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発想とは、つまりこういうことなのだろう ~星新一著「できそこない博物館」のこと

星先生はかなり困っていました。

それもそのはず。雑誌の連載を二つ返事で引き受けたものの、いざ何か書こうと思ってもまったく思い浮かばないのです。

締め切りは迫っている。しかし何も思い浮かばない。さて、どうしたものか。

その時、先生はふとひらめいたのでした。

そうだ! つくりかけの、できそこないの物語があったはずだ!!

星先生は早速引き出しにたまっていたそれらの物語を取り出します。そうです。これを使えば、最初から考える必要はないのです!

ところが、現実はそんなにうまくはいきません。なんといってもそれらはかつて中絶した物語。時間をおいて改めて考えても、やっぱりそれはできそこないの物語でしかないのです。

考えが立ち止ってしまったところで「ここからどうすればよいのだろう」と考えなければいけないのに、考えてしまうのは「なんでここから書けなくなったんだろう」ということばかり。

やっぱりだめか……、そう思って仕方なく出版社に詫びの電話を入れようかとした時、星先生はもう一度ひらめいたのでした!

そうだ!! このまま使えばいいんだ!

そして星先生、ついに書き始めたのです。

この途中で挫折した物語はそのままに。そのあとに、なぜここで挫折したかということを書く。

そうすれば、ね、これで一つのまともなエッセイになるでしょう? 書きたいことが生まれたでしょう?

そういうわけで、できそこないの物語たちはできそこないのまま、ちゃんとした作品へと生まれ変わったのでした。

と、いうことが現実にあったのかどうかは知りませんが、多分そういうことだったと思うのですね。そしてそれは、いかにも星さんらしいと思うのです。

できそこないの物語を再利用しようか、というのは凡人でも思いつきます。大抵そういうのは失敗するものですよね。

でもそこからさらにひらめいて、これをそのまま使ってエッセイにしちゃえばいいじゃん! ということを思いつけるのが、星新一という人のすごいところ。

むしろこういう発想ができるからこその、あの作品たちなんですね。

そう考えたらこの本こそが、実はもっとも星新一らしい本なのかもしれません。

しかもこの本、読んでいると本当に書いていて楽しかったんだろうなあということが伝わってきます。

そりゃそうですね。小説でも仕事でも、「あんなことがやりたいね」「こんなのはどうだろう?」と言っている時が一番楽しいのですから。(そういうのがないのにどうしても何か出さなきゃいけないときはただただ苦しいだけですが)

そういうことで、出版社も大喜び、書いていて楽しいから作者も大喜び、星さんの創作の裏話が聞けるので読者も大喜び、という一石二鳥ならぬ一石三鳥の作品が誕生することとなったのでした。

すごいなあ、星新一。


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