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STAND運営者 丹波匡太郎 自己紹介!

こんにちは!
オーナの丹波匡太郎(たんばきょうたろう)です!

まずは私の自己紹介を見て頂きありがとうございます!とても嬉しいです!!

私自身もまだまだ人生でやりたい事を全然叶えれていませんが、やりたい事はいっぱいありそれを叶えるため日々行動しています!

ぜひ一緒に行動できる仲間の1人として、私のnoteを読んで頂けたら嬉しいです。

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プロフィール

私の自己紹介
1993年北海道小樽市生まれ小樽育ちの29歳です。
奥さんと息子の3人家族です!

・理学療法士(認定)8年目→老健、訪問リハビリ、病院で勤務
・コーチング(ZaPASS StepUP講習終了済)→コーチング提供時間70時間以上
・朝活コミュニティオーナー(STANDコミュニティ)
・ストレッチ専門店、パーソナルトレーニングジム起業(2023年開業予定で現在準備中)
・趣味で友人とテントサウナを広める活動

※2023年1月現在のものです。

こんな感じで、色んな事にチャレンジして日々過ごしています。まだまだ人生でやりたい事の一部も出来ていませんが、家族と仲間と忙しく、楽しく生活しています!

現在は目標に向かって、毎日最高の日々を送っていますが数年前は自分は何をやりたいのかわからず、スロットやパチンコなどギャンブルをして過ごす毎日を送っていました。
そんな毎日を過ごす中、お金も貯まらないし将来の漠然とした不安がずっとありモヤモヤしていました。

そんな自分が、今は起業をし朝活をする様になったのか人生のお話ををさせて頂きたいと思います。長くなると思いますがぜひ最後まで読んで頂けると嬉しいです。

幼少期

1993年10月23日 
北海道小樽市にて生誕!

男2人兄弟の長男として生まれました。

名前は匡太郎(きょうたろう)とつけてもらったのですが、本当は太郎の予定だったけど母が太郎はありきたりすぎるし、書類の例みたいでいやだという事で太郎の前に匡がついて匡太郎となったみたいです。

わりと自分の名前は気に入ってます。笑

幼少期は静かな子で、あまり目立つ様なタイプではありませんでした。とにかくLEGOが大好きな子だったみたいです。
今も思い返してみるとずっとLEGOで遊んでいた気がします。
この幼少期の過ごし方が今の自分の性格タイプにも現れている気がします笑

小学生

小学生になるとある大きな出来事が。

母親がうつ病と大病にかかってしまいます。
うつ病の症状で自殺願望や無気力になってしまいとても心配でした。
この時期は母親はとても子育てを普通に行う事ができる状態ではなく祖父祖母が面倒をみてくれていました。
この時期は母親に甘える事ができずとても寂しい思いをしていました。精神的にもだいぶ辛かったと思います。

今考えるとこの時期に母親の通院や入院について行ってたので、医療に少し興味があったのかもしれないです。

その後うつ病の原因が、ある病気が原因みたいで手術後母は順調に回復していきました。(今はめちゃめちゃ元気で、バリバリ仕事をしています)

あとはサッカーを小学3年生から始め、サッカー大好き少年でした。サッカーによって自分の人生が今後色々と良い影響受けているので、サッカーを始めて良かったなと思いました!その頃に自分にサッカーをやってありがとうと言いたいです笑笑

中学生〜高校生


中学でも大きな転機がありました。
それは親の離婚です。小学生の時から父親とは別居生活でしたが中学生の時にようやく離婚することになりました。
何が大きく変わったかというと、苗字が斉藤から丹波に変わった事でした。
最初は、中々慣れませんでしたが今は苗字も気に入ってます。

あとは中学1年生の時にいじめにあった事も印象的でした。いじめをきっかけに同年代の友達とは遊ぶ事が減り、徐々に先輩と遊ぶようになりました。友達から無視をされたり、悪口言われるのはとても辛かったです。

しかし、先輩が仲良くしてくれたから、自分にも居場所があったのですごく感謝しています。
中学校は、そんな感じで3年間を過ごし先輩が卒業してからは、同年代の友達とも仲良くなり卒業まで楽しく過ごせました。

ほんとに今思い返してもいじめは良くないなと思います。
集団の中で人とのコミュニケーションを取れない状況は、ほんとに辛いです。
自分の子供に大きくなったら、いじめの辛さは教える必要があるなと感じています。

