増える 
インターネット広告の費用対効果は、実はよくない。TVの方がよいときも多い。
広告止めてコンテンツとSNSに投資したら、アクセス数は増え、費用対効果もよくなる

マーケティングはほんとのところ消費者に向けたものではない

マーケティングは消費者を動かす思考体系と言われるが、まったく逆。インナー(社内)向けのツール。
だから4P(product,price,place,promotion)ではなく3P(parsonel,proccess, Physical Evidence)足した7P が使い勝手がよい。

運用広告のインハウスは絶対に失敗する

運用広告の自社内製化(インハウス化)を人材登用でやろうとするのは愚策
やるべきはアルゴリズムとテクノロジーの調達。人材はすでにいる人材の活用で良い。


などなど、切り出せばきりがないのでいったんこの辺でやめておきます。
詳しくは今後別の記事で書いていきます。

マーケティングは死んだとして、ではどうすればよいのか。

マーケティングは経営のマネジメントツールと割り切る(消費者向けではない)。
マーケティングを極めれば、社内稟議は思いのまま。
もし会社勤めだったり、起業のマーケ関連部門相手の商売人であれば、引き続き説得のための有力なフレームワークとして活用できる

消費者を動かすのなら、本能を知ること、脳の知覚のメカニズムを知ること大事
本能は7万年前に形成されて以降変わっていない。

現在の環境(脳へのインプット環境)を考慮すれば脳の反応を理論的に予測できる(ことも多い)

スケール大きく展開したいならアルゴリズムを極めること、テクノロジーを活用すること
そうすれば、少ない人数でも大きな成果をかなり効率的に出すことが可能になる。

もはや大きな組織や大人数は必要ない時代になっている。

働き方を見直そう

これらがお役に立つのは、企業や組織ではなく、企業で働く、あるいは企業を相手している個人の皆さんです。
なぜなら、これらは企業にとってはいろんなやり方を変えてしまう劇薬です。おそらく無視せざるを得ない話です。
それでも少しずつ変わっていくのは間違いない状況下で、働く個人が先んじてアップデートしておくことは、人生を楽しむうえで重要だろうなと思うからです。


今後は、この記事で上げたtipsを深ぼって記事にしていきます。
よいtipsになるような続編を目指して、また投稿したいと思います。


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