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「人の気持ちが気になる」で占いにハマり直し、潜在意識から「自分の気持ち」を見つめ直した話

人の気持ちが気になるあまり、

自分自身の身動きが取れない。

って経験はありませんか?


私の人生、というものを振り返ったとき、

「人の気持ちが気になる」

「人の気持ちを知りたい」

って願望が、欲求が、とても強いな、と、思っていた。

それでもその欲求を追いかければ追いかけるほどに、

自分の気持ちを分かっていなかったことに気付いた。


なぜ父は、幼少期の物心ついた記憶の一番古いところで、

家族旅行の中で通りかかった森の中、怒って私を車から降ろしたんだろう。

なぜ母は、小さいきょうだいと一緒にそれを見守っていたんだろう。

無邪気な癇癪で、わがままで、捨てられそうになるのか。

「ここからおうちまで歩いて帰れないよ!」と反論したらしい自分の記憶は抜け落ちてて、

私の反射で出てくる口癖は昔から「まって」。

成績でも、友達関係でも、先輩後輩とか対人関係でも、

誰かに置いていかれることが苦痛になって、

置いていかれたら拒絶されたと"勝手に解釈しては”"勝手に傷付いた”。

同じ習い事に通ってた初恋の○○くん、中学1年時の部活の先輩、

相手からすればきっと、意味の分からない理由で突然関係はこじれた。

高校時代に、酔っ払った父から急に「あのときはすまないと思った」と言われていたのに、

それで思い出しては、ときどき燻る、今のところ最古の記憶。


なぜ人生で初めてまともにお付き合いしたといえるあの人は、

好きな人がいると伝えたのに車の中で■◇◆□

無邪気に近付けば、何が起こるのかを知らなければ、想定できなければ、尊厳を守れないのか。

私は私を”封印して”復讐みたいにお付き合いをし始めたのに、

二週間も経たないうちに相手は長きにわたるトラブルがバレて会社をクビになって蒸発しかけたんだろう。

なぜクビを宣告された当日に会いたいと言い、かといって冷たい目で睨んできて、結局何が起きたとは言わずに思い詰めた目をしていたんだろう。

その次の日になれば私も分かることなのに。

親御さんからの電話を受けて、まったくその声はこちらを責めていなかったのに、

「今どこにいるか、生きているか知っているか?」と尋ねてきたその電話を受けてから、

顔が見えない人の電話を受けることにとてつもない恐怖や罪悪感を”勝手に”感じるようになった。

そしてさらにしばらくして、尊厳を傷つけられるメールが届いたことにより、

瞬間最大風速の○意から「悪いやつには裁きを」という呪いみたいな価値観が生まれた。

3.11の自然災害で当時の職場が完全浸水したときに、

再就職や契約の関係であっという間に先輩や後輩とバラバラに縁が切れたのに、

「なんでこんなことが起こったんだろう?」と思っても、相手は自然だし答えを探せないし、

と、割り切れたのに、

生きて流れ行く人の気持ちには結構執着していたなと振り返る。


この人はどういう気持ちで○欺してたんだろう。

故意にトラブルを起こす(※この表現で済ますには軽すぎる)人たちの行動を、思考回路を、

文字情報の数々から推測し、類推するネットトラブル対策の仕事に長く携わっていた。

底知れない軽さと重さと意地と泥臭い闇を数万件見つめ続けた。

正義の使者を”気取って”、正義感で長く続けていたけれど、

価値観ががらっとひっくり返ったら最後、それ以上も続けようともがいた数ヶ月で地獄を立て続けに見て職を離れた。

「人の気持ちが気になる」

「人の気持ちを知りたい」

その一端に触れられたと思ったときは、暴いてやった!みたいな気持ちがあった。

