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まるでおとぎ話のような歌集 〜蝦名泰洋、野樹かずみ著「クアドラプル プレイ」のこと
とても素敵な歌集と出会いました。書肆侃侃房から2021年に出版された「クアドラプル プレイ」です。
本書の著者は蝦名泰洋さんと野樹かずみさんの二人。
蝦名さんは青森県で暮らし、野樹さんは最初は東京で、その後は広島で暮らしながら、俳句の連句のように短歌を詠み合う両吟を、二人は1990年からずっと、30年も続けてこられたのだとか。本書には、そんな二人の歌が、一頁にそれぞれ一首ずつ収められています。
それはまるで、会話のようです。たとえば、泰洋さんの歌。
背景の夜空がふいに明るんで君の笑顔にかわる流星
その隣には、かずみさんのこんな歌が。
次々とすべり台から降りてくるふしぎ座流星群の星たち
あと、このニページが素敵でした。まずはかずみさんの歌。
やわらかな赤ちゃんの髪が鼻先に呼びもどすお祭りのわたがし
それを受けての泰洋さんの歌。
少女から少女へ渡す少年の青ろっ骨に二日分の老い
さらに、それを受けてのかずみさんの歌。
老いて消える青とはどんな空だろう子の蒙古斑うすくなりゆく
さらにさらに、それを受けての泰洋さんの歌。
あこがれがあせないようにがまんする聴きたい曲を聴かないように
ああ、もうね、なんか、何なのでしょうね。もしも誰かとこのような会話ができたら、どれだけ美しいでしょう。
でも、そんな会話ができるのは、このお二人だからでしょう。僕にはとても、そんなことはできそうもない。
本書のあとがきに、泰洋さんのこんな言葉が紹介されていました。
連句には駄句がないというはなしを聞いたことがあります。聞きまちがいだったかもしれませんし、記憶ちがいかもしれません。でも、ありえるはなしです。
前の人が仮に駄句を付けたとしましょう。その句を次の人は輝かせるかもしれない。駄句同士を掛け合わせて輝かせるかもしれないし佳句で輝かせるかもしれない。この駄句には生きる道があるんだぞという意志が連衆には宿っている。座に参加した以上、他人の句を輝かせずにおくものかという気持ちが充満していたら、それではなしが終わってもかまわないくらい。
引用しすぎですね。ごめんなさい。でも本当に、どの歌も、そして、あとがきのどの言葉も、どれもこれも良くてここに紹介したいのです。本当にいい本というのはきっと、そういうものです。
こういう人だから、このような会話ができるのでしょう。すべての生き物を愛するように、すべての歌や言葉を愛している、そういう人だから。駄句というものがあったとしても、その駄句もまた輝くことができる、そう知っていた人だから。
だけど蝦名泰洋さんは2021年、ガンで亡くなったそうです。だからもう、このお二人の会話はこれでもう終わりです。もう読めないなんて。
この素敵な本と出会えてよかったです。
詩とは、歌とは、こんなにも美しいものなのだと、そう教えてくれる本です。
生前、蝦名さんは、短歌を詠むとは「短歌さんに道を開ける」ことだ、と言っていたそうです。
短歌さん。短歌の妖精。そういうものが、見える人には見えるし、見えない人には見えないのです。
でも、見えなくてもその存在を信じ、感じることができる。僕はそう思うし、そう信じます。
最後に、野樹かずみさんの言葉を紹介します。
おとぎ話を生きています。緯度と経度のない公園で、青い鳥を探す。たとえば、短歌さん、という名の。
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