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郷に入れば郷に従えを貫くことで拓ける道

座作進退(ざさしんたい)
→ 行儀や立ち振舞のこと。

郷に入れば郷に従えという言葉があるが、その土地や社会に入ったら自分の価値観と異なっていても、その土地が集団の慣習や風俗にあった行動をとるべきであるというものだ。

これは本当にそうすべきだというのが私も同じ見解だ。

中には自分を貫き通すといった意固地になる人もいるが、それはだだのワガママで全てを台無しにする場合が多い。

それは、私自身の経験による。

2011年に遡る私の記憶

もはや10年以上前のことになるが、2010年から2011年に年が変わろうとしているころから、私は頻繁に上海に行くようになった。

20代後半の私が選択した道は、上海でビジネスをするというものだった。

20代中頃からいろいろと責任のあるポジションで仕事をやらせてもらってきた私は、20代のうちに海外で一度は働くというキャリアを積みたいと考えていた。

正直、場所はどこでもよかったし、その気になればどこにでも行ける環境だった。

そんな中で私は上海を選択した。

その理由も今思えばただのいきがりでしかないのだが、私の周りにいた人たちで中国で上手くいっているという人は皆無だった。

絶対に中国は失敗するから出ない方がいいとさえいわれたのだが、それが返って私に火をつけたといえばカッコよく聞こえるだろう。

まあ、この時点でダメなのは海外で働いたことがある人はすぐに理解できると思う。

特に中国のどこかの都市でビジネスをしたことがある人はよくわかると思うが、中国でと言っている時点でアウトなのだ。

中国は公表されているだけでも14億人以上という人口を抱えている大国だ。

上海という土地を切り取ってみても、2,600万人以上がいる巨大都市だ。

東京の人口が約1,400万人なので、およそ2倍の人口がいると考えたら、それだけでいかに大きいかが理解できるだろう。

いきがっているだけのなにも知らない日本人が行くには大国過ぎて相手にならないことすら気が付かなかったわけだ。

けれども、この経験は大いに役立った部分があることも今回のテーマにしていこうと思っている。

初めて訪れた上海という場所

ということで、2010年の年末あたりから上海に月の半分くらい行くようになった。

その前に、私は全く中国語ができないし文化も知らないので、通訳ができるスタッフを必要としていた。

タイミングも良かったのか、応募をかけると500〜600人が集まったと記憶しているが、その中から1人だけ中国人のスタッフを採用した。

結論から言うと、この中国人スタッフに何度も救われるのだが、約3ヶ月間はウィークリーマンション的なところで過ごしていたのだが、いよいよ本格的にマンションを借りることにした。