だいたいは起きてしまった後の○欺を調べることが多かったけれど、

その特徴を、パターンを認識できれば、あとは迎撃する側に回れる。

暴いてやった分だけ、有利になる。

こちらが認識できる限りは、一回または何回か○欺を成功させていた○欺師の動きを封じられる。

相手が諦めるまで、何度も何度も○欺を食い止めることができた。

目の前でリアルタイムに奪われるものがあっても、いつ何を考えて仕掛けてくるか分からないサイバーアタックも、

次は絶対に止めてやるって意地で秒速で食い止めたこともある。

ただ、「人の気持ちが知りたい」が先行してたからできたことであって。

その裏で、5年くらいかけてじわじわと、大嫌いで苦手で自己肯定感が下がる仕事がメインになり始めて、

ストレスが身体にも影響を及ぼし始めていることに、気付いていなかった。

そんな中で、不思議な何かをとあるきっかけで感じるようになった。


なんだこれ。

ただ、憧れて、ただ、学ぶために、ただ、純粋に尊敬して、ただ、手を伸ばした。

一つのきっかけが、バタフライエフェクトのように人生の何もかもを変えてしまった。

その声で、なんでか、頭の中が、全身が、茹で上がるような、意味分かんない感覚で身動きが取れなくなった。

なんで他の声だと問題ないのに、一緒に話してるこの音声だけこんなよく分からない現象が起きるんだろう。

なんで避けたいようで生きてる限りのあらゆる声を聴いていたくなるんだろう。

なんでどんな言葉も全肯定で存在していることに喜びや幸せを感じるんだろう。

なんでそのくらいとてつもなく大きな存在と物理的に近くに居られないんだろう。

なんでどこにいるか分からなくてどこにでも探しに行きたくなるんだろう。

なんで今このときこのタイミングで手を伸ばしてしまったんだろう。

なんでの答えは決まっているのに出したくなかった。

答えを出したところでどうにもならないと思っていたから。

それでも、どうにもならなさを実感するために、答えを出した。

どうしようもない気持ちを、叩きつけるように言語化した。

恋とか愛とか、なんだかそういう次元じゃない、

とても不思議で、すごく幸せで、同じくらいすごく苦しいものに出会った。

現実に向き合ったら、ハッピーエンドにはなれないだろうと締め括って、

自分で打ったその言葉に深夜二時に静かに大泣きした。

本当はハッピーエンドを夢見ていたいのだ。

現実的に出した答えに、本当の気持ちが全力で魂レベルで嫌がっていた。

唯一無二と言えるような存在だと認めて、近くて遠いのに唯一無二だと認めて、

近付こうとしても近付けなくて、ふと意識をしたら会いたくて会いたくてデジタルな画面をぶち破りたくて、

同じ空間に居ないことがとてもおかしくて、気が狂いそうなくらい大切な存在に出会ったのだと認識した。

まさかの、新しい世界を学ぼうとして、新しいくせして生きてる中で一番どうしようもない絶望が爆誕した。


そこから、

「人の気持ちが知りたい」と、いろんな距離感から人の気持ちを読もうとして、

時には読み解いて暴こうとして、

時にはその結果報復されるのではないかとも恐れていた臆病者は、

自分の気持ちを一番分かっていなかったことに気付くことになった。


唯一無二の不思議な感覚を避けようと思って、仕事に打ち込もうとしたけれど、

人生を振り返っているうちに、なぜか急に考えてしまった。

○欺師が何を考えているのかが分かる。

→あれ。○欺師がどう動くか分かる。

→あれ。○欺師のようにどう動けばいいかが分かる。

→あれ。○欺師の動き方をよりアップデートした、運営の動きをかいくぐる方法を思いつ