高校生活は中学時代は勉強をほとんどしていなかったので、家から近い偏差値の低い水産高校に入学しました。サッカー部に入ろうかと思いましたが、遊ぶお金が欲しくてアルバイトをしてお金を稼ぐ事にしました。
地元の焼肉屋でアルバイトをしていましたが、この経験をとても良かったな思いました。はじめて給料を貰った時の嬉しさは今でも覚えています!
アルバイトは真剣に行なっていたのですが、学校は遅刻や欠席が多く進級も危うかったぐらい学校生活はだらしなかったです、、、、

高校の時の転機としては、高校2年生の冬に友人にサッカー部に誘われました。小中とサッカーはやっていたのでそこそこサッカーは出来ていたので、入って欲しいとお願いされました。
最初は乗る気ではなかったのですが、バイトと両立ならということでで軽い気持ち体験入部をしました!
体験入部をしたら、久しぶりのサッカーが楽しくてバイトを辞めサッカー部に入部することになりました!ここが僕の人生とって大きな転機になったと思います。


サッカー部に入ってすぐに、足首に大きな怪我をしてしまいました。

皆さんもお気づきかもしれませんがここで理学療法士と出会いリハビリをする事になりました。

その時の理学療法士の方がとてもカッコ良く直感で理学療法士になりたいと決意しました。

この時の気持ちとしては、せっかくバイトを辞めて部活に入ったのにサッカーが出来なくなってしまい少し落ち込みましたが、理学療法士の方のリハビリを受けることによって早く怪我を治さなきゃと気持ちを切り替えることができ、治療に専念する事ができました。

その後は足首も治り、無事3年生でレギュラーとして試合にも出場し全道大会に出る事が出来ました。高校2年の終わりから入部して、全道大会に出場できたことはとてもラッキーな経験だったと思います。
部活入部後は、学校も真面目に通い勉強も真剣に取り組みました。2年生までの学校生活が真面目じゃなかったので、理学療法士の道については担任には心配されましたがなんとか理学療法士になるための専門学校へ入学することができました。

専門学校

無事専門学校入学後は、千歳の専門学校に入学したため小樽の実家から毎日通学2時間をかけて通っていました。
通学は大変でしたが、母の負担を減らすためにも家から頑張って3年間通学しました。早起きという習慣が身についたので今思うと良かったと思います。(当時は早起きするのがめちゃめちゃ辛かった)
専門学校時代に苦労した事としては、勉強はとても大変でした。中学高校とあまり勉強をして来なかったので、最初はとても大変だった印象があります。ですがなんとか友達の助けもあり、3年間で無事卒業する事ができました。

その後無事国家試験も合格し、地元の病院へ就職する事になりました!

高校生の怪我をして憧れの理学療法士になり仕事できる事になった時は、とても嬉しかったです!この経験は自分の自信にも繋がっています。

社会人

社会人になって実際に理学療法士になってからは、積極的に講習会や研究活動に励んでいましたが、ここで挫折がありました。

研究活動をしていたのですが、自分の知識不足であったり、思考力が追いつかず研究へのモチベーションが下がっていました。勉強量が圧倒的に足りないことは自分でも気づいていたのですが、徐々に自己研鑽のモチベーションも下がっていました。研究活動も途中でやめてしまいました。
この時は何をしたらいいのかも分からなくなっていて、ギャンブルの頻度が増えたり、私生活も徐々にだらしなくなっていきました。

この時に、ちょうど現在の奥さんとも将来の話をする事も増えていたのですがその時に奥さんに言われた一言で気づかされました。

将来の話をしていく中で、貯金もあまりなく今後どうするつもりなの?と聞かれましたが、自分は何も答える事ができなかったです、、、

そこで奥さん(当時彼女)に「匡太郎ってほんと口だけだよね、、、」と言われました。

この言葉がすごく胸に刺さりました。

俺は何をしているんだろう、、、とこの時気づいたのです。
彼女と将来を考えているならこのままじゃだめだなと。


そこからギャンブルも抑え、読書などを初めて少しでも彼女の信頼されるように頑張りました。
いきなり全てを変える事は難しかったですが、読書を始めたり、筋トレを始めて徐々に私生活も変えていけるようになりました。

今考えると、この時の自分は人生の中で何をしたらいいのかわからず、完全に迷走していたのだと思います。
目標がないまま、過ごしているといつの間にか時間は過ぎてて、気づいたらお金もなくて給料日を待っている状態でした。
日々の生活に充実感もなく、あまり楽しめていませんでした。

その後は、読者をしたり自分で色々な事を調べたりしていく中で、理学療法士以外のことにも興味を持つことが多くなりました。やった事ない事をやってみたいと思う事が多くなっていきました。

