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男が好きで、男が嫌いで。 #1

前に一度だけ、このタイトルと同じ駄文をnoteに投稿したことがある。その時はなんとなく響きがいいなあと思いつけたこのタイトルだが、見返して見ると、我ながらスルメワードを思いついたなと思い、改めてこのタイトルで何か書いていこうと思った。

僕は、私は、自分はゲイで、男のことを恋愛対象もとい性的対象としているアラサーだ。しかし、この生きてきた31年間、生き物としての「男」がすごく好きだったかと言われれば、微妙かも…… と顔をしかめてしまう。

だって、見栄は張るし、そのくせ繊細な奴ら(俺ら)、プライドは一人前で、語彙が少ない。反対に語彙の多い男は、それはそれで面倒くさいし。(彼らの)正義の名のもとに生きすぎてる。しかもそういうのを全部押し付けてこようとするのだ。押し付けてこないで! そういうの! よそでやってくれ!! と叫ばずにはいられなくなる。

ー”男たち”との付き合い方

学生時代から男の子達のことを恋愛対象として見てきたかと言われれば、そんなことはなく、それとなくいい感じの距離感で彼らとは付き合って生きてきた。(いつどのタイミングでゲイを自認したのかは、長くなるので別の機会に。)

学生時代、陽キャか陰キャかどちらか? と聞かれるとこれまた困ってしまうのだが、どのグループにも満遍なく友人はいて、どのグループにも強く根付くことなく渡り鳥の要領で各グループを転々としていた。小学6年生の修学旅行の班決めでは、全男子グループからお誘いがあり、モテてモテて困っちゃう状態を経験しているほど、友情ビッチな少年時代だった。

しかし、求められているのは常に異質なゲストとしての凌くんだった。決してクラスのど真ん中のお調子者ではなく、スカしてて、大人びていて、人とは違うことを言うツッコミ担当。それに加わえてお節介で、面倒見のいい、おばさんとしての立ち居振る舞いを隠れ蓑に、早すぎる厨二病を煙たがられることなく処世していた。(それは恐らく今も続けている処世術だ)

そうなると、陽とも陰とも、海のモノとも山のモノともつかない、彼らからしたら”異形の何か”としてクラスに存在していたと思う。

なので、いわゆる男子ノリ全開で学生時代を過ごしてきたわけではなく、あくまで「対男の子たちと自分」という構図を明確にしながら色々なグループをはしごしてきたわけである。

ー集団になった男が怖い

話は変わるが、私の地元は東京でも治安の悪いとされているところであり、先ほど話した「男子ノリ」という武器は、持っていないと死んでしまうようなところで育った。(そんなのどこも一緒だろうけど)

その呪いは31歳になっても染み付いていて、いまだに若い男の子の集団を見るのは怖い。コンビニや駅前でたむろしている彼らや、スーパー銭湯でどやどやと集団で入って来られると正直いまだに身構える。

冷静に見たら、体のでかい髭面の男の方が社会的には怖がられるのはわかっているのだけど、男子ノリという武器を持たずに戦場をやり過ごした過去の自分が身構えるのだ。反射的に、この場をどうやり過ごそうかという脳の回路がフル回転してしまうんだと思う。一瞬のことなのに、妙に疲れる。

これ、まさかの新宿2丁目にいても同じことが起きる。

クラブやゲイバーで、大盛り上がりしている「男だけのグループ」を見ると急に冷静になってしまう。どんな奴らなのか分析しようと、スカしてしまう。だって怖いんだもん、集団の男って。

セクシャリティが一緒なのになぜ? 新宿で遊ぶようになってからも、この反射神経がビンビンに働くことに驚き、そして思った。

あれ? もしかして、自分ゲイだけど男のことが嫌いかも? 

いや、てか待って。男のことが嫌いって、自分のことも嫌いなの?

どっかーん。30年生きてきて、今更こんなことに気付かなくてよかったよ! 
いやでも、トランスジェンダーとかではない。今更ノンケに戻れるか? いやいや、どうしようもなく男に勃起してしまう。

この複雑さ、どこまで言語化できるのか徹底的にやってみよう。他人の分析と言語化はこれまでの処世術で身についているはず。それに、もしかしたら同じ気持ちの同志が見つかるかもしれない。

男が好きで、男が嫌いな理由。これという答えが見つかるまで、自分を含めた色々な男の子たちの話を書き連ねてみようと思う。

そう、心に決めてはじめてみましたこのnote、ちまちま更新していきますので、長い目で見守ってくれたらこれ幸いです。


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