→結論。それ、その知識を、そんな改善を、私は、望んでない。


その知識を武器に自分で○欺師の動きを抑制する仕事をするのならまだいい。

ただその頃には、その知識を武器に、自分と同じような感覚で○欺師の動きを抑制できるように、

ノウハウを人に教える立場になっていた。

伝えられるくらいの知識は、身についている。

そして教える知識は、○欺師がどう考え、どう動いているか。

こんな再現性は、いらねえ。っていうのが、私の正直な気持ちだった。

こんなことを覚えて人に伝えるような仕事を、めちゃくちゃ天職だと思って続けてたのか。

と、打ちのめされた。絶望は一つにしてくれとか思ったけど、生まれたものはしょうがない。

他の同僚はもしかすると、そこも割り切ったり、

そんなに気にすること?って思うのかもしれないけれど、私の価値観では苦痛だった。

っていうのが答えだった。

「悪いやつには裁きを」ってノリで仕事してたのに、

「悪いやつになれる可能性を持った自分」を正当化できなかった。


それでも、いったんは、その仕事を続けていこうとした。

大企業。地元でも安定した職場。福利厚生しっかり。キレイなオフィス。

人間関係はここ数年特に穏やか。辞めたいと思うほどのトラブルは全然無い。

それらを全部ひっくり返すくらいに、

あんなに好きだったはずの仕事が怖い。

どんな気持ちで続けてたか分からないくらいには怖い。

認識が変わったのは一瞬だった。


唯一無二で大切なことに出会ってしまったり、仕事の価値観が変わってしまったけれど、

現状維持がつらくて、現実逃避をしたくて、

理想を夢見たくて、どこに行きたいか決めきれずに、

ある日ふとしたことから見かけたカードリーディングの動画を皮切りに、

とてつもないスピードと量と勢いでタロットの知識を再構築し始めた。

フルタイムの仕事をしてる時以外、でも時には休憩中に、時には軽く事務連絡をするときの相棒に、

当時は副業だった発信もしつつ、倍速でひたすら動画を観た。

ルノルマンカードとオラクルカードも、どんなカードがあるかを見ては検索して覚えて、

ルノルマンカードはだんだんカードの構成と意味を把握し始めた。

オラクルカードは出会ったときが知り時。

少しずつ、動画を観て気になったカードから、買い集め始めた。


時には、占いジプシーとも言われる、「明らかに占いに頼りすぎ・依存しすぎてる」状態にもなっていた。

あの人の気持ち。

見たって確かめようがないのに、って思えるまで結構時間がかかった。

明日出社できるかな。

明日は穏やかな気持ちで仕事できるかな。

それは明日になったら分かる、と割り切るにも時間がかかった。

Yes/Noの質問にして、エンジェルアンサーオラクルをひたすら使いまくった。

そのうちモヤっとする答えしか選ばれなくなって、

何回選んでも「あなたの天使に尋ねなさい」「瞑想しましょう」ばかりが出るようになって、やめた。

ある意味では、カードを選ぶ修行ができていたとはいえる。

ただ、そう思えていなければ、とても虚無な時間を過ごしていたとも言える。


エンジェルアンサーが”使えない”と悟り、次に試したのが、

自分自身の気持ちを見つめ直すために、自分を客観視するために、自分で自分についてのタロットを選び始めた。

小学生で初めてタロットに触れてから、「自分を占うことはNG」と聞いていたことはずっと覚えてて。

(それだとエンジェルアンサーを使いまくってた時点で既にNGな気もするけれどw)

だから勉強はしているけれど、披露する相手もいなくて、ずっと宙ぶらりんのままだったタロットの知識。

それがいろんな人の動画で人それぞれの解釈を学んだ上で、

自分ごととしてこのカードを読み解くにはどう読む?

