ちょも / TNK
対象者:頭が悪いと感じている&パフォーマンスを高めたいエンジニア 頻度:不定期 内容: そもそもIQが高い・EQが高い人が同じようなスペックの人に向けてに書いているハウツーなんてマネできたことがないよ、という自分が、低めの自分にフィットするハウツーを探っていきます。その人たちと同等のパフォーマンスを目指すだけでなく、目標をそもそも変えるなど、色々なアプローチを想定しています。 また、できるかぎり個人的な経験のみでなく、心理学など理論的根拠も添えて書いていくつもりです。
ITに関するマガジン
東京大学の2008年度開講の学部横断型教育プログラム:ジェロントロジーの講義ノートまとめ
本記事は Mechanisms Underlying Training-Induced Cognitive Change という認知機能のトレーニングの効果に関するレビュー論文のメモです。ただし、最新の論文ではなく訂正などがされていない初期の論文に基づき書いています。(最新の論文は有料だったのでスミマセン) 初期の論文はこちら。 https://eprints.whiterose.ac.uk/178761/6/vonBastian.etal.accepted.pdf 最新
周囲をよく見て反応をカメレオンのように合理的に変えられるタイプと、フグみたいに動くものは全部エサだと思いこんでかみつくタイプがいる
人は自分の思考能力と同等のものを他人も持っていると暗黙のうちに仮定するのではないか。自分の能力がハイエンドだと自覚している人は相手が自分よりレベルが低い場合にそのことは分かるのだろう。逆にレベルが低く深く考えていない人は他人も深く考えていないと思うのだろう。
この世界には因果応報・平等という規則が実在すると信じているか?
はじめに なんだか不器用な人へ一生懸命にやっているつもりだが、周囲に困惑されたり、呆れたり、軽蔑されたりする人種がいる。私はその人種である。 もちろん不器用を脱したいとは思う。しかし、脱出するための術が分からぬのだ。つまり、器用な人がやっていることをいかにして習得するかという問題に直面しているのである。困ったことに、その能力は器用な人にとってはあまりに当然過ぎるがゆえに、言語化するモチベがない。あるいは言語化が困難である。器用な人は大抵誰かから教わったわけでないようである。
インドのチームメイト複数からよく受けた注意 「Don't confuse it, consider it separately」 「wait, explain it one by one...」 日本人と働いててもそんな注意受けたことない ごちゃまぜに考えるな、分けて考えよ
parasites of the planet
"自分は今できることの全てをやっているのか?"という問いに対してaccountabilityがある⇒自信を持てる。結果が出ていなくても100%出力の結果なら、無念なく諦められる気がする。さらに他人へのaccountabilityにもなる。
自分は隠れ怠惰である。 それに似た特性の人も何人かいる。 その隠れ怠惰について考えてみた。 やるべきことをやらない人がいる。いわゆる怠惰である。 しかし、一見怠惰ではない、隠れ怠惰がいる。 やる必要のないことをやる人である。 この類の人が問題となるのは、あまりにも無用なことをする頻度が高いケースだ。 そのため、本来やるべきことをやる時間が残っていないのである。 だから、結果の観点において、やるべきことをやらない人と同等の地位である。 では、なぜ、やる必要のないことを
機械学習の勉強をしている。機械学習の目標はつまるところ汎用的な数理モデルを作ることだ。ここで思う。数理じゃないモデルって何だろう?例えば心理学ならバッデリーの記憶のモデル。これは観念的モデルかな。数理モデルの方が予測や説明の精度が高そう。機械学習を捉えるのに苦心中。
【規則の有効な範囲と吝嗇】 ケチな性格+理学寄り分野(心理学)を学んでいたからなのか、プログラミング言語固有の規則を覚えるのがつまらない。非普遍的規則を把握するのがつまらない。…と書いた時点で気づいた。心理学の研究でわかる人間の法則も限定的だった。Be patient!!
この記事は ジャンルなしオンラインもくもく会 Advent Calendar 2023 の5日目の投稿です。 アドベントカレンダーをより楽しむためには、どうすればいいか。 思いつくままに書いてみました。 背景は、アドベントカレンダーを初めて自分で一つ立ち上げたからです。 しかし、自然に任せて盛り上がるほど、この世界は自分の味方ではなさそうです。なので、カレンダーを盛り上げる方策を考えました。 ただし、ユーザーエクスペリエンスを設計することの知識が皆無なので我流で考えまし
こんにちは。@MaiTanaです。 Qiitaアドベントカレンダーの3日目の記事です。 今回は技術からかけ離れているので、別サイトで作成しました。 (昨日気づいたのですが、Qiitaガイドラインによると技術からかけ離れている場合は別サイトで作成し、アドベントカレンダーにそのリンクを貼る方がよさそうです) なぜこのような記事を書いたかまず前提として、学習することは記憶を構築することだと捉えます。 記憶がなければ、必要な場面で知識を思い出すことはできないからです。 そういうイメ
この本は、防災について心理学の切り口で考えてみたという本。 このnoteは、その断片的な抜粋と所感をメモしたものです。 人間をして、不確実な事象を確実でリアルなものとして認識させるトリガーは、その事象の機能的代替物のリアリティを示すことである。 すなわち、時間ちがい、場所ちがいの類似物の現実を示すこと。 この話は、南海トラフ地震による被害という不確実な事象をどうやって認識できるのか、と関連する。 このような不確実な事象の認識の例は、時間については、3.11の津波が防潮堤
なすべきことをなさない言い訳について 言い訳には正当な言い訳と正当でない言い訳がある。 正当でない言い訳の例。自分にできることの全てをやれば退けられる要因を持ってくる時、それは正当でない。 私は正当化できない理由も正当な理由も一緒くたにしがちである。
断片的に思索をしたところで、焦点がなく、基礎付けられていかない。 全ての行為は意図的か。否…。 環境に合わせて行動する場合とそれとは無関係に習慣的行動をとる場合がある。習慣的、固定的である程度には個人差がある。固定的な性質を究極にした生物はプランクトンかもしれない。