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ハンドル・ネーム(1)

ハンドル・ネーム、悠季(ゆうき)。

確か、この名前を初めて知ったのは、年末の慌ただしさが街に感じ始められた12月上旬のことだったと思う。
休日の午前中、自宅マンションの一室にあるノート・パソコンに向かい、始めてまだ間もないブログを更新した後、特にこれといったあてもなく新着ブログのページを行き当たりばったりに訪れていた時、偶然クリックしたブログの管理人の名前だった。
(男? それとも女? ちょっと変わった名前だな……)
いつもなら、よほど興味のある記事でもない限り、ものの数秒でページを閉じ、すぐ他へ移っていくのが常だったのが、この日はなぜかこのハンドル・ネームが妙に引っ掛かり、ブログの記事を読み進む。
 
AUTHOR: 悠季
DATE: 12/05/2009 10:20
 
―作家志望の17才です。
 小説はまだ書き始めたばかりですが……
―毎日、少しずつ書いてます。
 
そんなくだりが目に留まる。
(作家志望か、自分と同じじゃないか……)
そう、自分がブログを始めた理由も、若い頃、夢見ていた作家になる、つまり、小説を書き始めるために何かしらの「弾み」にしたい、そう考えたのがきっかけだった。
学生時代、作家という職業に漠然とした憧れを抱いていたものの、その程度で夢が実現するはずもなく、周囲に流されるまま、ごく普通に大学に行き、ごく普通に就職し、気がつけば、既に20年近くの歳月が過ぎようとしていた。
人並みに妻や子供といった係累と、25年返済の住宅ローンを抱え、平日は自宅と会社との往復、そして、休日は家族とクルマで近くのショッピング・モールに出かけるという、平凡だけれど、かといって取り立てて不満もない、それなりに幸せな生活だ。
しかし、そういった毎日の中にも、そう、それは、ほんのごく瞬間的なのだけれど、ああ、やっぱり、夢は夢でしかなかったのか……、そんな想いがふとこみ上げてきて、どうしようもなく切なくなることがあった。
 
そんなある日、夜、ベッドに入って妙に寝付けないでいると、ふと閃いた。
(おい、待てよ……。作家になるには、べつに試験のようなものがあるわけでもないし、特別、資格とかも要らない。ただ、小説を書こうという意志があって、自分は作家だと思い込んだらそれでいいんじゃないか?)
数日後、自分にしては珍しく早い決断でブログを開設し、ある日、突然「作家」になろうと決めた自分の想い、そして、日々のこと、世の中のことなどについて、とりあえず思いつくまま書いていくことにした。こんなことで本当に小説を書けるようになるのか、それは自分にもまったく見当がつかなかったが、プロと違って締切があるわけでもなし、まあ、とりあえずやってみよう的な、軽い気持ちで気分だけの「作家生活」をスタートさせたのだった。
もちろんこれは、妻には内緒だった。
 
そんな時、偶然出会ったのが悠季のブログだった。
そのタイトルは、「半永久的に、ひとりごと。」というもので、街を行き交う人々が寒さに首をすくめる季節だというのに、背景にはなぜかビーチ・パラソルの花がたくさん開いた夏の海岸の風景が使われていて、まあこれが管理人の絶妙なセンスなのか、それとも単に鈍感さに由来するものかはわからなかったが、いずれにしても、その違和感が何とも可笑しく感じられた。
(とりあえず、お気に入りにでもしておくか……)
ほんの軽い気持ちで「お気に入り」ボタンをクリックした自分は、その日、また他のページへと移っていった。 

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