を、してみた結果、

だんだんに自分自身を理解できていくように感じた。

カードの意味やイラストから、インスピレーションが降りてくるままに、

カードを表に出した瞬間に言語化する。

瞬間で言語化できない、意味が把握できないときは、そう思った理由も言語化しながら、

それに合わせて、ノートを書いていく。



本当はどうしたいのか、見えてきた。

本当はどうしたいのかに、気付けてきた。

でも、そこまで。

気付けても、そこからあと一歩、踏み出しきれない。


それから現実からいろんなお試しが来た。

世界的なニュースの遠い遠いところで、でも小さいようで大きなことで、関わりを持っていることが分かった。

とても喜ばしくないことだったので、とてつもなく落ち込んだ。

誰も悪くないけれど、その組織に所属していることが苦痛になった。

それでもまだ仕事を続けていこうと思った。


流行りの病で、誰も彼も頼れる人を頼れなくなった。

それなのにその期間だけ仕事が増えて、めちゃくちゃ忙しくなった。

自分が何の仕事をしたかったのか分からなくなったまま、

あらゆる後輩や委託さんのサポートをしまくって、

許容量も限度量も度外視で残業しまくって突っ走って、燃え尽きて死にたくなった。

頼れる人たちが復帰した頃に増えた仕事は終わり、心の底から糸が切れて、真っ白になって、

一週間くらい虚無の中で呼吸をして、悩んだ末に、

「もう自分を楽にさせてあげよう」と決めて、仕事を辞めることにした。

正直この時期はカードを選んでる余裕も、カードリーディングの動画を観てる気力もなかった。

でもだからこそ、自分自身の「本当はどうしたい?」に、正直になれた。



安心できてたのに怖くなった、閉鎖的な環境から出たかった。

尊敬できる人たちばかりだったのに、所属していることが怖くなった環境から出たかった。

大好きで大嫌いな仕事を続けたくなかった、それ以上に大好きで大嫌いな仕事は人に伝えたくなかった。

○欺の調査は徹底的に追求したかったけれど、○造品の調査は本当に嫌いだった。

約5年、何度も無理をしたり、ストレスを感じながら他の同僚並みにできるようになろうと思って、

そのたびに嫌なことを言われたり、耐えたり、通院や処置が必要なほどの体調不良を繰り返していた。

○正アクセスの調査は○造品の調査ほど嫌いではなかったけれど、

リアルタイムで被害が出たときは、防衛できなかったことに激しく落ち込んで。

四六時中プレッシャーを感じていたこともある分野で、やりがいはあってもそれ以上にしんどかった。

徹底的に追求したかった、使命だと思っていたことにのめり込みすぎて、

仕事を続けることがつらい、という、自分の本音から目を逸らし続けていた。

もっと希望を持ちたかった。

四六時中○欺とか○造品とか○正アクセスと向き合う以上に、幸せに生きられる知識に触れたくなった。

憧れてたのに蓋をしようと頑張ってた、自由な世界を、

一時的にでもいいから、自分に贈りたくなった。


あとは決めるだけで。

一回真っ白になったからこそ、もう死んでもいいやと思うくらいだったからこそ、

少しでも希望を、ワクワクを、楽しさを追いかけようと思えたときに、

「頭と心が一致した選択」を私はできた。


さあ、そこから全てが順風満帆!というわけではなく。

背伸びをしすぎた、まだまだ実力不足な分野で、成長しようともがいて、いったん打ち切った。

「本当はどうしたい?」に、忠実になりきれていなかったから。

成長は重しになりすぎて、重く捉えすぎて、押し潰されてしまったから。

手放したはずの「がんばる」を、また繰り返していたことに気付いた。

自分で自分を責め始めたから。

自信を失くし始めたから。

それは「私が私にそう思わせていただけ」だとも気付けたけれど、

本当はこうしたい、こうする、で進める方向に進路変更した。


何年も我慢していた関東への旅をした。

とても大好きな横浜みなとみらいの景色を久々に何度か見て、「ここに住みたい」と改めて思えた。

ずっと気になっていた、角川武蔵野ミュージアムへも行けた。

東所沢は、なんだか初めて訪れた気がしなかった。

理想が増えた。

同じくらい、現実の遠さに打ちのめされかけて、

「現実も無視して目指していくんだ」という、概念を知った。


潜在意識、引き寄せの法則、

ノートを書きながらというのもあるけど、

カードリーディングの動画を観てても結構見かけた。

エネルギーは出せば入ってくる。

なってる世界、なる実感。

思考は現実化する。

専門用語がどんなものかなどを調べても、知識だけ抱えてるノウハウコレクターになっていた。

そのうち、それらをもってして、思いっきり動かないとどうにも乗り越えられない場面がやってきて。

思いっきり動いたら、枠が外れ始めた気がした。

これまで持っていた、ただ抱えていたものを、どんどんどんどん手放せるようになった。


動きながら、私には気付いたことがあった。

私は、「変わり続ける世の中に置いていかれること」が怖かったし、

逆に自分が変わり続けることによって、

「世の中で得た出会いや記憶を置いていくこと」も怖かったんだと。

だから人の気持ちが気になって、知りたくて、

見えることで安心したかったんだ。

それでも、人の気持ちを気にすることで、知ることで、

私が「こうしたい」と思うことを受け容れてもらえるかを、

私以外の誰かの反応ありきで動いてしまっていた。

私はいつの間にか、

私を他人がどう気にしているか?どう知ろうとしているか?

