SFの中心で愛を叫ぶ〜梶尾真治著「美亜へ贈る真珠」のこと
僕はかつて「SFってなんだか苦手だなあ」と思っていました。SFってどこか無機質な感じがして、情緒に欠けているような、そんな気がしていたんです。
もちろんそんなのは大きな間違いだ、ということを今は十分すぎるくらい知っているのですけど。
そんな僕のSFに対する苦手意識を克服させてくれた作品がいくつかあるのですが、この作品集もその一つです。
ということで、今回はそんな本書の中からいくつかのあらすじをご紹介しましょう。
美亜へ贈る真珠
科学技術省内勤務から『航時機館』に異動することになった主人公。そこで行われている『航時機計画』とは、一言で言えば「生きたタイムカプセル」でした。
「冷凍睡眠(コールドスリープ)」とは異なり、『航時機』は「時間軸圧縮理論」によって時間の流れを八万五千分の一にします。つまり、『航時機』の中に入ると、こちらの世界の一日が一秒となるのです。
そして乗員の新陳代謝もまた、八万五千分の一となります。
この機械には一人の青年が乗り込んでいました。未来への使者として選出された彼は『航時機』の中から観覧客たちを見下ろしています。
ある日、主人公は一人の女性が立っていることに気づきます。彼女は青年を見つめながら悲しそうに唇をゆがめ、そして去っていきました。
それから五年後、主人公はまた彼女の存在に気づきます。そしてふと彼女に話しかけるのです。
彼女はこう言うのでした。
「私は、彼に捨てられたのです」
『航時機』の中の彼と彼女は結婚を約束した仲でした。しかし、それにも関わらず、彼は『航時機』の中に乗り込んでしまったのです。
なぜ彼は『航時機』に乗り込んでしまったのでしょう。
彼は本当は彼女を愛してなんていなかったのでしょうか。
それとも……
詩帆が去る夏
主人公の老人は二十歳になった娘の裕帆をドライブに誘います。行先は水子岬。なぜなら今年は裕帆の母、詩帆の二十回忌にあたるのです。
裕帆は自分の母親が詩帆であるということ、そして父である主人公が彼女に話した、詩帆がドライブ中の事故で亡くなったということを信じて疑ってはいませんでした。
しかし主人公には娘に隠した大きな秘密があったのです。
クローンの研究者であった主人公が犯してしまった罪。もしもそのことを知ってしまえば父と娘の関係は変わってしまうかもしれません。それでも、主人公はそうするしかないのでした。
当時と同じように水子岬へ訪れることによって。そうして裕帆がすべてを思い出すことを信じて。
莉湖という虚像
莉湖と進、そして主人公の三人は宙専大学の同級生でした。酒があれば集まり、なければないで主人公の部屋に集まって将来の夢を語り合いました。
主人公は莉湖にほのかな恋心を抱きます。しかし莉湖は幼馴染だった進のことを愛していたのでした。
莉湖と進は卒業を前に婚約します。そして進と莉湖は航宙士ではなく、地上勤務の通信士の進路を決意するのです。航宙士になればお互い離れ離れになって、宇宙を飛び回らなければなりませんから。
ところが、悲劇が二人を襲います。進が訓練中の事故で死んでしまうのです。
抜け殻のようになった莉湖。主人公は彼女を何とか慰めようとします。
卒業後、莉湖は地上勤務の希望を撤回し、地球から遠く離れた星での観測員となります。
莉湖が派遣された星、そこは観測用のドームをのぞいてはただ岩塩の砂漠しかない、文明のかけらもない星でした。そこでたった一人の観測員として、莉湖は暮らしていくことを自分で決めたのです。
辺境地区星域巡回宙航士となった主人公は、莉湖の住む星を訪れます。出迎えてくれた莉湖はすっかり元気になった様子だったのですが……。
玲子の箱宇宙
新婚旅行から帰ったばかりの玲子と郁太郎。二人の元に送り主不明の荷物が届きます。誰かからの結婚祝いだろう、と開けてみると、中には箱が入っています。そしてその中を覗くと、そこには宇宙が広がっているのです。
結婚からしばらくたち、郁太郎は仕事で帰りの遅い日が続きます。玲子はそんな日々を、文句も言わずに過ごしていました。それでもやっぱり寂しいもの。そういう時、玲子は箱の中の宇宙を見つめます。
その宇宙はまるで生きているようです。生まれる星もあれば、死ぬ星もあるのです。
星が死ぬと、そこにブラックホールが生まれます。ブラックホールはすべてのものを吸い込みます。
