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20代母、頭の中の整理

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最近の記事

母の日

昨日の母の日、娘から初めてのカーネーションを貰いました。 私の父が母へカーネーションを買いに行ったついでに買ったものを 持たせて渡してくれました。 人生で初めてもらったお花、娘が初めてくれたお花 母はいつも母の日は お花だけで充分だから と言ってました その気持ちが分かった気がします お花をもらうって嬉しいですね。 話が変わりますが今旦那とは別居中。 去年、母の容態が悪化してきた辺りから実家に帰ってきて そのまま帰ってないのですが 義母達と同居している家、

    • 火葬

      母の希望により葬式はあげていない コロナ禍なので火葬も数人のみ 初めての事ばかりでよく分からなかったが 出来れば今後こういうことは経験したくないと思った。 棺桶にはいつも被っていた帽子を入れた 写真を探してる時に出てきた私が母へ書いた手紙も入れた 母が歩く時に使う杖、着ていた部屋着や洋服 いまだに処分することも出来ず置いてある もう母に会えないのか、 あと数年もしたら父はこの家から引っ越すのか 何も残らなくなってしまうな そう思った。 私は親の死に目に

      • 病気

        最初は癌だけを患っていた母、 見つかった時にはほぼ全身に転移していたので手術は出来ず 抗がん剤などで抑えていくというものだったが 喉に炎症みたいな症状が出てそのまま治らなかったり 肺に穴が空いたりなど亡くなる日に近づくにつれ弱っていく母を見て もう本当に長くないんだな と心の中で思ってた。 今だからこそ冷静に書けているが 亡くなる前、亡くなった後は書くという気も起きなかった。 いつかこの出来事をnoteに残そうと決めていたけど ちゃんと書けているか不安。

        • 性格

          私と母は性格が合わなかった 父とは物の考え方などが似ていたが 毋とはずっと合わなかった。 度々喧嘩することもあった、 言い合っても理解出来なかったりもするので 喋らなくなった期間もあった。 実家を何度も出ようと思ったが心のどこかで 母がいつ倒れるか分からない と思っていたので結婚が決まるまでは実家を出なかった。 その結婚のことでも母に心配をかけたし出産した時も 入院してる間毎日来てくれたりと 今思えばあんなに何かしてくれたのはあれが最後だったなと思った。

          闘うということ

          母は自分が辛くても意地でも家事をこなす人だった。 ずっと何故だろうって思ってたけど今私は子育て中の母、 今だから母の気持ちがわかる。 自分の中でタイムスケジュールを組んで家族が過ごしやすいようにと 家事やいろんなことをしてくれていた 私は最後まで甘えてたなぁ 病状が悪化してから入退院を繰り返して家でもほぼ寝たきりで 喉がダメになってしまい喋ることもあまり出来なかった母。 最後の数ヶ月はあまりご飯も食べられず最後病院で亡くなった時は 骨に皮がくっついてるような

          闘うということ

          闘病

          約5年ほど通院で闘病、その内1年で病状悪化。 結婚し出産をして家を離れていた私にすぐに帰ってこいと父から言われ 幼い子供を連れて実家に帰りました。 元々余命数ヶ月と言われていた母、 その時点で闘病を始めて4年 今までやっていた治療が効かなくなってきていて母の容態も悪化 入退院を繰り返すようになりました。 その時に担当医の方と話をして もう長くない と言われ覚悟しました。 家事の出来ない父一人では不安ということで しばらく夫と離れ別居生活。 セカンドオピ

          発覚

          確か21ぐらいの時、母の病気が見つかった 癌だった。 見つかった時にはもう末期で手術もできない状態 母は何年も前から気付いていたそう、でもずっと病院へは行かず ついに仕事中に倒れ病院へ行き家族に報告という形に。 それを聞いた時なんで、とも思った けどお母さんはそういう人だ、とも思った。 あの時もあの時も癌だったんだ なんで気付かなかったんだろう 今になってはとても後悔してる 発覚してからは抗がん剤治療をしたりホルモン剤を打ったり いろんなその時に合った治

          2020年12月、母が亡くなりました。 この事がきっかけでnoteに記憶を残そうと思い始めました 2019年に出産し育児に追われてる中での母の死、 頭の中の整理も兼ねてこれから書いて行きます。