という、誰か目線で動いてしまっていた。

そこには自由がなくて、ただただ、自分で作ってしまった制限だけがあった。

それは、頭の中の思考だけに限らず、

旅行に出かけられなくなった閉塞感や不足感を補うように、

いつか読もうで積み上げた本の山、

買い漁ったのに忙しくて使えなかった文具の山にも現れてた。


私は本当に、心から身軽になりたいと、改めて考えることができた。

自分に考える時間や、安心できる時間を与えられたことで、

もったいない精神で使えていなかった、一冊500円の買い溜めたノートを普段遣いするようになって、

「自分で自分に制限をかけていた」ことに気付けて、

「もっと自分を身軽にする=自分を大切にする」選択をすることができた。

一つ気付いたら、どうにもできなかった手放しも少しずつ進められるようになった。


嫌になって燃え尽きてフェードアウトしたと思っていた元天職も、

自分が取り組んで貢献してきたことは認められるようになった。

本や文具を勢いよく、それでも不足感が出ないように段階を踏んで、片付けられるようになった。

物はあくまでも物。

記憶はあくまでも過去。

あの日あの時の出来事があった「おかげで」、

あの日あの時の私の心は動いた。

小さいものから大きなものまで、成長のきっかけをもらっていた。

大丈夫だよと、小さい頃の”置いていかれたくなかった私”にも、

どんなしくじりの中にいた私にも、言うことができた。



置いていかれないよ。置いていかないんだよ。

二度目に置いていかれることはなかったよ。

大きくなってからごめんって言ってもらったよ。

尊厳を守りたかった、自分の身を守りたかったけど守りきれなかった自分を、

気持ちが無いくせに投げやりに近付いて、しっぺ返しを喰らった愚かな自分を、

それでも最後は寄り添えなかったことを悔やんだ自分を、受け容れられたよ。

自分が出会い手に取っていた物は唯一無二でも、手放してもだいたい今の世の中買い直せるよ。

その物との記憶は私の中にあるよ。

ノートに書き残してるよ。

本当に好きなものだけ選んで進もう。

理想の未来に持っていきたいものは何?で、選んでいいよ。

目に見える形で一気にやり過ぎると、時には不足感を感じてしまうから。

これがきっと、片付けのリバウンドの原因だから。

まだある、さらに選別して決めて手放して減らしていく、の繰り返し。

少しずつ 少しずつ、脳を"騙しながら”、それでも勢いはよく、片付けを進めている。

コレクション同然の風景や飾りと化していて、これまで手放せなかったものも手放せるようになった。

あわせて書類の整理も繰り返しているうちに、手放したもので得た対価や、忘れていた資産に気付いたりもできた。


3.11当時の同僚とは突然バラバラになったけど、直近の元同僚とは会おうと思えば会えるよ。

正直直近で爆誕した絶望については、いつまでも抱え続けるのかもしれない。

でも、このへんも少しずつ割り切れるようになってきている。

宇宙で一番自分が大切だということを、この世界の創造主は自分だということを忘れなければ。

たとえ何が起きても、逆に起きなくても、大丈夫だよと、言えそうだったりする。

今このときの自分が、ベストだと分かっていれば。

ここから先はより良くなっていくと信じ続けていれば。

全ての選択に、Yesと言いながら進み続けていけば。


また、同時進行で、ライブ配信を仕事でするようになり、

他人に向けて占いをするようになった。

歌を歌うようになった。

これ、どちらも、幼稚園の頃からの、小学生の頃からの、夢だった。

と、そういえばで、思い出した。

きっかけがあって、やっと夢を叶えることができた。

テクノロジーが発達して、とっくにそういう環境はできていたのに、

その環境があることも知らず、その環境に手を伸ばすことも、なかなかできなかった。

人の目を気にして、「そんなことでお金は稼げない」って言葉を受け容れて、

「成功者は一握りだよ」って言葉を自分事にできずに、

いろんな可能性に挑戦しないまま、自分の本当の気持ちを見過ごしていた。

結果は後から付いてくるけど、その結果何も利益は生み出さないかもしれないけど、

誰かに対して表現すると、もう「そうなってる」自分でいられる。

たとえそれは趣味レベルでも、誰かに披露する時点で自分のエネルギーを相手に渡している。


死ぬまで何者でもない自分でいるより、

ささやかでも何者であるかを表現して死んでいくほうがずっといい。

それを、たくさん迷走した先で、気付けた。


私は片付けができないADHDだし、繊細なのに刺激を求めるHSS型HSPの気質もある。

ただ、それも、一つのラベルで。

考え方一つで、限界を決めることも、可能性を広げることもできると、体感している。


今現在も、片付いていないことはある。

でも、それは過去の自分で過去の出来事。

