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ケアの当事者学 ジェロントロジー

大変間があいてしまいました。
ジェロントロジー、今回のご講義は、ケアの当事者学でした。
こちらは公開授業ではありませんでした(>_<)
講師の先生は、社会学などが専門でした。
なかなか鮮烈な提起もあり、色々考えさせられました。
具体的なケアというよりは、思想的な面の話です。

ケアの人権アプローチ

3つの側面からの権利が示された。
①ケアする権利
②ケアすることを強制されない権利
(ケアは家族の強制労働であるとする発想に対する主張)
③ケアを受ける権利
(介護保険制度により、初めて保障された)

ここでは、ケアを受ける側の状況に注目していった
介護される側の声はどうなっているのだろう?

かつては、介護される側は、
介護に関して権利を要求できなかった。

今でも、
介護する側は経験と情報が蓄積されていくのに対し、
介護される側は、それらが不釣り合いに少ないのが実際である。

その背景には、
介護される側の沈黙(失語のある方は反応しにくいなど)
もある。
また、介護される側を対象とする調査研究においても、
(これは研究者の怠慢だと先生は批判していたが)調査票を送った場合、
介護を受ける当事者ではなく、家族が代理回答をするケースもあるという。
代理回答では、調査には使えない。

結局、介護する側/される側の非対称な状況は実在するという。
介護する側のパターナリズム
つまり介護する側が、本人のやることを決めるという場合がある。

そのような状況が説明された後、ある立場が紹介された。

当事者研究 である。

当事者研究

当事者研究とは何か?
ここでの当事者の定義は、
「問題から立ち去ることができない者」
とされている。

当事者研究の扱う問題は、上に挙げたパターナリズムである。
(例:医療パターナリズム。「あなたのことはわたしが一番理解している。だからわたしに従いなさい」。)

そのパターナリズムに対し、当事者の思考の権利が提示された。
(「わたしのことはわたしが一番わかっている」)
当事者研究は、支援者ではなく、第三者でもなく、
当事者による研究である。
(例:認知症者の当事者研究者 
クリスティーン・ボーデン, 佐藤雅彦)

当事者研究をリードする研究者の1人に、
熊谷晋一郎先生が紹介された。
先生は脳性まひにより車いすに乗っている。

熊谷先生によると、
自立とは、依存先の分散である。
依存の不在ではない。
という。

よい介護のための条件は、自分を解放することであるという。
なぜなら、介護の柱が一本だけだった時、もしそれに頼れなくなったら、総倒れだからだ。複数の柱を持っていれば、それは避けられる。
耐えられないほどの負担を1人にかけるのではなく、耐えられる負担を複数人にかける。それは、ケアする側だけでなく、ケアをもらう側のためでもあるのだ。
一方で、介護保険制度の目指す「自立」は、
介護保険を使わない状態だとされているそうだ。
こちらでは依存のない状態が、好ましい状態だとされている。

高齢者の自己決定と介護におけるハードル

高齢者の自己決定と介護において、ハードルが存在する。
その一つは、みとりケアだという。
特に、在宅でひとりで最後を迎えることについてである。
本授業の先生は、孤独死という表現を否定していた。

死を迎える場所として、独居でも構わないから、在宅を望む場合もあるという。
つまり、在宅は、「家族と一緒がいい」ことを必ずしも意味しないのだ。
そして徐々に、在宅での死について、現場も変化しつつあるという。家族がいることが必須だった時代から、関係者が少ないこと
が必要であると変容してきているのだ。
在宅で独居での看取りは、介護保険を使いつつ多職種の人たちが束になって担うことで、可能になったケースが紹介された。そのように暮らしを送ることと在宅みとりには、介護力そして介護保険が不可欠な存在であるという。
一方で、地域などは高齢者の独居を好ましいと思わないなども課題であるようだ。

以上、色々なトピックが挙げられたが、次で最後の話になる。

超高齢社会で目指す社会とは?


上のような議論のポイントは、
超高齢社会で目指す社会を考える時に、関わってくる。

現在、サクセスフルエイジングという発想がある。
この発想は、先生によると「死ぬ直前まで壮年期を最大限延ばすこと」、つまり弱まることを否定したい思想だという。

先生が望ましいと考える社会は、それとは違っていた。
「弱者にならない」を目指すのではない。
誰もがいつかは「社会的弱者」にはなる。
そのもとで、安心して「社会的弱者」になれる社会を目指したい、
と提起された。

感想

人口動態が大きく変わり、今までにない状況が人を取り巻くことになるのは確実だと思っています。社会が変わる、価値観も適応させる必要があるでしょう。しかし、ここで扱われたのは、理想的な生き方、死にも関わる領域の価値観だからでした。となると、どう変わるのか?の思想は慎重さが必要だと感じました。 問題のある思想が批判も検討もされないまま、こっそりと無意識の内で働いて、そして誤った道を選んでしまう、それは避けたいです。

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