そこで当時考えたのが、友人何人かと地元の1番大きいお祭りでたこ焼き屋の露店を開く事をやってみました。以前の自分だったら絶対に挑戦していなかった事だと思います。挑戦をしてみて大変なこともありましたが(友人同士での意見の食い違いなど)友人と意見を出し合ってチャレンジしている状態がとても楽しく達成感がありました。
やった事ない事でも情報収集をして、準備をやれない事もないなと感じました。露店を開く中でいっぱい失敗もしましたが、目標を掲げてやり遂げる事の大事さを学べたと思います。

コーチングとの出会い

コーチングとの出会いは、日々読書やYouTubeなどで情報収集をしている中でコーチングという言葉を聞くことが多くなり少し興味は持っていました。

その中でも特に見ていたのが、AKIOブログという方のYouTubeでコーチングの説明をしている動画が上がっていてすごく興味が湧き実際に自分も受けてみたいなと思いました。

その方のコーチングも検討したのですが、他の会社のコーチングサービスも見てみようと思い色々と検索をしていました。

そこで検索をしているとあるホームページを見つけました、、



「マジキャリっていうサービスかぁ〜」



「ふむふむ、コーチングの値段はいくらくらいかな、、、」



「うわっ、結構高いな〜」


「どんな人がコーチしてるんだろう〜?」


「あー意識高そうな人ばっかりだな〜」


「コーチ名:鈴木将斗」


ん、、、


これって、、


この顔どっかで見たことあるぞ、、


あ!!!!!!!!!!
地元の中学の先輩まーくんじゃん(STANDコミュニティのオーナー)!!!!!!!!!



これがまーくんとコミュニティを始める最初のきっかけです。
この時とても運命を感じました。なんかスピリチュアルとか全然信じない方なのですが、コーチングを受けろと言われている気がしました。


まーくんとは、中学時代そこまで仲が良かった訳ではなく、たまに皆んなでサッカーをするぐらいの仲でしたが、この後すぐに僕はまーくんの連絡先を知っている友達に連絡してコーチングの事を色々と教えて頂きました。
(この時まーくんはすごく親身になって話を聞いて頂き、コーチングの話を教えてもらえなかったら今の自分はないと思うので、とても感謝しています。)

そこでZaPASS株式会社という会社で、まーくんも実際にコーチングを受けているという話を聞いて紹介でコーチングを受けることになりました。

その後コーチングを受けてからは、自分の本当にやりたい事が少しずつ見えていきました。コーチングを受けていく中で実際にコーチ側になってみたいという気持ちが出てきたので、ZaPASS株式会社ですぐに60万円のコーチ養成講座に申し込みました!笑

この時の自分は、思い返してみてもなかなかの決断だったと思います。
奥さんに相談した時はとてもびっくりしていました。やはり金額も金額で、ちょっと胡散臭い感じもありましたが、この時は奥さんも自分を信用してくれていたので、匡太郎がやりたいならやってみればと背中を押してくれました。
奥さんが背中を押してくれなかったら、コーチングも学んでいないですし、STANDも生まれていませんでした笑

この時の奥さんの判断にはとても感謝しています。

その後は半年間コーチング講座で学び、現在はフリーでのコーチ活動とZaPASSの運営から業務委託のお仕事も頂けるまでになりました!!!

これがきっかけとなりSTANDコミュニティを創設することになりました。
創設の経緯や思いについては、違う機会でお話できればと思っています。


最後に

以上で丹波匡太郎の自己紹介を終わりにしたいと思います。

まずはここまで読んでいただきありがとうございます。

読んで頂いてわかる通り、僕自身とてもだらしない生活を送ったり、勉強も嫌いだったり決して優秀ではありませんでした。

しかし、家族、先輩、友人、職場で色んな周りの人に助けらてなんとか今ここにいれるのだと思います。

一度きりの人生、自分の願いややりたい事、家族を大事にすること、周りの人達にも協力できる事など少しでも多くの事をやり遂げたいと思います。

僕の現在の目標としては、ストレッチ専門店・パーソナルトレーナーで起業し、多くの人に健康になってもらう事、コーチングやコミュニティを通して人生に没頭してもらうお手伝いをする事、趣味のサウナ活動を広めて色んな人と繋がっていけたらなと思っています。

そのためには、僕自身もまだまだ未熟ですので皆さんと一緒に成長し自立していけたらなと思っていますのでどうぞよろしくお願いいたします。

読んでいただきありがとうございました!!!

おわり

STANDコミュニティオーナー  丹波匡太郎

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