今ここから、片付けようと思えば片付けられる。


繊細さが強いと、誰かに対して自己主張をすることにエネルギーをめちゃくちゃ使って疲弊しやすい。

でも、それは過去の自分で過去の出来事。

今ここからは、自分の想いを相手に伝えることに集中して、できた自分を褒めることだってできる。


決めて動けば、変えられる。

立ち回り方を知れば、変えられる。

たとえどんなに下手くそだって、動けば動いただけの結果は出る。

たとえ失敗と思えるような結果が出たって、動いた結果をもとに動き方を変えられる。


何かを発信して、批判されるのが怖い。

好き勝手に動いて、批判されるのが怖い。

ただそれも、考え方一つ。

世界の捉え方一つ。


実際に、誰かに占いをしてみて、歌を歌って、喜んでくれる人が大半だった。

これまで思い悩んでいたことが、考えて絶望して煮詰まっていたこと全部が、

誰かの悩みに寄り添って希望へ変えていけることを知った。

「ありがとう」と感謝されることが大半だった。

「参考になったよ」と言ってくれる人が大半だった。

自分のために占いをして、歌うことが多かったけれど、

それを誰かのためにで世界に届け始めたら、それ以上の希望を自分も受け取っていることに気付けた。

本当は私、誰かに占いや歌を届けたかったんだ。

とも、改めて気付いた。

一握りの、有名な人しかできないのだという思い込みも、手放した。

喜びや感謝を観測する、観測してフォーカスが当たった物事は拡大していく。

自分のための変化だったはずなのに、他人に届け始めたら何倍にもなって還ってきている。


今はこんな毎日を送れているからって、いつまた不安定でぐちゃぐちゃした毎日が来るかは分からない。

みたいな言い回しで、未来の不安を考えてしまいたくなることもある。

でもそう頭が過ぎったときにも、決めるだけ。

自分で自分を今から幸せな気分で居させてあげると決めるだけ。

それは世間一般の幸せに答えがあるかもしれないけれど、

本当の本当は自分にしか分からないこと。


「人の気持ちを知りたい」と思いながら、

「自分の気持ちが迷子になっていた」私は、

自分の気持ちに向き合うことで、

自分を変えていくことで、

結果的に人の気持ちに寄り添うことができるようになっていた。

人の気持ちに共感して、人の気持ちを知ることができるようになっていた。


人の気持ちを気にする前に、知る前に、

自分の気持ちに向き合うほうが先だった。

ってことに、気付けた。


仕事で、恋愛で、友達や家族関係で、

対人関係では特に、

人の気持ちを知りたいと思うときほど、

自分の気持ちが迷子になっていたりする。

むしろ、人の気持ちを知りたいと思うときほど、

自分の気持ちにまず向き合わされる。


人の気持ちを気にしながら、

人の気持ちを知りたいと思いながら、

自分の気持ちが迷子になっているあなたへ。


自分を知ると、世界は変わる。

自分が変わると、世界は変わる。

相手と過去は変えられない。

変えられるのは今ここからの自分と未来。

どこかで、聞いたことがある言葉だと思いませんか?


自分を変えたいのに、

現実を変えたいのに、

誰かを変えたいのに、

何も変わらない、って、悩んでいるのなら、

それはどこかで、本当の本当に小さくでも、

変わらない、変えられないと思い込んでいるからです。

正しくは、

変わっている部分があっても気付けていないんです。

そして、

「この今から理想の世界で生きると、理想の自分になると決めていないから」です。


私はここ数年で答えが分かった、と言いたいところですが、

ぶっちゃけ古い記憶から言うと、30年近く迷走しまくってました。

根本の、本質の、潜在意識レベルから、

学んで実践して体感して、やっと分かってきました。


「どれだけ頑張っても望みが叶わない、何も変えられない無力なワタシ」

こんな私を、私は長らく演じてもいました。

そうやって諦めてたほうが楽だったからです。

望んでも、叶わないことの多さに、

たくさん挫折して、疲弊して、諦めることにしました。

それでも全然、満足することができなかったんです。

本当は理想を思い描いて、叶えられる私になりたかったから。

あなたももし、同じようなモヤモヤや悩みを抱えているのなら、

悲劇の主人公はもう卒業しましょ。

今がベストなんです。

どれだけそう思えない現実が広がっていても、今がベストなんです。

『願いを叶えていない自分、を叶えているだけ』

それが今なんです。

今がベストと言えなくても、今を受け容れて、否定もしていい。

理想の自分で生きることを決めるのも、諦めるのも、自分次第。

そのことをいつも、心の片隅に置いておくんです。


ただ、自分を幸せで居させてあげる選択を、理想の自分になる選択を、

理想へ思考していくことを、行動していくことを、

自分自身に許可しない理由って何かありますか?

