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友よ、答えは風に吹かれている。~エリ・ヴィーゼル著「夜」のこと

「私たちはいつからこうして凍てついた風のなかに立っているのか。一時間か。ただの一時間か。六十分なのか。
 きっと夢なのだ。」

第二次世界大戦のさなかに行われたユダヤ人迫害、そしてホロコースト。その波は少年の住むトランシルヴァニアの小さな村にも訪れました。

村に住むユダヤ人たちは皆、きな臭い雰囲気を感じていたけれども、まさか本当にこんなことが起こるとは思っていなかったのでした。

家や財産を奪われてゲットーに押し込められた時も、黄色い星の紋章をつけることを義務付けられた時も、家畜用の貨物列車に押し込められて収容所へ送られるときも。

ユダヤ人の多くは信じていませんでした。まさか彼らが本気でユダヤ人全員を根絶やしにしようと考えていたなんて。そんな非人間的な行為が、実際に行われようとしているなんて。

信仰深かった少年は収容所の過酷な状況の中で、神を呪うのです。まるで旧約聖書の「ヨブ記」のように。

少年は少しずつ人間らしさを失っていきます。

「私は石と化したようになっていた。いったい、私にはなにごとが生じていたのか。目のまえで父が殴られたところなのに、私は眉ひとつ動かさなかった。目にしたのに、黙っていたのだ。昨日だったら、この犯罪人の肉に爪をたてたであろうに」
「父は棍棒で殴られても感じなかった。私なのだ、感じたのは。それでいて、私は反応を見せなかった。親衛隊員が父を叩いているのに、私は放っておいた。老いた父がひとりで臨死の苦悶にとり憑かれているのに、私は放っておいた。もっとひどい。私は父に向かって腹を立てていた。騒々しくし、涙を流し、自分から叩かれるようなことをしていたからである……」

この過酷な状況の中で、収容された多くの囚人たちと同じように、少年は「神」を殺し、そして自分の「魂」をも殺してしまったのでした。

人が人である理由を。その尊厳や、その希望や、その愛を。


僕たちはこの問題に関しては第三者だけれど、そういうつもりでこの問題に接することはできません。

誰もが当時のドイツ人にもユダヤ人にもなりえます。これは彼らだけの問題ではなく人間としての、人間が作り出す社会そのものの問題です。

ハンナ・アーレントは多くのユダヤ人を収容所に送ったアイヒマンを「陳腐で凡庸な悪」と呼びました。それはきっと正しい。彼らは悪を犯そうとしたのではなく、ただ事務的に、自らの義務を果たしただけなのですから。

忘れてはいけない。「彼ら」が僕たちを動かそうとするとき、「彼ら」は決して僕たちに「正義」「理性」について尋ねてくれたりはしないことを。

僕たちはいつも過去を振り返るとき、こう思ってしまうのです。あのとき、何か別の方法があったんじゃないか。別の選択肢を選ぶこともできたんじゃないかって。

だけど、「彼ら」が何かを実行しようとするとき、そのためのレールはすでに敷かれているものなのです。そして「彼ら」はただ一言、こう言うだけ。

「あなたたちの義務を果たせ」と。

そこには選択肢などないのです。だから僕たちは何も考えず、ただ事務的に、恐らくは「正義のため」に、「理性的な」行動として、自らの義務を果たそうとする。

そうしてじっくりと考える暇すら与えられない。たとえそれが、自分が貨物列車に載せられるか、あるいは誰かを貨物列車に載せることになるとしても。

そしてそのレールの向かう先が、ホロコーストであったとしても。


当時のドイツ人たちは決して狂ってなどいませんでした。悪をなそうとしていたのでもなかったでしょう。彼らはドイツ人として自らの信ずる「正義」のために(そしてそれがゆえに「理性的に」)、事務的な行為として虐殺を行ったのです。

それはきっと、当時の日本人たちだって同じ。

悲劇が行われようとしているその時、もうそれを止めることなどできません。だからその前に、何が「彼ら」の敷いているレールなのかをちゃんと見極めないといけない。

同じ悲劇を二度と繰り返さないためには。


戦争が終わり、収容所から解放された時、少年は鏡を見ます。

そこに映っていた自分の姿、それを彼は「死体」と呼ぶのでした。

「明けない夜はない」と言うけれど、決して明けない夜もあるのかもしれません。

そんな夜の闇の中にいる人に、誰も、どのような物事も、太陽にはなりえない、そうかもしれない。

そういう人たちに対して、あるいはそういう事実を前にして、僕たちができることはきっと、太陽になろうとすることではないのでしょう。

そんなことは決してできない。

僕たちができる唯一のこと、それはただ側にいて、同じ闇を少しでも分かち合おうとする、そういう“友”であることだけなのだと思うのです。

そんなことを考えていたら、ふと頭に浮かんだのがボブ・ディランの曲だったのでした。

もしも許されるなら、彼らの“友”として、この曲を共に歌いたい。

それがこの本を読んだ僕の感想であり、希いです。

How many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind

一体どれだけの人を殺したら
人はその行為の意味を知るのだろう。
友よ、その答えは風に吹かれているんだ。
答えは風のなかにある。たとえその手に掴むことができないとしても。  


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