それが、2011年3月〜4月にかけての出来事だ。

正直、やりにくさしかなかった。

今だから言えるが、いきがって上海に乗り込んで行ったもののの、なにからやればいいのか、本当に戸惑いを隠せない日々が続いた。

言葉も伝わらないし、なにもかもが日本との感覚と違ってストレスを溜め込むばかりだった。

日本でそれなりに成果を出していたと思っていた自信がどんどん崩れていった。

日本人が日本人を騙す世界

私が上海に乗り込んで行ったのは、もちろんビジネスをするためで、そのために必要となるものは物件だった。

そして、ようやく、1号店となる物件が見つかって、いろいろと進めようとしていたときの話だ。

上海でも日本と同様にビジネスをするときは法人登記をしなければいけない。

それから、当局に財務報告をしなければいけないし、スタッフを雇う上で社内ルールの制定もしなければいけないのも同様だ。

もちろん自分たちではできないので、日本で言うところの税理士や社労士的な人たちと連携していくわけだが、ここで感じたことがある。

財務報告に関して、上海に進出していた日系大手のところに多少の繋がりがあったので、見積りを依頼したときのことだ。

上海への進出当初は私と1人の中国人スタッフの合計2名しかいない。

それにも関わらず、社労関連も含めての年間予算は日本円にして200万円以上というのである。

常識的にもそれはないと考えて、同行してもらった中国人スタッフにローカルで探してもらうことにした。

驚くことなかれ、年間で日本円にして10万円もかからないくらいでやってくれるという報告が上がってきた。

売上や利益が上がるに応じて多少の増額はあるということだが、納得しかない提案に唇を噛みしめたことをよく覚えている。

なにもこれだけではない。

上述した物件の契約が終わった後、どこから嗅ぎつけたのか知らないが、内装工事をやらせて欲しいと日系大手企業の数社から連絡があった。

見積りを出してもらうという流れになるわけだが、明らかに高い。

中国人スタッフに同様にローカルの企業を調べてもらったら半額以下という価格で納期もはやくやってくれるという。

これが海外で起こるのが通例なのかどうかは知らないが、注意しておいた方がいい。

ここから私は極力、信用できる日本人としか付き合わなくなったことは言うまでもない。

上海での生活を楽しむためのきっかけ

日本では百戦錬磨のビジネスモデルで展開していたので、まさか上海でこれほどまでに苦戦するなど思ってもいなかった。

日に日に疲弊していく私を救ってくれたのは、同行してもらっていた中国人スタッフの一言だった。

植田さん、ここは上海です。日本ではないので上海のやり方を受け入れてください。

まさに郷に入れば郷に従えという日本のことわざと同じことなのだが、この台詞が私には劇的に刺さった。

なにもかも上手くいかないのを私は中国のせい、上海のせい、中国人のせい、上海人のせいにしていた。

でも、一番の原因は私自身にあった。

なにもかも受け入れようとせず、私の小さなプライドのせいで上手くいっていないことを、その中国人スタッフは完全に見抜いていた。

その中国人スタッフは本当に優秀で、日本語も全く訛りがなく流暢に話すこともでき、韓国語やフランス語もできるという人材だった。

なにもできない私に変わって、いろいろと支えてくれたことは今でも本当に感謝している。

そして、なによりも自惚れていた自分を見直すことができたことも大きかった。

上海での本格的な生活が始まって1ヶ月を過ぎたあたりからだろうか。

自分の無力さを受け入れて、周りの言うことをちゃんと聞くようにするようになってから、私の上海生活は明らかに楽しいものへと変化したのである。

中国での心構えとマナー

中国人に対して嫌悪感を抱く人は多いように思う。

私は上海で生活していたこともあってそんなことはない側の人間なのだが、1つの考え方を持った方がいい。

それは、前述したが中国には14億人以上の人がいる。

日本の人口が約1億2,000万人なので、ざっくり10倍の人がいるということは、日本の10倍スゴい人もいれば10倍ダメな人もいるという考え方だ。

この発想を持つことができれば、大したことは気にならなくなる。

また、中国人は大声で会話するということに対して嫌悪感を示す人もしばしばいる。

これは、中国語は四声という発音から成り立っていることを覚えておけばいい。

つまり、一文字取ったとしても、4つの発音があるということで、よく使われるのが、「ま」の事例だ。

妈妈骂马吗?

これを日本語にすると、まーまーまーまー?となるわけだが、ママが馬を叱りましたか?という日本語になる。

妈妈骑马,马慢,妈妈骂马。

これもよく使われるパターンだが、まーまーまーま、まーまー、まーまーまーまー。となるわけだが、ママが馬に乗ったけど、馬が遅いので、ママは馬を罵った。という日本語になる。

この「まー」だが語尾が上がったり下がったり、そのままだったりと同じ「ま」でも4つの発音がある。

その発音をハッキリさせるために大きめな声になるという理論だ。

少々、暴論っぽくもあるが、まあこのことを知っておけば、闇雲に嫌悪感だけを抱くということも減るのではないだろうか。

マナー的には、いろいろ聞いたものもあるのだが、まあ1つ覚えておけばいいだろう。

それは、食事のときに全部を食べるのではなく、少し残すといったものだ。

これは、食べ切られると少ししか料理を出さなかったというホストの評価になるらしく、お腹いっぱいだという表現方法なのである。

外食や大衆店でのマナーというよりは、家に呼ばれたときなどのマナーとして知っておくといいだろう。

まとめ

小さなプライドを捨てること。

これはとても大事なことなのだが、案外できないものだったりする。

物事が上手く進まないことが多いという人は、もしかするとあなた自身の小さなプライドが邪魔しているのかもしれないという視点を持つといいだろう。

そして、その小さなプライドを簡単に捨てられるようになるかは、あなた自身によるということだ。


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植田 振一郎 Twitter

株式会社stakは機能拡張・モジュール型IoTデバイス「stak(すたっく)」の企画開発・販売・運営をしている会社。 そのCEOである植田 振一郎のハッタリと嘘の狭間にある本音を届けます。