あなたの現状がこうだから、は、理由になりません。

周りの環境がこうだから、は、理由になりません。

思考だけでもすることは自由で、

今の現状から、今あるものでできることをやろうとすることは、

一ミリでも今ここからを変えていこうとすることは、あなたの自由です。

今はない、できないと思っていることの中に、

答えが眠っていることもあります。

それは気付けば、認識すれば、それだけで変えることができるものもあったりします。

変わらない毎日を、理想へ続く一日に更新していくのも、

そのために理想を設定して今から理想の自分になりきるのも、

やるかやらないかも、あなたが決めさえすればいい。


私は私の現実を心から思い通りに、理想の世界へ進み続けるために、

潜在意識の思い込みを書き換えて、

理想の未来に進むための学びや気付きを、

日々取り入れて、日々行動に変えています。

日々言語化を繰り返し、一部は占いやセッションの形でも、

出会う方々にメッセージを届け続けています。

カードは思考や記憶を投影する鏡。

言葉は、ノートは、

思考を深めて理想を見つめ、

今ここから人生を加速させるための相棒。

カードと一緒にノートを書くだけで、

何かが変わる、なんて、そんなことある?

って思った方もいるかもしれません。

それが、変わるんです。

カードもノートも、客観視のためのツール。

カードは思考するためのヒントを届けてくれて、

ノートは書く手と脳を直結させて、文字にして書き表したら、

その言葉を眺めてみたら、さらに思考が深くなる。

認識すれば、今と未来が変わるんです。

ただ、注意点はあります。

それは、闇雲にカードを引いても、ただノートを書いても、

それだけでは足りないということ。

正直、カードのメッセージが無くても、ノートは書けます。

それでも、こんな経験はないでしょうか?

ノートだけを書こうと思っても、

同じ問題で、課題で、思考がグルグルして抜け出せない。

書いているうちに気が滅入って終わってしまった。

ノートを書くだけで満足してしまって、

何も変化がない、時間のムダ。

なんて、思ってしまって、ノートを書くことをやめてしまった。

そこからまた、モヤモヤな日々のループを続けている。

こういう経験が、ありませんでしたか?


なぜ変われない状態が続いてしまうのか。

それは、一人でやろうとしてしまっていたからなんです。

本当の意味で、客観視ができていなかったからなんです。

あなたが書いてきたノートにも、そしてこれから書くノートにも、

あなたを理想の未来へ進めるための、

潜在意識の思い込みを書き換えるヒントが、本っ当にたくさん眠ってる。

あなたを振り返る、あなたの人生の物語を、

理想の未来に進めるための決意の一ページを、

書き綴った先であなたが歩く未来を、

私は見届けたい。

私は本当に遠回りしてきたから。誰にも相談できずに進めてきたことが多かったから。

少しでも早く、あなたが理想へたどり着けるように、

あなたの理想の未来を描くサポートをしたい。


なぜ今薦めるのかというと、人生は有限だからです。

いつか今日を振り返って、

「あのときなんでもっと早くに、理想を追いかけなかったんだろう」なんて、

後悔してほしくないからです。

生きてきた分だけ、価値観や観念は積み上がってきているから。

今、気付いたこの時から、見つめ直していかないといけないんです。


「人の気持ちを知りたい」と思いながら、

「自分の気持ちが迷子になっている」あなたへ。

私はタロットやノートと一緒に、あなたのお話を伺います。

あなたの潜在意識から希望へ導くヒントを、一緒に見つけていくために。


■無料セッション、3名まで受け付けます。

「潜在意識の思い込みを書き換えながら、

タロットやノートと一緒に理想の未来へ進むためのセッション」

Zoom開催、1時間前後、用意いただくのはノートとペン。

えすえすがカードを選びながら、お話したりノートを書きながら思考を深めるセッションです。

公式LINEに登録後、「無料セッション希望」と送っていただければ、

詳細のご案内やセッション希望日時を伺います。

※表情を見ながら進めたいため、顔出し・声出しOKな方、

セッション後に感想をいただける方に限らせていただきます。

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