それは周りの星や空間を吸い込み、やがて……
"ヒト"はかつて尼那を……
かつて地球と呼ばれていた星がワルツィェン人たちによって支配されて数十年。今ではこの星はドニ・ワルツィェン星と呼ばれています。
父の仕事に付き添ってこの星にやってきたパンチェスタは、この星の「保護区」で「ヒト」と出会います。
彼は最後の「ヒト」でした。もう地球人は彼以外誰も残っていないのです。
「ヒト」に興味を抱いたパンチェスタは、彼と様々なことを語り合います。そこにはまるで人種を超えた友情が生まれたかのように。
しかしある日、パンチェスタは知ってしまったのでした。この星が、もうすぐ完全にワルツィェン化されるということを。そうなってしまったら、もう「ヒト」は生きていくことができません。
パンチェスタは「ヒト」を助けるため、彼の元へ向かうのです。
時尼に関する覚え書
これは本作品集の中で僕が最も好きな作品です。
1950年、当時三歳だった保仁は一人の老婆と出会います。彼はその時、なぜか運命的なものを感じてしまったのです。
老婆は初めて会ったのにもかかわらず彼の名前を呼び、彼に指輪を渡します。彼女は言うのでした。
「私たちは、また会うことになるのよ……」
それから数年後、再び二人は出会います。それは保仁が小学二年生の時でした。
ところが、少し不思議なことがあります。今度出会った彼女は、前に会った時よりも少しだけ「若返っている」ようなのです。
彼女は彼に日記を書くように勧めます。そして彼もそのことを彼女に約束するのでした。
彼女の名前は時の尼と書いて“じにぃ”。さて、彼女は一体何者なのでしょうか。
江里の“時”の時
主人公はあるバーで久しぶりに高校時代の友人と待ち合わせしていました。その友人、黒沢は高校卒業後、理系に進んだのでした。
黒沢は主人公に相談があるようなのです。黒沢は言うのでした。「タイムマシンを発明した」と。
彼はそのタイムマシンを使って過去へ遡ります。ところがタイム・パラドックス(過去を改変してしまうと現在まで変わってしまう)によって、彼は本来あるはずのない現在に戻ってしまうのです。
しかし、問題はそこにはありませんでした。問題は、そこで彼がある女性と出会ってしまったことなのです。
そのあり得るはずのない現在で、本来彼がいるはずの研究室にいたのは、江里という名の女性でした。
黒沢はそこで彼女に一目ぼれをしてしまったのです。
なんとかタイム・パラドックスを解消してちゃんと現在に戻ってきても、頭に浮かぶのは彼女のことばかり。
そこで彼はもう一度彼女に会いに行こうとします。
しかし違う「時」の現在、つまりそこは彼が存在してはいけない現在の世界ですから、彼は彼女に出会うことはできません。
それでもどうにか彼女に自分の存在を伝えようとするのですが……。
まとめ:SFで愛を語るということ
目的と手段は別だと思うのです。
SFという小説のジャンル、それはただの手段であって目的ではないのですね。
だから本書を読まれた方は、きっと気づくことでしょう。これらの作品が、SFでも愛を語れるのだ、ということのために書かれているのではなく、むしろここに描かれている“愛”を語るためには、手段としてSFである必要があったのだ、ということに。
SFという、論理的な、説得力を重視する物語のジャンルにおいて“愛”を語るということ。
それは下手をしたら「野暮なこと」になりかねません。
論理と“愛”、一見かけ離れたように思えるこの二つのテーマを、本書はまさに二兎を得る形で表現して見せているのです。
本書の解説で山田正紀氏はこう言います。
「じつに梶尾さんは日本SFに“愛”という可憐な真珠を贈ってくれたといっていい。それともSFのなかに“愛”という一ジャンルを開拓したというべきだろうか……いずれにせよ、その功績の大きさにははかり知れないものがある」
そう、この作品はまさにSFというジャンルに贈られた真珠のようなもの。
真珠のように宝石は地下だけでなく深海にもあるということを、SFというジャンルにおいても愛を語れるということを、この作品はその静かな輝きで教えてくれるのですから
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