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「族長の秋」感想

 カリブ海沿岸に位置する、旧植民地であったという架空の国家。欧米諸国が引き上げたのち、独裁者として権力を一手に握ったのは、肥大した金玉にヘルニアを患う男だった。残虐であったり、反対に良心的であったりする彼の行動を、さまざまな人の視点で描いていく。
 
 しかし、「さまざまな人の視点」と言っても、ただ単純に切り替わるだけではない。
 彼らは時に軍人であり、時に一人の平凡な市民、あるいは女学生であったり、はたまた独裁者自身になる。ふと気がつけば、彼らの語りが紛れ込み、ふと気がつくと、いつのまにか消えている。夢のように、次々と浮かぶ人々の記憶を垣間見れば、そこには必ず、彼がいる。
 そういう、曖昧で、単一の視点に固定されない独特の文章。作者は国民あるいは群衆を、一つの人格として表現しているのではないだろうか。
 
 また印象的なのは、欧米諸国が負債の支払いとして、海を要求した点だ。彼がやむなく承諾すると、外国の船がやってきて、幾つもの部品に分解し、どこかへ持ち去ってしまうのである。——海を、だ。植民地から見た欧米の、恐ろしさ、得体の知れなさ、底の知れなさと言ったイメージが、象徴されているように私は思う。
 
 国民は誰も、彼が何者であるかを知らず、また彼自身も、自らが何者であるかを知らなかった。権力を握ったかと思いきや、ある日彼は、それが一人歩きを始めていることに気がつくのである。自分の出た覚えのないテレビ番組。自分が出していない命令。彼の変わり身として用意された偽物を加え、読者ですらも、「本当の彼」がわからなくなっていくのである。
 読むほどに霧が立ち込め、情報が増えるほどにわからなくなる特異な読書体験だった。

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