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vol.001 ポップソングはソプラノ調で

娘のうしろ姿を追うように、毎日お散歩へ出かけたのは、コロナウイルス感染予防対策の為に学校が臨時休校となった今年の春だった。 色々なことがカタカタと音を立てるように形を変えていった。 仕事も、学校も、日々の過ごし方も、全部。 いつもと変わらなかったのは、それらをとりまく島の自然と娘の鼻歌だった。

 娘が今よりもずっと小さかった頃、毎日のように島をお散歩していたことを懐かしく思い出した。 あの頃は、5分でたどり着ける場所に1時間かけて到着するという気が遠くなるようなお散歩をしていた。 とにかく「待つ」ことを前提に全てのことがジリジリとスローモーションで進んでいるような世界だった。 そして、娘が立ち止まる先々では、草花や木の実、貝殻や虫の抜け殻、鳥の羽や光る石などと出会った。それらを拾い集めてはライトテーブルの上に並べ、その物たちと対話をするように丁寧に撮影していた。
 
 2歳になるまでは子供を預けられる託児所が無い竹富島。 言葉もままならない小さい人とほぼ2人だけで過ごす毎日は、社会から切り離された異空間にいるようだった。 そんな中で、娘と拾い集めたものたちと向き合い撮影している時は、焦りや不安が消えてなくなった。

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 小学校へ進学し、友達と遊ぶことを優先するようになった娘、仕事やプロジェクトにあたふたと走りまわる私、2人で連れ立って目的なく島を歩くことは、ほとんど無くなっていた。 今回の臨時休校は、そんな私達に再び2人で島を歩くチャンスをあたえてくれた。

 ほぼ毎日のように誰もいないカイジ浜でお弁当を食べたり、西桟橋から西表島を静かに座って眺めたり、コンドイ浜を裸足で歩いたり、庭先で、まだ若いホッカルー(リュウキュウアカチョウビン)がたどたどしくホッカルルルル〜と鳴く声に耳を傾けたり、島の北側に位置する牧場のわき道にできた、大きな水溜りでピクピクと泳ぐ無数のオタマジャクシを観察したり、仲筋集落の端の南に広がる牧草地では、シュッと伸びた若草がサラサラと風に吹かれてなびくのを眺めたりした。 

 湿気を含んだ八重山の春の風は、覚えたてのポップソングをソプラノ調で歌いながら歩く娘と、首からカメラをさげて歩く私の頰をやんわりと撫でなからとおりすぎていった。 

 反抗期の勝気な態度とは裏腹に幼なさの残る横顔で、「お母さん、行くよ!」と、呼ぶ声は晴れわたる島の空みたいだ。 娘のうしろ姿にピントがあった時、私の焦りや不安は消えてなくなっていた。

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【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。


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