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vol.018 記憶と視覚

小学5年生の頃だったと思う。色鉛筆や絵の具で道端に咲く草花をスケッチすることがマイブームだった。学校での休憩時間などにも校庭の隅に咲く草花を摘んできては、机に絵の具のパレットを広げて夢中で描いたりしていた。ある日、次のクラスの始まりを知らせるチャイムが鳴ると、絵を描いていた私の前に先生が現れ「次は体育の時間だけれど、あなたはそれを続けても良いですよ」と言ってくれた。あの時は、「え、良いの? やったー!」ぐらいにしか思わなかったけれど、今思い返せば随分と柔軟で自由な先生だったなと思う。  

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身の回りの生き物をジッと観察することが幼い頃から好きだった。誰かから習ったわけでもなく、ただ昆虫や動植物のことが気になり暇さえあればそれらと向き合っていた。カマキリの卵を家の中で孵化させてしまった時には、小さな小さなカマキリの赤ちゃんがそこら中を歩き回り大変なことになった覚えがある。あるいは、美しく輝く玉虫の背中が泥で汚れていたので、きれいにしてあげようと思い石鹸で洗って死なせてしまった。子供ながらに言葉では表せない絶望感にさいなまれ自分のやってしまったことへの後悔が後を引いた。

あの時が「死」を深く体感した初めての経験だったと思う。 

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庭の花壇にアゲハチョウが卵を産み、幼虫から蛹、アゲハチョウへと変貌を遂げた姿を観察してスケッチブックに記録した。観察日記的なものだった。それを気まぐれに先生に見せたら、全校生徒が集まる朝礼会で校長先生に褒められて、予想外の展開に驚き少し照れながらも嬉しかったことを良く覚えている。

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同じように人を観察しては、表情や仕草でその人の心情を察し、アレコレと考えをめぐらすようなところがあり、初対面の人やたくさんの人と居ると頭の中が騒がしくて心が落ち着かなかった。その反動からか、一人で昆虫や動植物と向き合っている時は、心が穏やかだった。

あの頃から本質的な部分はあまり変わっていないのだけれど、今では自分の中にコントロールレバーみたいなものが存在している。そのおかげで、状況によって受け止める情報の量を調節できるようになった。 

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「嗅覚」「味覚」「聴覚」「触覚」の世界、人それぞれに自然と引き寄せられる感覚があると思う。私の場合は、「視覚」の世界が一番自然と自分に結びついた世界だったのだと思う。

ここに載せている写真は、娘が歩き始めた頃、お散歩の時に彼女が拾ってきた物を撮影したもの。自分が積み重ねてきた「視覚」の世界が娘の誕生とともに遠ざかってしまうことへの不安感から撮り始めたシリーズだった。けれども、時が経ちこのシリーズを見返していつも思うのは、赤ん坊の娘の存在が「視覚」の世界に頑なにとどまっていた自分を、甘酢っぱいミルクのような体臭や、空間を切り裂くような泣き声や、一瞬で世界を明るく照らすような笑い声や、しっとりと張り付くような生ぬるい肌で、感じたことのない未知の世界へと導いてくれていたのだということ。

「視覚」の中には時間が過ぎないと見えてこないものもある。それは、まるで現像液の中でユラユラと揺れ動く印画紙にゆっくりと浮かび上がってくるイメージのようでもある。

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【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。


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