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私の20代で学んだこと

30歳になりました。
日本という新しい世界で人生の3分の1、20代を過ごし学んだことを振り返りながらまとめる時間ができまして、ノートいたしました。

変えられるものと向き合うこと

毎日ニュース報道番組ってSF映画のような映像が映りますよね。
コロナウイルスが流行り始めてから3年、ロシアはウクライナと戦争を始め、韓国では大きな火事である山の90%が燃えたといいます。
自分のせいじゃないこの状況だけで心の病になった人も多いと聞きます。

仕事でもたまにこういう自分だけでは変えられないもので頭を抱えてしまったり、いかに自分の手の届く範囲は狭いのかが分かったり、それが自分の現在地を明らかにして勉強になりました。むしろ、自分にできることだけに集中し、この時の最善の選択をすれば良いという、神様が人生ゲームの一幕にスポットライトを当ててくれたチャンスでもあると思うようになりました。

周りの人に目を配る、配りすぎてしまっていること

性格ですが直感的に他人が欲しいものを予想したり、空気を読むのが得意で私にできることを積極的にGiveする側の人です。ですが、みんながみんな私のような人ではないことに気づいたのは遅く、20代後半でした。周りの人、特に上司の評価や他人の噂で落ち込んだり、舞い上がったりして、私自身に対して低評価をするような人や悪い噂をする人には何故そのような評価や噂をするのか、どうすればよく見てもらえるか、直接話し合ったこともありました。それを重ねるうちに、このようなことが必ずしも私自身の改善で終わる訳ではないことがわかって、最近は良い評価も、悪い評価もできるだけ気にしないよう、感情の変化が起きないように努力するようになりました。

他人の評価からのストレスから自分を守るためか、いつからかは心の中で「そんな評価をするご本人もそれほど成熟している訳ではない」と悪い言葉と苦笑いをして流すようになりました。それでも気になってしまうのは人間本能かも知れないです。高校生の頃はフォロワーの数のように友達の数は多いほど良いと思っていたのですが、友達関係も両思いが持続できる時に維持できる関係だと気付き、両思いになれそうな人とだけ質の良い友達になってあれるようにと意識が変わりました。

永遠なものはないこと

周りの人が去ってしまうことで、悲しいことにも「このままでずっと一緒に」という言葉はあり得ないことが身にしみてわかりました。親もコロナで見ない間、体力が以前と同様ではなかったり、老いが外見からみてわかるようになったこともちょっとしたショックでした。

買い物をしても、ずっと使うために買うものか、1周使い終わったら価値が下がるものかと判断して買うようになりました。意外にも、綿のシャツは5年以上持つものでした。

お金で解決できることとできないこと

命と健康と時間はどうしてもお金では解決できないのは誰にでも同じものですよね。逆にそれ以外の問題はお金で命や健康や時間がセーブできる問題なら、常識の範囲内でお金を使う手段が一番であること。私は完璧主義者でありながらも、他の人がやらないようなミスも数多くする人で、今後多くのミスをお金で解決するようなことも沢山あると思うんです。お金をたくさん稼ぎたいというモチベーションはお金で解決できることへの安心感から来るようになりました。

自分のものでも自分の思い通りにできないことがあること

大人になってもって鈍った体を引き攣りハウスダンスを学びに行った時、子供のころとは桁違いに劣ってしまった自分の体がなんとも不自由で、自分の脳は意外と体を思い通りに動かせなくなったと気付きました。

だからこそ自己過信は良くないですが、それでも自分が変えられるものであれば努力して利き手にしないとですね。誰もが10代の頃からやっている宿題を含め、創作物を作り・リリースする練習の延長線には自分の仕事の成果や趣味があると考えます。20代にはこのくらいまでなら自分でできると、ある程度適切な目標設定と実現という流れと相場が自然に掴めているのですが、それよりも自分で「できる」と約束したのは最後までやり切ること、言葉通りに「する」ことが思い通りにならない状況に戦える唯一な方法でした。

他人に人生の道を任せっぱなしにするといけないこと

20代だけではなく18歳の頃もそうでしたが(日本の大学に志願するために通っていた韓国の塾で、大学入試願書の申請からはサポートしないと断れた時)、自分の人生で起きる選択の瞬間を他人に依存するというか、ある意味他人に関与させてしまうとダメでした。後々、自分の選択の後悔しないためにもです。

考えの通り、言葉の通りになること

人は想像した・言われた・聞かれた言葉通りになると、科学的な検証からです。出来ないとばかり言う人とは仲良くできないですし、人の限界を赤の他人が定めるような言い方も失礼だと思いました。

結婚が必ず幸せを持たせてくれることではないこと

そうでないような人も周りに沢山いますが、他の世代を含め全ての既婚者がそうではないことを知りました。結婚した女性には奥様と子供の母という両方での家内サービスが求められますが、旦那さんが第2の子供になるケースが多いことに気付きました。自分一人の生活でいっぱいいっぱいな自分で、複数の役割を担う既婚者の方々にはその能力の高さと器の広さで敬意を表したいほどです。

20代に学んだことで60代までの仕事はできなくなった時代になったこと

学生の頃、大学・大学院で学んだことで一生生きるという観念の中にいた私は、志願する研究室選びにも苦労していたのですが、実際社会に出てみたら大学で学んだことが活かせるような仕事をする人は少ないし、経済・社会・トレンド技術・ビジネスなど新たに学ぶべきものが山ほどあるということを知りました。幸い少しだけ大学で学んだことが繋がっている仕事をしていますが、60歳までまた新しいことを掘り下げなければですね。

仕事は断れることと断るほど良いこと

会社の末端の若手社員だからか、様々な人から「チームのため」や「君の学習と経験のため」などと担当の仕事とは関係のない仕事を命じられることも多くありました。嫌嫌、とりあえず言われたら「すぐに回避しようとせず一度はやってみる姿勢」でやったところ、後日忙しくなりキャパーを超えてしまっても一度手を付けたからしばらくはやっていかないといかず、「断らなかったことが自分の責任」になりました。そういえば、最初のメンターさんは最初に自分の仕事かそうでないかを分別することを大事にしていましたね。

学生の頃は「色んな人の意見をできるだけ多く反映することが良いこと」と学んでいたのですが、みんなの(一部適当な)意見を全て受け入れて出した結果が最高のアウトプットではないということと、それでまとめる際に一番大変なのはリーダー役割の自分、みんなの意見を取り入れようとした自分になるということを経験しました。

入社間際の頃は多くの仕事をやれる人が仕事ができる人だと思い込んでいたのですが、上記で失敗した経験から、親や成長過程で学んだ「お人好しになるつもりの姿勢」で仕事をやるよりも、自分のキャパ管理を最優先に仕事関係ではできるだけ最初から断ってしまう方が適切な責任管理の方法だと学びました。お人好しよりもビッチだと思われるかもですが、やっても多くの場合代償はお金ではなく、社内での「任せると範囲外の仕事もやってくれる人」という人好しキャラ認定と褒め言葉ですし、断っても社内での「やってくれない人」になるだけで、断れた仕事を賄う方法はきっと他でも見つけられるはずです。

10代で学んだことが必ずしも仕事で正解というわけではなかったですし、
きっと20代で学んだと解釈したことが30代・40代になると立場や状況も変わり必ずしもそうではないかも知れません。ですが、まずは20代に学んだことで、次の30代はどのように実践しようかと考え中です。
皆さんはどのような30代の学びがありましたか?

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