BLUE GIANT
映画『BLUE GIANT』を観た。
前々から漫画の名前は知っていて、『あ、あのJAZZのやつ、映画化するんだ。』と思っていたが、観に行く気はあまりなかった。
だが、SNSでの評判が良く、1日暇な日もあったので観に行ってみることにした。
音楽映画って、映画館で観た方が絶対にいいし。
ただ音楽映画だから、気になった訳ではない。
その音楽がJAZZだったから気になったのだ。
『やっていた』と言っていいものかわからないくらいのものだけど、一応大学でJAZZのビックバンドサークルに入っていた。
JAZZを好きだったわけでも、楽器をやっていたわけでもなかったが、ただ『新歓の演奏がかっこよかった』というだけで飛び込んだ。
主人公の宮本大と同い年、18歳。
これまた『かっこよかった』というだけで、楽器はドラムを始めた。
JAZZはかっこよかったけど、難しかった。
リズムの取り方もそうだけど、『自由』になるのが難しかった。
演奏を聴くのは好きだったけれど、卒業する最後まで叩くのは難しくて、だから私は大学以降、ドラムをほとんど叩いていない。
そんな私にとって、『BLUE GIANT』は久々の『JAZZ』体験だった。
生演奏でないとか関係ない、この映画は紛れもなく『JAZZ』だと思った。
原作を読んでいないので、バックグラウンドの曖昧な部分や、どことなく端折った感じのするストーリーは気にならなくなかったが、それでもそんなことはどうでもいいくらい、大や雪折や玉田の『魂』が吹き込まれているのを感じた。
私がJAZZをやっていたとき、楽器を始めたばかりだから、技術が追いつかないから、上手くやりきれないのだと思っていた。
だけどきっと、心が自由でなかったから、上手くやりきれなかったのだと思う。
途中ピアニストの雪折は、『内臓をひっくり返すくらいの演奏をしていない』と言われ、壁にぶつかる。
私はこの言葉がとても心に残っていて、何だかとても納得するところがあった。
あの頃の私は、『内臓をひっくり返す』ようなことをとても恐れていたし、むしろ殻を被って隠れたいような自分だったから。
そして今だって、『内臓をひっくり返す』勇気を、持ちたいとこそ願っているが、それに手を伸ばすのは凄く怖い。
そして怖いから、気がつくとつい『必死』になる道を避けて通ってしまっている。手にしたいと願う自分から目を逸らして。
この映画の中にいる時、色々な気持ちになった。
四半世紀以上は生きて、やりたいことを諦めたこともあったし、色々なことに折り合いをつけてやっていくことも増えた。
自分の成し遂げられなかった思いへの後悔、だからこその憧れ、夢を託す気持ち、今の中途半端な自分への羞恥、まだ何かやれるかもしれないという希望。
そんな思いが無い混ぜになって、ぐちゃぐちゃにになった。
彼らの音は、そんな私にぶつかってくるようでもあったし、包んでくれるようでもあった。
そして何よりも、そんなものはどうでもいいくらい『圧倒的』だった。
そんな色々など考えずに、後ろにでも前にでも方向のない方向にでも、とにかく進めと喝をいれられた気分だった。
最後に、巷で噂になっている演奏シーンのCGは、やはり少し不自然で気になったりもした。
モーションキャプチャーで人間の動きを取り込んでいるというのに、その方が『偽物』っぽくなるなんて面白いなぁ、なんて考えながら。
まぁ、そんなこともどうでもいいくらい『圧倒的』であったが。
とにかく、原作を知らなくても楽しめるし、気になったら映画館でやっているうちに、映画に『のまれに』行って欲しい。
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